ふぉるもさキッチン(台湾厨房)

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日本の面影を訪ねて宜蘭市へ

2009-10-06 16:53:51 | 町を訪ねて
 ご近所の台湾のかたで、日本大好きおじさんに宜蘭市に連れて行っていただきました。この日のテーマは「宜蘭市の中の日本を探そう!」です。はてさて、どんな旅になりますか・・・おじさんの車に乗せていただき、宜蘭に向けてレッツゴーです!


             
 まず、最初に我々が向かったのは蘭陽渓という川のほとり。この辺りは川沿いに長い土手が続いているのですが、川にかかる橋(蘭陽大橋)のすぐ近くにこんな石碑が建っていました。地図には「宜蘭濁水渓治水紀念碑」とあります。


             
 しかしおじさんの説明によると、この碑は“日本統治時代に宜蘭地区の責任者だった西郷菊次郎の栄誉をたたえたもの”なんだそうです。こうして記念碑となって台湾にその名を刻まれている日本人は少なくありません。


       
 次に向かったのは進士社区という地域。静かでのどかな田園地帯です。そんな緑豊かな土地にこんなドーム型の建物がぽつんと建っていました。いったいこれはなーに?


       
 建物のそばに説明書がありました。「進士1号機堡」と書いてあります。赤煉瓦で造られているからでしょうか、「赤蜻蛉」と呼ばれていたようです。
 そう、実はここ、その昔戦争の基地だったのです。当時は戦闘機が配備されていて、ここから兵隊さん達が飛び立っていったのです。
 つ・ま・り・・・・ここはあの“神風特攻隊”の基地だったのですね。第二次世界大戦中、多くの若い兵士が死に向かって旅立っていった場所だったのです。今ではひっそりと穏やかな田畑が広がる、一面のどかな風景なんですが・・・


       
 ドーム型の建物の真ん前に、緑色の草で覆われたこんもりとした塊がありました。よくよく見ると、それは飛行機の形をしています。当時の兵隊さんはこれくらいの大きさの戦闘機に乗って、こちらの方向へと飛び立っていったのでしょうか。


       
 神風特攻隊の基地「赤蜻蛉」の住所はこちらです。興味のある方は是非どうぞ。


       
 「進士1号機堡」から500メートルほど離れたところにも、もう一つドーム型の建物がありました。


       
 こちらは「進士2号機堡」と書いてあります。「進士1号機堡」とほぼ同じ大きさです。


       
 「進士2号機堡」の中にこの辺りの地図があるのを見つけました。これを見ると、当時は基地周辺に弾薬庫や燃料庫なんかがあったのがわかりました。


             
 地図の左横にこの地区についての説明書きがありました。この文によると、昔々この辺りは梅花鹿がいて、平埔族が暮らしていた所だったようです。そこへ漢人がやってきて田畑と家を造り、農作業をするようになったとか。
 そして後に日本人がやってきて、この地を戦争の基地にし、ここから「天皇陛下万歳!さよなら母さん!」と叫びながら飛んでいく悲しい歴史がありました、と続きます。そして戦争が終わり、神社は壊され、時は移り、経済も復興していき、緑の多い自然豊かな土地になりましたというよう文句で締めくくられていました。

 ところで、「進士1号機堡」や「進士2号機堡」から少し北に行ったところに「鑑湖堂」という古い住宅跡があります。ここは18世紀に中国福建省から台湾にやってきた陳計勃氏の子孫が、住んだお宅らしいです。陳氏一族はこの地域の発展に力を注いだ当時のお金持ちで、立派なお宅の回りには大きな池、庭園、書院まであります。


       
 その庭園の中に「落羽松園」という松の木がいっぱい!のお庭があるのですが、これがすごかったです!この地面からぴょこぴょこ飛び出しているのは根っこでしょうか?それとも若木でしょうか?


             
 とっても不思議で、且つ美しい庭園でした。広範囲にわたって松の木が植樹されていて、圧巻という感じすらしました。


       
 「落羽松園」のすぐ脇に、「竹管楽器工房」という小屋があったので入ってみました。ここには竹で作った木琴ならぬ‘竹琴’がたくさんありました。
 中でもこーんなに大きな竹の楽器が!いったいどうやって使うの??


             
 正解はこちら側から、竹筒のくちをスポンジのついたはたきで叩くと、音が出るってわけでした。やってみると、なかなか面白い~!

データ   
宜蘭濁水渓治水紀念碑:9号線沿いの蘭陽大橋北側地点からすぐ。
           最寄りの駅は台鐵二結駅。

「進士1号機堡」:宜蘭市進士路24ー2
        台鐵宜蘭駅より約3,5キロ東南。タクシーで行かれたほうがいいでしょう。

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4 コメント

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Unknown (ぺーぺ)
2009-10-06 19:38:25
ご近所さんと(しかも台湾人の方と)そんな交流があるなんて素敵ですね!!

台湾の歴史を考えると胸が締め付けられるような悲しい申し訳ない気持ちになってしまいます。
日本語教育を受けられてたおじいさんやおばあさんが流暢な日本語を話されてるのを見るだけで私は泣けてきてしまいます。。。

そんな歴史があるのに、その日本大好きおじさんをはじめとして親日家の方が多い台湾の人々は本当に有難いなって思います。
頻繁に台湾を訪れる事は出来ませんが、台湾の人たちと少しでも友好を深めることが出来たらと思っています。
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Unknown (ももママ)
2009-10-06 22:27:08
ぺーぺさん

この場所に連れて行ってくださった方は、大変日本びいきで、日本語もぺらぺらのおじさんです。
今では家族ぐるみでお付き合いをする仲になりました。
そんなわけでこのおじさんは、よく日本文化が残る台湾の地方都市に行かれるのですが、時折私達を誘ってくださいます。

この度は宜蘭市、そしてまた後ほどアップする南澳という所にも連れて行ってくださったのですが、びっくりするような歴史を垣間見、私どもも驚いてしまいました。


年配の方もそうですが、若い方も日本ファンが多い台湾、是非是非こちらにお越しの際は、そういう方々と交流してみてください。
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Unknown (こち)
2009-10-07 20:01:16
私の祖母の兄弟、2人ばかり特攻隊で命を落としています。
祖母も祖父もなくなってしまった今、どこから飛び立ったのかを聞くすべはありませんが、
もしかしたら・・・なんて思ったりして。

つくづく、戦争はいけませんね。

主人が戦争の跡地をめぐるのが趣味だったりするので、
この辺に行ったときにはよってみたいと思います。
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Unknown (ももママ)
2009-10-07 23:54:16
こちさん

えーーーーーーー!
なんと、おばあさまのご兄弟が特攻隊兵士でいらっしゃったんですね。
日本統治の時代だったから、ここから日本の兵士も台湾の兵士も散っていったのかもしれませんねえ・・・

ご主人はこういうスポットに興味がありますか!
では、強力にオススメします!
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