東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

楽しかった田布施町麻郷東方面ウォーキング(3/3)

2018年03月24日 | 歴史探訪他ウォーキング



 八海天満宮を出ると、元国道188号線に出ました。少し歩くと、今は誰もお世話をしない屋根付きのお地蔵様が道脇にありました。お地蔵様に掛けられたベベは色あせていますが、金糸が使われていた布で作られていたようです。このお地蔵様をお世話していた方が、心を込めてお世話していたことが分かります。八海地区は田布施町で少子高齢化が進んでいる地域と聞きます。その影響がお地蔵様にも如実に現れているようです。

         切株が多い急峻な小山を、蟹守様に向かう


 続いて、田布施町の紙芝居で上演される蟹守様に向かいました。今回のウォーキング唯一の急峻な坂を登ります。急峻なことに加えて、たくさんの切株や刈痕が足を阻みます。一番困ったのはイバラです。枯れたイバラの棘がズボンの上から容赦なく刺さりました。10分位登ると、これが祠かと思うような小さな瓦の祠が現れます。この蟹守様はかつてはお供えをしたりして地元が方が守っていました。しかし20年位前でしょうか、最後に守っていた方が亡くなってからはお世話する方が絶えました。紙芝居の中にだけ残っている蟹守様です。

    蟹守様への登り口          とても小さな瓦の祠「蟹守様」
 

 蟹守様が鎮座する小山から下りると、八海公会堂前のお地蔵様を見学しました。続いて海岸の堤防沿いを歩きました。その昔あった渡船場跡や初代八海橋のことを説明しました。また、かつて八海地区で盛んだった瓦の製造所跡や平生湾での海苔製造などについて解説しました。開作明神の祠も見ました。私が子供の頃、この八海に来てはアサリを取ったり、海老を取ったりしていました。八海地区は最も変貌した地域ではないかと思います。

 八海に長く伸びる堤防     鳥越1班の明神社     鳥越のこつり地蔵跡
  

 八海地区を過ぎると鳥越地区に入りました。鳥越に着くと、最初に鳥越1班の明神様の祠に行きました。ここは少し高台になっており、江戸の昔は眼前に海が広がっていたと思います。たまたま1班の方がお見えになったのでお話をききました。この明神様は17軒の方が順番に当家を回しているとのこと。さらに、地の神様と水の神様がやはり17軒を順に回っているとのこと。17軒で三っつを回しているため、すぐに自分の家に来るそうです。その後、こつり地蔵、光井家跡をなどを回ってスタートした麻郷公民館に帰りました。ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

      今回歩いた田布施町麻郷東部のウォーキングコース


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