東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

那須岳を止めて正解、代わりに筑波山に登る

2023年12月05日 | 歴史探訪他ウォーキング

 11月下旬、栃木県の那須岳に登る予定でした。ところが、10月中旬だったでしょうか那須岳の尾根を歩いた4名が遭難しました。風雨による低体温で亡くなったとのこと。そのため、尾根道を止めて森の中を歩くことに変更しました。ところが、森はクマが出没して危険との情報でした。そのため、やむなく那須岳を諦めました。
 そこで、歩きやすい筑波山に変更しました。ところが、その筑波山を歩いたその日に再び那須岳で遭難者が出ました。霊に誘われたのではとの話題になりました。もし那須岳を登ったら私が霊に誘われたか、誘われなくても遭難した方に会ったはずです。それを聞いた時、少し恐ろしくなりました。

           筑波山山頂から、遠く那須岳方面を望んで


 さて、筑波山に変更した理由は6年前に登った時、天狗党を旗揚げした藤田小四郎像を訪れるのを忘れていたからです。今回、その藤田小四郎像を見てから筑波山に登りました。平日でしたので登山道は混んでいませんでした。しかし、ケーブルカーに沿う登り道は前回登った時より疲れました。それだけ、年を取ったことを思い知りました。

  筑波山神社の大鳥居   天狗党藤田小四郎像     紅葉の筑波山神社
  

 幕末で忘れてはならない歴史に天狗党があります。水戸藩の過激な尊王攘夷運動をし、水戸から敦賀まで移動した上で降伏しました。そした、その後の処罰は凄惨なものでした。その凄惨な場所を訪ねて実際に敦賀を訪ねました。また、水戸近くにある天狗党慰霊碑も訪れました。さらに、天狗党の詳細を展示した茨城県大洗町の「幕末と明治の博物館」にも行きました。徳川御三家であるがゆえの悲惨な事件ではないかと思います。
 幕末の歴史を思い出しながら、筑波山麓の樹林帯の道や、巨岩の道を楽しみました。

    樹の根が生える登山道       巨岩(弁慶七戻り)下を歩く
 


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