5年前、僕は法科大学院で行政訴訟、主に税務訴訟に関する訴状の書き方や
準備書面の作り方、模擬裁判での証人尋問などを学んでおりましてね。
さて皆さん、我々国民が国や自治体を相手取った行政訴訟でどのくらい勝訴しているかご存知ですか?
実は原告側の敗訴がほぼ99%という結果なんですがね、その大きな理由は何だと思います?
当時、教授や弁護士さん、元裁判官の方々からその理由を聞かされて愕然としたこを記憶しています。
今でもそうでしょうが、裁判所と検察庁との間では『司法交流』とか『判検交流』と言いましてね
裁判所の判事が定期的に検察庁に出向して、行政訴訟での検察官(訟務検事)の仕事をし、
検察庁からは検察官が裁判所に出向して、行政訴訟の裁判官の仕事をする訳なんですね。
これ、どう考えてもおかしくありませんか?
国側の検事が行政訴訟の判事になったら、国側に不利な判決なんて出すわけないでしょ。
裁判官だって国側の立場に立って国民に敵対する検事の仕事をさせられたら洗脳されてもおかしくありませんわね。
国会、内閣、裁判所、これ小学生でも分かる三権分立。
つまり厳格にして完全に独立した侵すべからざる聖域であるわけですよね。
ところが、内閣(行政機関)の一組織である検察と裁判所がこんな人的交流をしている。
これ自体がそもそも三権分立と司法の独立性を侵している訳で公平公正な裁判なんて出来るわけがないのです。
『検察捜査(中嶋博行著、講談社文庫)』
当時読んでいたこの本をもう一度読み返してみました。
現役の弁護士さんが著しただけあって弁護士会の内幕、検察の権力闘争や捜査手法など
実にリアリティのある仕上がりで読み応えのある司法サスペンスです。
検察捜査や汚職事件にまつわる様々な書物を読んでいると、そこには日本や米国の
エスタブリッシュメント(古くからの支配階級)の強い意志が働いていることが感じられます。
例えば、元福島県知事の収賄事件。
小沢事件にも登場する水谷建設会長、この会長に県知事への贈賄を偽証させて
強引に逮捕した訳ですが裁判で検察のねつ造が暴露されて県知事が勝訴。
県知事は晴れて冤罪が立証された訳ですが、この時すでに政治生命は絶たれていたんですね。
いくつかの本を読んで感じることは、検察は勝訴でも敗訴でも良かったということ。
時の政府の方針に楯突いて原発の建設をがんとして受け入れなかった県知事を抹殺すれば良かった。
こんな話しはまだまだあるようである。
善良な国民の最後の拠り所である筈の司法、その司法に真の正義は果たしてあるのだろうか?
準備書面の作り方、模擬裁判での証人尋問などを学んでおりましてね。
さて皆さん、我々国民が国や自治体を相手取った行政訴訟でどのくらい勝訴しているかご存知ですか?
実は原告側の敗訴がほぼ99%という結果なんですがね、その大きな理由は何だと思います?
当時、教授や弁護士さん、元裁判官の方々からその理由を聞かされて愕然としたこを記憶しています。
今でもそうでしょうが、裁判所と検察庁との間では『司法交流』とか『判検交流』と言いましてね
裁判所の判事が定期的に検察庁に出向して、行政訴訟での検察官(訟務検事)の仕事をし、
検察庁からは検察官が裁判所に出向して、行政訴訟の裁判官の仕事をする訳なんですね。
これ、どう考えてもおかしくありませんか?
国側の検事が行政訴訟の判事になったら、国側に不利な判決なんて出すわけないでしょ。
裁判官だって国側の立場に立って国民に敵対する検事の仕事をさせられたら洗脳されてもおかしくありませんわね。
国会、内閣、裁判所、これ小学生でも分かる三権分立。
つまり厳格にして完全に独立した侵すべからざる聖域であるわけですよね。
ところが、内閣(行政機関)の一組織である検察と裁判所がこんな人的交流をしている。
これ自体がそもそも三権分立と司法の独立性を侵している訳で公平公正な裁判なんて出来るわけがないのです。
『検察捜査(中嶋博行著、講談社文庫)』
当時読んでいたこの本をもう一度読み返してみました。
現役の弁護士さんが著しただけあって弁護士会の内幕、検察の権力闘争や捜査手法など
実にリアリティのある仕上がりで読み応えのある司法サスペンスです。
検察捜査や汚職事件にまつわる様々な書物を読んでいると、そこには日本や米国の
エスタブリッシュメント(古くからの支配階級)の強い意志が働いていることが感じられます。
例えば、元福島県知事の収賄事件。
小沢事件にも登場する水谷建設会長、この会長に県知事への贈賄を偽証させて
強引に逮捕した訳ですが裁判で検察のねつ造が暴露されて県知事が勝訴。
県知事は晴れて冤罪が立証された訳ですが、この時すでに政治生命は絶たれていたんですね。
いくつかの本を読んで感じることは、検察は勝訴でも敗訴でも良かったということ。
時の政府の方針に楯突いて原発の建設をがんとして受け入れなかった県知事を抹殺すれば良かった。
こんな話しはまだまだあるようである。
善良な国民の最後の拠り所である筈の司法、その司法に真の正義は果たしてあるのだろうか?
さっそく読んでみるよ。
司法の裏側、なんかうさんくさいぞ。
この本読んでちょっと覗いて見たい気分です。
1、本来、憲法実現の主役を果たすべき国民が無関心であり、またその努力を怠っている。
2、本来、憲法の拘束下に置かれるべき政府が、国民の無関心に乗じて、越権行為を積み重ねている。
3、本来、憲法の砦となって歯止め役を果たすべき裁判所が、憲法衰退化(説明すると長くなるので省略)を黙ったまま放置してきた。
この事にによってもたらされていると思います。
◇今、憲法が失われようとしている転機にあること、
◇改憲問題が社会的な関心事となりつつあること、
◇憲法の目的の一つ「平和主義」の内容の転換を迎えているとき、
であるにも、かかわらず、司法のトップは、
改憲の問題にも触れず、平和主義についても触れず。
憲法判断回避の理論を打ち立てるなどして、長年、憲法理念を磨かないで憲法を錆び付かせてきた自らの姿勢を「努力を続けてきた」と自画自賛しているという点で、三権分立の構造が機能していない状況を、見事にあらわしているので?。
司法や政府に文句を言う前に、まず無関心な国民が目を覚ますのが先決だと思います!。
推理小説はおもしろいよ
司法のどろどろした内幕を知るには
この本はうってつけだす
是非読んでみてね。
いつも思うけれど熊さんの論旨は実に明快、スカッとします。
いつの世も理想と現実は明らかに違うものですな
三権分立も司法の独立も憲法もいつの間にか形骸化してしまった。
権力というものは国民を支配しやすいように扱い易いようにと制度を作り替えたり、そんなことにばかり頭を使っている訳なんですな。
権力の前では国民なんて弱いものですが
なんとかしなければなりませんなあ。
ただ、政権が変わりネットのメディアとしての力が大きくなるに伴い、市井の方々に様々な情報が行き渡るようになってきているだけでも、良かったと思います。
主権者である我々が、もっと勉強をして「おかしなこと」には正々堂々と声をあげ、戦略的に賢明になることが先決だとも思います。
しかし人間社会出来れば今度生まれる時は誰もが検察、裁判所等に関係なく生き方が出来る世になってほしいな~でも今の山親爺は自分で創造し自然の中で第2の人生で実践してます。
司法に関しては、次男が志をもって望んだが、内実を見るにつけやる気を失くしてしまった経緯もあり、話す気が起きない。
唯、三権分立のひとつと言う事は権力を持っているわけで・・・そのために宗教団体やイデオロギー政党は自分のグループの子弟を法曹界に送り込もうと力入れてたりする訳で・・・
お上のやる事は小難しくて、今の目の前の生活に関係なければ避けて通りたいことではあるけれど、ホントはこの社会のアイデンティティーを決するほど大切なことなんだけどねぇ~・・
余程のことがあれば戦う気も起きるのでしょうが・・・
どうも、闘争心よりも嫌気の方が先にたってしまう・・・
老いたのかなァ~
社会の、特に権力とはこんなものですわ。
人はひとたび権力の座に着いてしまうと
権力闘争に明け暮れるようになるものです。
我々に関係ないところでやってくれればいいのですが、そうも言っていられません。
司法もメディアもろくなモノではないとつくづく嫌気がさしてきます。
確かに救いはネットのメディア、検察や政治の裏の裏まで良く分かります。
検察や表メディアに対するネットでの強力な異論反論が功を奏したためでしょうか?
ようやく週刊誌などで検察のリ-クや本音本質が暴かれはじめました。
今や検察は人材不足で大変なことになっています。
検察官の任官数を増やすために、つまり検察の人気を回復し注目を集めるためにも政治家を2~3人逮捕せよ、と言う検察内部の議論。
これは書物の中のことですが、あながち嘘ではなさそうですな。
法科大学院を作って司法試験の合格者を量産していますが、これも検察の任官数を増やすための試み。
これでも任官数は減る一方、弁護士だけが増えちゃって弁護士家業も大変な状況のようですわ。
長いものに巻かれる方が楽だけれど黙っていてはいかん。バッカスちゃんも昔とった杵柄、いざ立たん!