東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市の昭和の建物を訪ねるウォーキング(3/4)

2023年01月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 これまで何度か柳井高等女学校跡碑を探しに来たことがありましが、なかなか見つけることができんでした。ところが、下見の時に柳井市中央公民館の方に聞いて初めて碑の場所が分かりました。碑は中央公民館と柳井市体育館(バタフライアリーナ)の間に挟まれた場所にありました。しかも、見下ろさないと分かりません。
 続いて、柳井川の下流に沿って歩きました。宝来橋を過ぎて少しすると、立派な立像の愛宕地蔵尊が安置されていました。このお地蔵様は別名火伏地蔵とも言われています。江戸時代に大火に見舞われた方々を弔うお地蔵様のようです。このような火伏地蔵が柳井市にたくさん残されています。それだけ、柳井は頻繁に火事がおきたのでしょう。

       岡の上公園で昼食兼休憩をとる、冬の日差しが暖かく


 さらに柳井川を下りました。この柳井川は江戸時代初期は海岸でした。この海岸に沿って商家が立ち並んでいました。その海岸に突き出るように雁木が並んでいました。もちろん、船が着岸できる船着き場もありました。雁木は20年位前の工事で無くなりましたが、船着き場跡は今でも残されています。続いて柳井川を下っていると、道しるべの石柱がが立っています。田布施方面と平生方面を指し示しています。

 柳井高等女学校跡碑     立派な愛宕地蔵尊    田布施平生への道しるべ
   

 道しるべを見終わると、道を左にとって姫田川上流に向かって歩きました。少し歩くと端相寺が見えてきました。このお寺は江戸時代初期の古地図に載っているため、400年以上続いていることになります。端相寺内を少しばかり見学すると、姫田川をさらに上流に向かって歩きました。すると、斎藤道場と三宝荒神社が見えてきました。

   江戸初期にすでにあった端相寺      斎藤道場と三宝荒神社
 

 姫田川を逸れて、次に岡の上公園に向かいました。到着した頃正午でした。そのため、公園内に置かれている長椅子に座って昼食休憩をとりました。風もなく日差しが降り注いでいたため、暖かく休憩することができました。西側の眼下を見ると、柳井市街を広く見渡すことができました。東側の眼下を見ると、茶臼山古墳や柳井湾を広く見渡すことができました。40分位休憩したでしょうか。日差しが弱くなり少し寒くなってきたため、重い腰を上げて次の史跡に向かうことにしました。

      柳井市街に残る昭和の建物史跡をウォーキングしたコース

コメント
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