東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

お葬式のお手伝い,陸稲(うるち)の稲刈り,古代米アート見学

2013年09月19日 | 稲:田植え,草取り



 午前中、私の近くに住む一つ年下のSYさんのお母さんの葬儀のお手伝いをしました。私が子供の頃、SYさんの家によく遊びに行きました。とても優しいお母さんだったことを覚えています。当時はSYさんのお姉ちゃん達もいて、気軽に畳の上に上がり込んで遊んだものでした。SYさん、昨日のお通夜も今日の本葬も泣いていました。50年前可愛い女の子だったSYさんも、今は子や孫に囲まれた素敵なお婆さんです。
 今日お葬式のお手伝いをして、一年ほど前の私の父親の本葬を思い出しました。そして、忘れていた、時の流れのはかなさを思い出してしまいました。

 さて、午後からは1年ぶりに陸稲の稲刈りをしました。麦刈りに使った稲刈機(バインダーとも呼ぶ)を倉庫から出して、エンジンをかけて調子を見ました。稲束を縛る紐が解けていた位で、快調に動きました。

     最初、稲刈機の調子を確認         刈り取った稲を干す竿を組み立て
 

 刈り取ったのは、貴重なうるち種の陸稲です。陸稲は畑で作るため、雑草が負けやすく日照りにとても弱いことが欠点です。水田で作るお米より収量がありません。しかし、水田を持っていない私としては、お米を自給するには陸稲を作り他ありません。

                 残暑が厳しい日中、もくもくと陸稲の刈り取り


 稲刈りが済むと、束ねられた稲束を拾うようにして集めます。そして、竿に掛けて干しました。一週間位干すと脱穀をします。今の田んぼは、コンバインと呼ばれる稲刈りと脱穀を一度に済ませる機械を使います。私は、昔ながらの古い脱穀機を使って脱穀し、収穫した籾を天日で乾燥させるつもりです。 

     束ねられた稲束を次々に干す          陸稲畑の稲束を拾い集める
 

 稲刈りが終わった午後、少し休んで西田布施の真殿の古代米アートを見学に行きました。真殿の田んぼにあるとは知っていましたが、どの田んぼかは分かりませんでした。しかし、稲穂が出ている今は遠くから見てすぐに分かりました。文字は描いてありませんでしたが、田布施町シンボルマーク,ハートマーク,田文字マークが綺麗に描いてありました。
 私が古代米を知ったのは、10年以上前の事でした。東京八王子の田んぼで何種類か(赤米,黒米など)を栽培したことがありました。何年か前、イタリア人夫婦に古代米の田植え体験させたことがありました。個人的には赤米が好きで、それなりの量を栽培して食べていました。

                   西日に照らされた、真殿の鮮やかな古代米アート

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