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東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町佐賀漁港周辺の史跡巡りウォーキング(2/3)

2024年01月28日 | 歴史探訪他ウォーキング

 白鳥古墳の後円部を見た後、前方部の頂上に鎮座する白鳥神社に行きました。考えてみると、地元の著名な神社はだいたい8~9世紀に作られています。神社が作られる直前は古墳が多く作られていました。しかも、大和王権に認められた前方後円型の古墳が多いのです。地域の族長一族のお墓としての古墳です。
 その後、大和王権の権威を持つ神社が盛んに作られるようになり、逆に古墳が作られなくなるます。神道の象徴である神社は天皇制と結び付けられています。神社を通じて精神的な日本の統一が完成していったのではないかと思います。そんな事を考えながら、白鳥古墳を見学しました。

         長い海岸線の佐賀漁港周辺をウォーキング


 白鳥古墳を参拝し終わると、佐賀漁港を含む佐賀の海岸に出ました。下見の時に立ち寄った中川商店はお休みでした。休日なのにお店はお休みです。以前私が暮らしていた東京では、休日こそ稼ぎ時なので商店はすべて開店していたように思います。都会と田舎では開店に関わる考えが違うのですね。中川商店を過ぎると、海岸の砂浜が見えてきました。

 白鳥神社の前方部斜面     不思議な石の祠    佐賀の海岸の砂浜
  

 波が打ち寄せる砂浜に出てみました。海の向こう側に馬島や刎島が見えました。左方面に視線を移すと佐合島が見えました。砂浜で立ったまま休憩後、佐賀漁港に向けて歩きました。とても高い堤防が視線を遮ります。防潮堤でしょうか高さが4m以上ありそうです。その堤防に沿って佐賀漁港に向かっていると、左側に変わった形の石が鎮座した祠がありました。

   サウナ部屋らしい大きな樽小屋     丘の上に鎮座する明神社
 

 佐賀漁港が近づくと、たくさんの大きな樽が見えてきました。下見した時は、単なる休憩小屋かと思っていましたが、どうもサウナ部屋として使う樽小屋とのことでした。春にも名所としてイベントを開催するのではないかと思われます。佐賀漁港に到着する直前、その樽小屋の近くにそびえる山に鎮座する明神社に行きました。樹が生えていなければ景色は抜群ではないかと思います。明神社から降りると佐賀漁港はすぐそこです。

       佐賀漁港周辺の遺跡巡りをしたウォーキングコース

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くるみ,楮,シダなどを煮るための窯を試作(2/5)

2024年01月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 ブリキ缶を使った窯を少しずつ作っています。必要なブロックやレンガなどを購入して組み立てています。燃料は練炭を主として、練炭が売っていない時期は薪を使えるように考えました。最初にブロックを組み立てました。ブロックが倒れないように、鉄杭をブロックの穴に通して地面に突き刺します。それが終わると、練炭に空気が通りやすいように薄いレンガの上に鉄網を敷きました。その鉄網の上に練炭を並べるのです。

         練炭を並べた後、ブリキ缶を置くブロックを敷く


 個人が作る窯ですので設計図はありません。頭の中に仮想設計図があり、作りながらその仮想設計図を変更します。ブロックやレンガなどのサイズが想定と違うと、そのつど仮想設計図を変更するのです。ある意味大雑把ですが、クルミや楮などの枝を煮るのが目的です。多少見栄えが悪くても、その目的さえ果たすことができればOKです。

 レンガやブロックを敷く   鉄網の上にもレンガ    練炭を試しに置く
  

 ブロックやレンガを組み立て終わり鉄網を敷くと、練炭を置いてみました。最大6個の練炭を置くことができますが、それではコストがかかります。4個を燃やして火力が足りなければ薪を使おうと思います。
 窯はほぼ出来上がりました。今後はブリキ缶の水漏れが無いか確認後、底に600°Cの耐火塗料を塗ろうと思います。それが終わると、いよいよ実際に水を沸かしてクルミ,楮,シダなどを煮てみようと思います。

    ブリキ缶の上に蓋を置く         練炭を4個置いた状態
 

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平生町佐賀漁港周辺の史跡巡りウォーキング(1/3)

2024年01月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 先日佐賀漁港周辺の史跡を巡るウォーキングをしました。ところが、前日夜は雨でした。そのため史跡巡りウォーキングを中止するかどうか迷いました。天気予報では曇りか晴れでしたので、その予報に賭けました。
 そして明朝、濃い霧でしたが少しずつ晴れてきました。ほっとしました。史跡巡りを主宰すると、天気にとても敏感になります。過去10年間の史跡巡りウォーキングを振り返ると、年に1度は雨で延期しています。朝天気が良くても、天気が急変して横殴りの吹雪に見舞われたこともありました。

         晴れ間の中、小山の上に鎮座する八幡社のお社


 さて、9:44発のバスに乗り佐賀バス停留所に降りました。降りると佐賀地域交流センターに向かいました。そこには縄文遺跡の岩田遺跡石碑と、その傍に遺跡の説明板が建っています。その説明板の前に立ってみなさんに遺跡の説明をしました。縄文遺跡は関東以北に多く関西には少ないため、岩田遺跡は関西の貴重な縄文遺跡ではないかと思います。どんぐりの貯蔵穴などが有名です。
 岩田遺跡を出ると、道を少し戻って浜田自治会集会所に行きました。この集会所隣の広場で夏には盆踊りが行われます。かつて嵯峨音頭で踊られていましたが、今はどうでしょうか。5年ほど前には録音された音で踊っていたと聞きました。笛太鼓やくどきを歌う人は絶えたとのことでした。

  岩田遺跡の石碑前    浜田集会所の前にて   八幡社急階段前の石鳥居
  

 続いて小山の上に鎮座する八幡社に行きました。急な石階段を登ると広場になっており、正面にお社と忠魂碑が建っています。戦時中、この八幡社から地元佐賀の若者が出征したのでしょう。広場は綺麗に掃き清められていました。
 次に、旧佐賀小学校の旧体育館に行きました。そして、白鳥神社前に行き、白鳥古墳のお話をしました。全長120mの大きさは山口県1で、その大きさを体感すべく前方後円墳の周りを巡りました。そして、後円部に鎮座する白鳥神社を参拝しました。

    旧佐賀小学校の旧体育館      子供を見守る愛光童子地蔵
 

 白鳥神社を回っている途中にお地蔵様が安置されていました。足元に「愛光童子」と刻まれていました。たまたま近くにおられた方に由来をお聞きしました。すると、子供を見守るお地蔵様とのことでした。その昔、子供の事故か何かあったのでしょうか。

         佐賀漁港周辺の遺跡巡りをしたウォーキングコース

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平生町佐賀漁港周辺の史跡巡りウォーキングの下見(3/3)

2024年01月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 平生町Maxvalueに行って佐賀方面バス時刻表を確認しました。9:44に乗れば、ほぼ10時に佐賀に付きそうです。さて、佐賀漁港周りを散策してみました。ひっそりとして静かでした。漁港前に農協の建物がありましたが誰もいないようでした。また、特産物販売センターに行ってみましたが、窓に草が生えていました。何年か前に閉鎖されたようです。忙しそうにしていたのは、漁港周りの電線を張っている電力会社関係の方々だけでした。

        佐賀漁港北近くに安置された膝を良くする足摺地蔵


 佐賀漁港の左右を見ながら歩いていると、ひときわ大きな鳥居がありました。おそらく、白鳥神社の参道に続く鳥居ではないかと思います。その昔、漁業が盛んだった頃、白鳥神社のどんでん祭などの祭り時に賑わっていたのではないかと思います。そらに白鳥神社に近い鳥居は倒壊が懸念されているようで鳥居が網が囲んでありました。修復費用もたいへんな額ではないかと思います。

 白鳥神社の石鳥居     波止場の広場で昼食   光輝病院がよく見える
  

 佐賀漁港を散策していると昼過ぎになっていました。そこで、波止場の広大な広場で昼食休憩をしました。景気が良ければこの広い場所に何がしかの工場を建てることができそうです。
 日本はバルブ崩壊後20年以上不景気が続いています。何を隠そうバブル崩壊時、私が勤めていた会社が危うくなり早期退職を選ばざるを得ませんでした。当然ながらハローワークに通いました。たまたま持っていた資格が転職に役に立ちました。その資格とは、介護福祉士,大型運転免許などです。

    足摺地蔵横の大師堂       大師堂裏の藪の中に八十八の地蔵
 

  佐賀漁港を抜けると、足摺地蔵尊に行きました。このお地蔵様は足や膝の痛みを直してくれるとのこと。お地蔵様にはたくさんの人が触った跡があります。足が悪いお年寄りはつい撫でたくなるお地蔵様です。
 傍に建っている大師堂裏に八十八のお地蔵様が安置されており、かつては歩いて回れたそうです。しかし、今は藪の中にありかつ道が崩れて回ることはできません。大師堂を出ると出発した佐賀地域交流センターに戻りました。寒い中、自分にお疲れ様。

          平生町佐賀地区の史跡を巡って歩いたコース

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ハーブ(トゥルーシー)の種を採取、採種中もいい匂いが漂う

2023年12月31日 | 歴史探訪他ウォーキング

 秋まで花が咲いていたトゥルーシーの種子を採取しました。トゥルーシーはハーブの仲間でとてもいい香りがします。花や葉に鼻を近づけなくても畑全体からいい香りがするのです。
 ところで、トゥルーシーはブルービーと呼ばれる青色の蜂を呼ぶことです。トゥルーシーとブルービーは愛想が良いのかも知れません。他にどんな虫がやって来るのか観察すると、アブ、蜜蜂、蝶などの昆虫もやってきました。匂いがするので、夜には蛾など夜行性の昆虫もやってくるのではないかと思います。

       花が咲き終わった花列に、種が段々に実るトゥルーシー


 種を素手で取っていたら、だんだんと指がヒリヒリするように痛くなりました。種には微妙に目に見えない棘があるようです。枯れた花列を鎌で刈り取り、シートの上で叩いた方が良かったようです。
 ヒリヒリする指に消毒液を吹きかけて、絆創膏を巻いておきました。採取した種は来年の春に種まきしようと思います。そして、苗を育てた後に畑に植え替えようと思います。

 枯れたトゥルーシー   トゥルーシーの小さな種    紙筒に種を収納
  

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平生町佐賀漁港周辺の史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2023年12月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 白鳥古墳の大きさを体感するため、古墳の周りをぐるりと回りました。古墳の周りは民家が取り巻いています。この古墳、千三百年位以上前の古墳時代に作られたと思われますが、それ以降神社の領域として守られてきたのではないかと思います。巨大な古墳ほど頂上に神社や祠が建てられていることが少なくないです。この白鳥古墳の次に大きな柳井市の茶臼山古墳も、頂上に祠が建っていました。両者共に時を越えて聖域として守られてきたようです。

     佐賀漁港に巨大な樽小屋が建ち並ぶ、新たな観光スポット?


 白鳥古墳をぐるりと回ると、次に海岸に向かいました。まずは、県道を北にどんどんと歩きました。そして、道脇にある中川商店に寄りました。中川商店では昼食にするパンを購入しました。以前、遠い親戚である吉岡商店には行ったことがありますが、今は閉店しています。お店がだんだん無くなることは、近くで生活する人には不便なことだと思います。特に、運転免許証を返上したお年寄りには。

  立ち寄った中川商店    田布施町の馬島     佐賀漁港と佐合島
  

 海岸に出ると、目の前の馬島を望みました。そして、長い海岸を歩きました。田布施町の麻里府漁港近くの海岸はとても狭いですが、佐賀漁港付近の海岸はとても巨大です。魚見まで含めれば2km近くあるのではないかと思われます。埠頭がいくつもありました。佐賀漁港傍の道脇に変わった形の石を御神体にしている祠がありました。御神体になった祠は海に面した町によくあります。

  変わった形の石が御神体の祠       佐賀漁港を見下ろす明神
 

 佐賀漁港近くの広場に巨大な樽状の休憩所が作られていました。家族単位で休憩できそうな大きさです。佐賀の新たな観光地にする予定なのでしょうか。近くに販売所か何かを作るようです。たくさんの木材が置かれており、大工さんが忙しそうに働いていました。来春にオープンするのでしょうか。その頃に来てみたいと思います。その漁港を見下ろす山に鎮座する明神社に登りました。海の展望が良い神社です。

         平生町佐賀地区の史跡を巡って歩いたコース

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平生町佐賀漁港周辺の史跡巡りウォーキングの下見(1/3)

2023年12月28日 | 歴史探訪他ウォーキング

 もう数日で今年は終わりです。来年の史跡巡りウォーキングをどこにしようか思案しています。そこで来年1月、まだ歩いたことがない平生町の佐賀漁港周辺の史跡を訪れようと思っています。
 本番当日は平生町MaxValueに集合してバスで佐賀に行きます。しかし、今回の下見は佐賀地域交流センターに駐車してスタートしました。最初、白鳥古墳周辺を歩いた後、広い海岸に出てから漁港周りの史跡を探して歩きました。

         佐賀のほぼ中心部の小高い丘に鎮座する八幡社


 佐賀地域交流センターは、以前平生町の佐賀出張所が置かれていました。今は地域交流センターとなっています。ただ、このセンター周辺は著名な縄文遺跡である岩田遺跡と重なっています。今から4500年前にこの地域に縄文人が居住していました。その出土物の一部がこのセンター内に展示されています。本番当日は日曜日のため見学できないのは残念です。

 佐賀地域交流センター    浜田自治会集会所    ナギの大木と心光寺
  

 佐賀地域交流センターをスタートすると、佐賀バス停から佐賀の町街に入りました。浜田自治会集会所や佐賀郵便局前を通って八幡社に向かいました。小高い丘に上に続く石階段を登りました。続いて、心光寺に向かいました。このお寺、8年前に訪問したことがあります。葉脈が一直線の珍しいナギの大木があります。

    前方後円墳上の白鳥神社        前方後円墳の前方部斜面
 

 心光寺を見終わると、隣の白鳥神社に行きました。この神社は、山口県で一番大きな前方後円墳の円墳上に鎮座しています。神社の改築時に古墳の宝物が出土したことで発見されました。縄文時代から集落があったほどです。弥生時代から古墳時代にかけてそれなりの有力者が住んでいたのでしょう。この古墳の全周を歩いてみることにしました。 

          平生町佐賀地区の史跡を巡って歩いたコース

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わら細工講習会の事前準備 わらすぐり

2023年12月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

 

 来週日曜日、麻郷公民館でわら細工民具「ほぼろ」の製作講習会を開催します。現在、春夏秋冬と年四回の講習会をしています。前回は8/末に開催しました。
 これまでは「ほぼろ」(わら籠)を中心に講習会をしてきましたが、前回から、ほぼろに加えて猫ちぐら買物籠ポシェットリュックなどの製作を追加しました。また、子供向けにペットボトルケースの製作もあります。どれも「ほぼろ」の製作技術を応用した小物です。今回、わら細工に使うわらの事前準備の一つとして足踏み脱穀機を使ってわらすぐりをしました。

          稲の脱穀に使う脱穀機を、わらすぐりに使う


 納屋の奥にしまってある足踏み脱穀機を外に出しました。結構重いので台車に載せて出しました。わらすぐりとは、わら細工に不要な稲わらのはかまなどを取り除くことです。以前は千歯こぎや手櫛などを使って取り除いていました。しかし、講習会を開くようになってからたくさんのわらを用意する必要で生じるようになりました。そこで、足踏み脱穀機を使うことにしました。ハーベスタを使うともっと効率的にわらすぐりできるかも知れません。

   はかまがだいぶ取れた稲わら      わら屑を熊手で取り除く
 

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古老を訪ね歩いた奥多摩の山々を再訪

2023年12月09日 | 歴史探訪他ウォーキング

 山口県の田布施町に帰る前日、12年ぶりに奥多摩湖周辺を訪問してみました。奥多摩へは、それよりさらに30年以上前から時々訪れていました。つまり私が二十代の頃から山間地域の暮らしに興味があり、奥多摩を含む山梨,長野,静岡などの山深い里山を頻繁に訪れていました。そして、今では鬼籍に入った古老にいろいろと昔の暮らしについてインタビューしてきました。そして、古老宅に泊り当時栽培されていた作物の栽培を手伝ったり加工して食べたりしたこともありました。
 今、小学校などで子供達に昔の生活のお話をしています。古老を訪ねたり昔の生活を体験したりしたことが、その原点の一つになっています。

        奥多摩の山々や、山奥の懐かしい人里を見下ろして


 東京に住む人々に水を供給している奥多摩湖、この湖は小河内村などの村を水没させてできた人工の湖です。それらの沈んだ村の民俗資料館に寄りましたが、残念ながら休館でした。水に沈む前の写真や道具などの資料が展示されています。また、年に一度、旧村人が集まって伝統の踊りなどを披露しています。
 奥多摩ではありませんが、湖に沈む別の村を訪れて、ソバを収穫中の古老夫婦にお話しを聞いたことがありました。沈む前の民家がまだ建っており、寂しそうな表情が印象的でした。最後まで残った古老夫婦でした。

湖に沈んだ村の資料館    水をたたえる奥多摩湖  東京のチベット、峰地区
  

 今回は東京のチベット呼ばれる奥多摩最高部にある峰集落周辺を訪れました。今でも人が住んでいるようですが、山の下にあった小学校は閉校になっていました。
 昭和初期、それぞれの集落は最低限の自給自足ができていました。集落内には、学校、店、郵便局、鍛冶屋、警察、農家、猟師などがワンセットで揃っていました。しかし、今はほとんどか統合されて集落自体では生活が成り立たなくなっています。限界集落のようでした。少子高齢化の日本、どの町も村もこの集落のようになることを暗示しています。奥多摩を再訪して、お話をお聞きしたたくさんの古老を思い出しました。

   東京のアンデス(通称)の集落      奥多摩湖をはるか下に臨んで
 

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我家近くの長沼公園を散策

2023年12月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 東京の我家近くに都立長沼公園があります。都心から緑や紅葉を求めてハイキングに来る方々が絶えません。私も時々散策します。今回は尾根道の紅葉を求めてのんびり歩いてみる事にしました。もともとこの道は東京薬科大学裏に続く尾根道でしたが、近くに団地ができた時に尾根が分断されたようです。

     尾根道の北側に落ちる谷と樹木、耳を澄ますと鳥がさえずる


 この公園の西端にはスキーができる長めの斜面があります。冬に雪が降ると、スキー場に早変わりします。ただ、スキーをするにしては斜面の距離が50m位しかありません。そのため、スキーよりはソリで滑る人の方が多いようです。夏には段ボールをお尻の下に敷いて滑って遊ぶこともできます。昔を思い出しながら公園を散策しました。尾根道の途中に古い木造民家の焼肉屋さんがあります。

   樹が茂る尾根道    木造民家の焼肉屋さん   冬にスキーができる斜面
  

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那須岳を止めて正解、代わりに筑波山に登る

2023年12月05日 | 歴史探訪他ウォーキング

 11月下旬、栃木県の那須岳に登る予定でした。ところが、10月中旬だったでしょうか那須岳の尾根を歩いた4名が遭難しました。風雨による低体温で亡くなったとのこと。そのため、尾根道を止めて森の中を歩くことに変更しました。ところが、森はクマが出没して危険との情報でした。そのため、やむなく那須岳を諦めました。
 そこで、歩きやすい筑波山に変更しました。ところが、その筑波山を歩いたその日に再び那須岳で遭難者が出ました。霊に誘われたのではとの話題になりました。もし那須岳を登ったら私が霊に誘われたか、誘われなくても遭難した方に会ったはずです。それを聞いた時、少し恐ろしくなりました。

           筑波山山頂から、遠く那須岳方面を望んで


 さて、筑波山に変更した理由は6年前に登った時、天狗党を旗揚げした藤田小四郎像を訪れるのを忘れていたからです。今回、その藤田小四郎像を見てから筑波山に登りました。平日でしたので登山道は混んでいませんでした。しかし、ケーブルカーに沿う登り道は前回登った時より疲れました。それだけ、年を取ったことを思い知りました。

  筑波山神社の大鳥居   天狗党藤田小四郎像     紅葉の筑波山神社
  

 幕末で忘れてはならない歴史に天狗党があります。水戸藩の過激な尊王攘夷運動をし、水戸から敦賀まで移動した上で降伏しました。そした、その後の処罰は凄惨なものでした。その凄惨な場所を訪ねて実際に敦賀を訪ねました。また、水戸近くにある天狗党慰霊碑も訪れました。さらに、天狗党の詳細を展示した茨城県大洗町の「幕末と明治の博物館」にも行きました。徳川御三家であるがゆえの悲惨な事件ではないかと思います。
 幕末の歴史を思い出しながら、筑波山麓の樹林帯の道や、巨岩の道を楽しみました。

    樹の根が生える登山道       巨岩(弁慶七戻り)下を歩く
 

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約10年ぶりに柳井市の三ヶ岳に登る

2023年11月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 先日、約10年ぶりに柳井市の三ヶ岳に登ってみました。その前にも一度登ったことがあります。午後から小雨になるとの天気予報でしたが、雨も降らず岩場の絶景を楽しむことができました。同行した友人は初めて登る山とのことで、少しスリルある岩場での眺めを楽しんだようでした。10年前に比べてだいぶ樹が伸びていました。そのため眺望を楽しめない休憩所がいくつかありました。

          休憩した三ヶ岳東峰から琴石山方面を望んで


 10年前は確か柳井駅スタートでしたが、今回は金剛寺スタートです。最初金剛寺の八十八ヶ所巡りの一番から歩き始めました。そして、三十番ヶ所頃から三ヶ岳方面へ道を分かれました。少し下って秩父宮記念石碑前を通って三ヶ岳への山道を登りました。野生の実であるしゃしゃんぽの実やアケビなどの実を見ながら歩きました。そして、上下左右に紅葉を楽しみながらの歩きです。

  スタートした金剛寺    三ヶ岳への分岐点    開けた箇所からの眺め
  

 三ヶ岳一番のだいご味は連続した岩場です。日本アルプスの岩場ほどではありませんが、ちょっとした岩場登りを楽しめます。岩場ですので三点指示は欠かせません。身を乗り出して崖下数十m下を覗き込むと怖くなります。しばらく岩場を登ると三ヶ岳西峰に着きました。ここまで来れば柳井湾、柳井市街、平生・田布施方面の絶景を楽しめます。

   柳井平生田布施方面を眼下に       かやとの中を三ヶ岳下山
 

 三ヶ岳の西峰から東峰まで歩き、昼食休憩を30分位取りました。平生、田布施、柳井、柳井港、周防大島、銭壺、日積方面の眺めを楽しみながらの休憩でした。休憩していると肌寒くなってきました。そのため、一枚羽織って下山することにしました。
 琴石山との分岐点まで降りて、あとは六道地蔵付近を経由して下りました。車が一台も通らない金剛寺までの林道を、周りの紅葉を楽しみながらのんびり下りました。ほど良い疲れのウォーキングでした。

           金剛寺から三ヶ岳まで往復したコース

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柳井市 新庄、土穂石周辺の史跡巡りウォーキングの下見

2023年11月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 11月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。久しぶりに1人であちこちを回ってきました。今回は柳井新庄MaxValueからスタートして戻るコースです。
 土穂石川を渡った後、山脇にある変電所近くの祠を回りました。その後、山を回り込んで土穂石八幡宮や欣慶寺に行きました。そして、線路を渡って築出付近の田んぼ周辺をのんびり回ります。そしてシュシュで休んでスタート地点に戻る予定です。

          線路を跨ぐ新庄の陸橋から柳井市街を望んで


 さて新庄MaxValueを出ると、土穂石川に向かいます。そして、橋を渡って変電所の裏を通る道を歩きました。そして、最初の史跡である祠に向かいます。変電所から奥まった場所のある祠です。続いて、下富尾公会堂にある祠に寄りました。続いて、欣慶寺にある吉見家墓所に行きました。

スタートの新庄MaxValue  土穂石川の橋を渡る   祠のある下富尾公会堂
  

 欣慶寺近くを歩いていると、新庄小学校が賑やかでした。聞いてみると新庄地区の地域運動会でした。続いて、土穂石八幡宮に行き、近くにあるお地蔵様を見ました。そして、陸橋を歩いて線路を渡りました。

    変電所傍の小さな道を歩く     地域の運動会開催中の新庄小学校
 

 陸橋を渡ると、広い田んぼが広がっていました。通る車が少ない道をのんびり歩きました。少々疲れたため田んぼの土手に座って20分位休憩しました。そして、築出地区の住宅地で道に迷いながらシュシュにたどり着きました。本番ウォーキングではシュシュで休憩する予定です。シュシュを出ると、スタートした新庄MaxValueに向かいました。

    土穂石,変電所,欣慶寺などの史跡巡りウォーキング下見コース

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第2回スポーツレク 歴史探訪ウォーキング

2023年10月31日 | 歴史探訪他ウォーキング

 先日、田布施町で第二回のスポーツレク大会がありました。競技内容はお年寄り向けで、私が先導する歴史探訪ウォーキング,約4.5km歩く健康ウォーキング,そして体育館内でのレクリエーションです。
 歴史探訪ウォーキングは去年、麻郷の新川地区を中心に歩きました。今年はスポーツセンターの西側にある尾迫地区を中心に歩きました。しかしながら、今回はびっくりするハプニングがあったウォーキングとなりました。

          二番目に訪れた常楽寺と寺経営の幼稚園


 歴史探訪ウォーキングは、予定より早めの9:30にスタートしました。最初に向かったのはスポーツセンターから鳥居が見える尾中三社です。地元の方々が守っている神社や祠です。続いてすぐそばにある常楽寺です。お寺の歴史と、寺経営の幼稚園の歴史を少しお話をしました。

  町長さんなどの祝辞   9:30に歩きスタート    尾中三社の拝殿
  

 常楽寺から緩い坂を下り、しばらく歩くと道路改修記念碑を見学しました。そして、そこから少し歩いたところで、田布施町の名木の一つであるクロガネモチの巨木を紹介ました。橙色の実がたくさんなっていました。
 その名木の紹介が終わると、少し道を引き返して稲荷社に向かいました。下見時にたまたまお声をかけた地元の方に、道を綺麗に草刈りをしていただきました。ありがとうございました。

  草刈りされた道を稲荷社に向かう      稲荷社の天井絵を見学
 

 稲荷社の歴史をお話後、天井絵を見学していただきました。そして、最後の尾迫観音堂に向かいました。その観音堂で大変なことがおきました。すぐに救急車を呼びました。その方は、奥様に付き添われて周東病院に搬送されました。後で聞きましたが何事もなかったそうです。安心しました。来年も歴史探訪ウォーキングするならば、より用心が必要と思いました。対応された役場の方々、お疲れ様でした。

       尾迫地区を中心に回った歴史探訪ウォーキングのコース

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柳井市伊保庄~平生町佐賀 大星山越えウォーキング(2/2)

2023年10月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

 大星山の峠付近で、参加者が二人から三人になりました。その理由は、伊保庄から大星山に登る二人と反対側の佐賀から来た一人が峠で合流したからです。
 峠に着く30分位前、佐賀から来る一人から電話がかかりました。先に到着したようです。そのため、急いで合流地点に向かいました。合流すると、涼しい木陰に移動して昼食休憩をとりました。涼しい風が吹いて快適でした。ただ、すぐ近くで風車が回っていたためうるさいのだけは難点でしたが。

 大星山から下山中、木々の隙間から見えた佐合島,刎島,牛島,そして馬島


 昼食休憩が終わると、のんびりと佐賀に向かって降りました。緩やかな下りでしたので、自然に足が前に進みます。早く進まないように足を踏ん張るのだけが疲れました。
 歩きながら左右を見ると、数十年前には畑があり人が住んでいたことが分かります。山裾が階段状になっており樹も並んで植えてあるので、人の手がかかっていることが分かります。

  風車傍で昼食休憩      緩やかな下り坂    蔓に覆われた木々
  

 昭和20年代、婆様が佐賀小学校教諭時に佐賀の上の方に開拓団があったそうです。開拓団の子供達は山を登り降りして学校に通っていたとのこと。その開拓団に家庭訪問に行ったそうです。実は私の父親も麻郷に入植した開拓団員でした。そのため、言わば私も開拓団の子供だったのですが。
 開拓団員だった父親からたまに、佐賀や上関の開拓団の事を聞いたことがあります。特に上関の開拓団は、父親と同じ満州から帰国した人が開いたとのこと。その開拓団に知人がいたようです。その開拓団は水の問題で早期に解散してしまったとか。皇座山中腹にあったその上関開拓団跡地に父親と行ったことがあります。今はすっかり樹々に覆われています。

    樹々の間に運動場が見える     しばらく歩いて夫婦松に到着
 

 下り坂を談笑しながら歩いていると、平生スポーツ公園の運動場が見えてきました。そして、しばらくすると夫婦松に到着しました。今回の史跡巡りウォーキングの到着点です。ここから、なんとTさんの家に車で向かいました。
 Tさんの家に着くと座って美味しいコーヒーをいただきました。最初喫茶店に向かうのかと思っていたのでびっくりしました。Tさん、美味しいコーヒーありがとうございました。今回は涼しく快適なウォーキングをすることができました。参加された方々お疲れ様でした。

      柳井市伊保庄~平生町佐賀 大星山越えウォーキングコース

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