東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

三ヶ月ぶりに東京へ(2/5) 義理母の一時退院と中田商店

2013年02月19日 | 家族関連

 2月13日、東京での2日目の始まりです。今回は、八王子から神奈川県の辻堂に行きました。バスで京王南大沢駅に行き、そこから電車です。南大沢>京王多摩センター>新百合丘>藤沢>辻堂です。藤沢駅は、私がボーイスカウトの副隊長をしていた10年以上前、毎年のように三浦半島にキャンプなどで子供達を連れて行く時の通過駅でした。さらにその30年位前、私の大学時代に友達と鎌倉や江の島に遊びに行く時の乗り換え駅でした。トロトロ走る懐かしい江ノ島電鉄を思い出します。辻堂は15年ぶりでしょうか。駅舎や駅前が立派に変わっていて驚きました。駅前のロータリーだけはわずかに見覚えがあります。

   義理母が入院中の湘南藤沢徳洲会病院(向こうに見えるビル)に向かう私と娘


 びっくりするほど変わった辻堂駅や駅前を歩いて15分位、義理の母親が入院している湘南藤沢徳洲会病院に向かいました。空は真っ青で、白い歩道がまぶしいほどの晴れ渡る天気でした。義理の母親は、私が山口県に帰る16日に手術予定です。それまで一時退院して、住み慣れた東京練馬区の家でくつろぐことになりました。今回病院に行った理由は、見舞いに加えて義理の母親をエスコートして練馬まで連れ帰ることです。

     義理の母親(娘の祖母)と娘         辻堂前のお店で、昼食の蕎麦
 

 一時退院の前、この辻堂近くに住む家内の妹に会いました。そして、病院を出てから辻堂駅前のレストランで蕎麦を3人で食べました。そして、辻堂>藤沢>池袋>練馬へと電車を乗り継ぎました。途中、大船を過ぎた頃に戸塚駅がありました。この駅には、今から40年位前に私が就職して以降30年近く通勤した会社があります。走る電車の中から、思い出が詰まった懐かしいその会社を車窓から眺めました。

          蕎麦を食べた後、娘のエスコートで辻堂駅に向かう義理の母親


 午後2時頃、東京練馬区にある義理の母親の家に着きました。しばらくその家でくつろいだ後、娘と御徒町の親戚に行きました。最初、秋葉原に行ったついでに御徒町に行く予定でした。しかし、時間が遅くなったためこの日は御徒町だけに行きました。この夏にも家内と御徒町の叔父(私の父親の弟)と従兄弟達に逢いました。今回初めて、娘を御徒町に連れて行きました。

     毎日がお祭りのような御徒町           叔父の経営するお店内で
 

 叔父や従兄弟達が経営するお店は「中田商店」と言い、各種軍服などのミリタリー用品販売では日本のトップブランドです。お店の軍服を戦争映画(最近では「男たちの大和」)で貸すことがあるとのこと、また映画俳優(最近では「織田裕二」)が試着するために来ることがあるそうです。雑誌などで取り上げられることもよくあります。

            娘の隣りの、私の従兄弟のMちゃんとSちゃん(店内で)


 叔父は私の父親の弟です。去年私の父親が亡くなった時、体調が悪いにも関わらず父の葬儀に来ていただきました。私の父親は戦時中に中国で死ぬような辛い体験をしましたが、叔父も終戦時は上海にいて父に劣らず苦労したそうです。そして裸一貫で今のお店を築き上げました。叔父は兄弟一の成功者ではないかと思います。その叔父の子供達(私の従兄弟達)に今回会いました。

           娘の左は従兄弟のYちゃん、右はTちゃん(私の妹と同い年)


 今回、残念ながら叔父には会えませんでした。この秋にまた東京に来る予定ですので、その時に改めて会おうと思います。帰る間際、従兄弟が娘にバッグの一つをプレゼントしてくれました。ありがたいことです。中田商店でいろいろ談笑していて、すっかり日が暮れました。お腹がすいたのでお店近くのレストランで夕食にしました。

  バッグをプレゼントされている娘           お店近くのレストランで夕食
 

 娘は一時退院した義理の母親がすごしている練馬に帰りました。娘と義理の母親(娘の祖母)は、この夜何を話すのでしょうか。先がそう長くない義理の母親は、孫娘に話したいことがたくさんあるのではないかと思います。私は御徒町から秋葉原に行きました。そして、夜のネオンサインがきらめく秋葉原をささくさと通り過ぎて岩本町に向かいました。そして、八王子の我家の向かいました。

             夜のネオンサインがきらめく秋葉原、夜も賑やか

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