下見で訪れた銭壺山周辺の史跡に行ってきました。舗装道路を延々と単調に登るためか、参加人数がいつもより少ない史跡巡りウォーキングでした。それでも、好天に恵まれしかも涼しい風に恵まれて楽しいウォーキングとなりました。まずは、JR神代駅に到着すると、登り側ホームにある歌碑を訪れました。しかしながら、草が下見時よりもさらに茂っていたため詩を読むことができませんでした。草が枯れる冬に訪れることができれば読むことができると思います。ところで、改札を出ると参加者の一人が待っていました。一つ前の電車でJR神代駅に到着したとのことでした。
我々以外は誰も降りなかった無人駅のJR神代駅
JR神代駅は、昭和のひなびた駅舎です。こじんまりとした駅舎内は、だいぶ前から無人駅だったそうです。そもそも、明治時代に山陽本線が開通した時はまだ駅が無かったそうです。そのため、JR大畠駅の次はJR由宇駅だったのでしょう。その後の辛抱強い陳情によって、昭和になってから駅ができたそうです。
JR神代駅で降車 草に埋もれた歌碑 高架より南側を見て
JR神代駅でバスに乗りますが、だいぶ待たなければなりません。待つ間、近くの史跡を散策しました。それは石に刻まれたお地蔵様と祠と思える石です。また、石の欠片も集められていました。近所に誰もいなかったため、このお地蔵様などの由来を聞くことができませんでした。
お地蔵様や石の欠片の数々 しばらく待ってバスに乗る
何故だか分かりませんが、私が子供の頃よく神代にきました。亡き父親のバイクに乗って来ていました。砂浜にある造船所によく行きました。その造船所で作った船の進水式を今でも覚えています。父親の友達が神代に住んでいたのでしょう。面白いことに、我家に今ある牛小屋は神代にあった造船所を移築(昭和30年代後半)したものです。
昭和30年代初期、父親は先進的な機械化農業を推進していました。その様子が新聞などに紹介されていました。そのため、機械化農業を学ぶため遠くは岐阜県から高校生が研修に来ていました。そして、神代からも高校生が我家に習いに来ていました。
銭壺山に至る史跡巡りウォーキングのコース