Sightsong

自縄自縛日記

二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+アルフレート・23・ハルト+竹下勇馬@Bar Isshee

2017-07-07 09:10:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

前夜の演奏が刺激的なものだったこともあり、また観たいと思い、千駄木のBar Issheeに足を運んだ(2017/7/6)。

Nicola Hein (g)
Joshua Weitzel (三味線, g)
Alfred 23 Harth (cl, bcl, voice)
Yuma Takeshita 竹下勇馬 (b)

はじめは竹下勇馬さんのベースソロ。かれの楽器にはさまざまな電子機器が貼りつけてあり、また、アナログ的に軋みながら動作する部品もある。それらと共存しながらの演奏は、向こう側からの音の出し入れが新鮮なものだった。その、出し入れは、弦に手を近づけるだけで行われてもいるのだった(まるでテルミンのように)。

つぎに、二コラ・ハイン、ヨシュア・ヴァイツェル、アルフレート・23・ハルトのドイツ人トリオ(かれらだけの談笑はドイツ語でなされており、ほとんどわからない)。ハルトの希望で照明をほとんど落とし、その代わりに、テレビのサンドストームを明かりとした。

ハルトは、まず、静かに不穏にクラリネットを吹いた。ヴァイツェルは三味線を振動子で震わせたり弾いたりして、大きな流れからのしなやかな逸脱を図る。それに対しハインはモーターでの回転盤で弦を擦ったりもし、連続的な音で攻める。突如音を止めるときのヴァイツェルとの絡みには、まるで邦楽のような匂いもした。

しかし、これは予兆に過ぎなかった。休憩後、竹下さんが加わって全員での演奏は、次第に強度を増してゆき、眼も耳もはなせなくなった。

ヴァイツェルは三味線からギターに持ち替えた。弦の3人が繰り広げる個性の違いは明らかで、そのことが、サウンドに単なる厚みではなく絶えざる彩りの変化を付加し、さらに面白さを増した。ハインの操るギターはまるで弾性体であり、弦と胴との違いを持たない。拳や金属板でギターを殴打する音には、ためらいを超えたときの凄みがある。ヴァイツェルはやはり逸脱に向かった。竹下さんの音は対照的に連続体ではなく、一音ごとの尖りがあった。

そしてハルトは、クラやバスクラを持ち替え、ときに喉にセンサーを付けてエフェクターで闇の向こうの唸りを発した。余裕というのか冗談というのか、いつまで聴いてもポテンシャルを把握できないような人である。

ハルトさんは、カシーバー時代のことや京都精華大学で行ったレクチャーのことなんかを語った。ついでに、「23」について尋ねてみた。

「ああそれは、アーティストとして活動を開始した1985年から付けたんだ」
「大友良英さんは23を付けずに書いていますよ」
「かれはその前の私の活動から知っているからだろう」
「カバラから取ったそうですが」
「うーん、まあね。それよりもあれだ。1+9+8+5は23だろ」
「!! ・・・で、呼ぶときは何と?ドライウントツヴァンツィヒ?」
「それでもいいし、トウェンティ・スリーでも、韓国語でイーシップサムでも、日本語の」「にじゅうさん」「でも、フランス語の○○(わからない)でもいいし。場所によって異なるマジックナンバーだ」

ところで、ハインさんが実に独特なギタリストだということを今回知ったわけだが、さらに興味深い録音もしているという。まずは8月頃に出る3枚組(ソロや、エレクトロニクスとの「オーケストラ」を含む)。そしてネイト・ウーリーとのデュオ(!)。

ヴァイツェルさんもハインさんもこれでひとまず日本を去るのだが、たぶん来年また来るという。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●参照
大城真+永井千恵、アルフレート・23・ハルト、二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+中村としまる@Ftarri(2017年)
『《《》》 / Relay』(2015年)
『《《》》』(metsu)(2014年)


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