新・ボヤッキーでトンズラーな日記

そこいら辺にいる普通のオッサンです。日々気にくわない事や腹が立ったことをつぶやいています。

あれから1年経ちました

2012-03-11 01:34:10 | 天災

いわゆる東日本大震災が発生して、今日で丁度1年となります。

昨年は平日の金曜日だったので国会が開かれていて、その中継を見ていたのですが、午後2時46分過ぎに突然画面が揺れ出したのはビックリしました!

その後、

地震速報が流れ、各局が一斉に各地からの映像を流し始めたのですが、それからすぐに「津波警報」が発令され、その数字が今まで見たことの無い「6メートル」!

しかし我が家では「今まで1メートルとか言っててもせいぜい数十センチしか来なかったから、今度も多分せいぜい1メートルくらいじゃないか?」と高を括っていた所、予想を遙かに裏切り、押し寄せてきた波が堤防を破壊して町に侵入し、港に接岸されていた船を陸に押し上げながら尚を陸地に向かって流れ、駐車場の車全てを流し、遂には家屋すら破壊しながらも尚も止まらずに流れていく映像を見て文字通り絶句してしまいました。

あまりにも非現実的過ぎて、車がミニカーに思えた程でした。

しかし、その後の各地からの中継を見て絶句を通り越して「これはヒドイ・・・」と、呆然となったものです。

 

それから1年。

亡くなった方もいまだ3千人以上が発見出来ず、生き延びることの出来た方々は今尚苦しみの中で生活し、今尚被災地の復興はなかなか進んでいないのが現状と言えます。

更に、各地で小さな地震も頻発する様になり、日本国民の不安は以前にも増して大きくなっています。

 

そして、こういった大きな災害の報道とかを見る度に、フと「生きるって何なんだろうな」と思う事がしばしばあります。

死んだ人達よりも、自分は本当に生き残るのにふさわしい人間だったのか、と。

しかし、いくら思い悩んでも答えが出るハズもなく、又、その疑問の「正解」は誰も知りません。

もしかすると、これには「正解」なんて無いのかも知れません。

だとすれば、結局その答えは自分自身で見つけるしか無いのでしょう。

 

「北斗の拳」で、ラオウが最期を迎えたとき

我が生涯に一片の悔い無し!

 

と叫びます。

又、最近続編が連載する事が決まった「MASTERキートン」の「穏やかな死」と言う作品では、あるテロリストが地方を旅している時に出会った老人に「いくつの時が一番楽しかったかい?」と訪ねると、

「・・・・・・今だな」

と答える場面があります。

私もいつかそう言える日が来る様な生き方をしたいものですが、現実は色々後悔しっぱなしです。

本当に、時々自分が情けなく、又愚かしく思えたりしますけどね・・・・・・。

それでも一生懸命生きていけば、きっといつか上記の様なセリフを言える日が来ると信じています。

そう。

これから先どのくらい生きていけるか判りませんが、私の寿命が尽きる日まで・・・・・・。