山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

『豊かの森』の黒ヤマト

2008-09-21 22:20:48 | フライフィッシング
是非とも訪ねて見たい沢があった。
原生林の中をひっそりと流れる名もない小さな沢である。

道は無い。地形図を頼りに鬱そうとした樹間を縫うようにして進んだ。
帰りに迷わぬようにと木枝に黄色のリボンを結びながらの探索である。

2時間ほどの道のりであろうか、ヤマトの棲む森には熊も棲む。
その不安よりも未知の沢へのワクワクするような期待の方が遙かに強かった。
中間型を併せて一体どれだけのヤマトに出会えるのだろうか。

ヤマトイワナの棲息域は山梨、静岡以西の太平洋に注ぐ河川に限られると言われる。
しかも今では山懐深く踏み入らなければ出会えない稀少種になってしまった。



樹上には小鳥がさえずり、樹間には風のざわめき、そして樹下には姿の違うキノコたちが生を謳歌している。



森の奥深くへと踏み入ると忽然と小さな沢が現れた。
どこかでこんな沢を見たことがある。人の踏み跡もある。地元の人たちの仕事道であろうか?
この沢は地形図に載ってもいないのに、この道はどこから続いているのであろうか?

春には山菜が芽吹き、秋には木の実やキノコであふれるであろうこの森は
ここに住む人たちにとって昔から豊穣をもたらす森だったに違いない。



ひどい藪沢にも出逢った。
もちろん地形図にも載ってはいない。

沢に出逢う都度、ザックをおろしてロッドを継ぎイワナの存在を確かめてみた。
どちらの沢からもヤマトが飛び出してきた。
まるで警戒心がないかのように一投ごとにフライを咥えてくる。
そして、おしなべて体色が黒いのがこの森のヤマトの特徴のように思える。



このイワナたちは太古の昔からここに棲み下流の大きな流れに
下ることもなくひっそりと穏やかに生きてきたのであろうか。
田舎に住む人たちが、愛するふる里を離れられない心境に似ているような気がしてならない。

単調で退屈でひもじい日々にも拘わらず、季節の移ろいを感じ仲間同士の絆を大切にし
よそ者の侵入を拒み続けてきたイワナたちの生き様を垣間見たような気がする。

それでも純血を保ち続けることの如何に難しいことか(これは中間型か?)



2時間半を費やしてようやく目指す沢に辿り着いた。
地形図のとおりこの沢は浅い谷になっている。
思ったほどの水量はないが途中の2本の沢よりはましである。


野生のイワナは警戒心が極めて強い。
少しの足音で岩陰に潜り込み、驚いて小滝を越えようと飛び跳ねるものもいた。

足音を潜め、左肘で熊鈴をザックに押さえつけ音を立てないようにしながら注意深く遡行した。
それでもフライに対しての警戒心は薄く、ポイントごとに黒いヤマトが飛びついてきた。



体側にある橙色の朱点と腹びれに一筋の白線、そしてお腹のオレンジもみな鮮やかである。



徐々に高度が上がるほどに沢は細くなり森は深くなる。
あの木々の奥から今にも熊が飛び出して来そうな、そんな気配を感じる。



この沢の規模では決して大きくはなれない。
でも凜とした気高さは失ってはいない。



方々を旅して思うことがある。
人はどんな土地にも住んでいるし住むことができる。
そんなしたたかさを持ち合わせていると言うこと。
この森のイワナたちに出逢って同じことを感じた。
山深いこんな細流にまで棲みついているのだから。



このイワナの顔を見て思わず僕は心の中で掌を合わせ頭(こうべ)を垂れた。
この森の中でひっそりと、しかし強い意志を持って生きてきた
まるで役の行者のような風貌には畏敬の念を抱いてしまうほどの重みと深みがある。



原生林をさまよい歩いては釣り、また歩いては釣った8時間であった。
中間型を含めてヤマトの血を色濃く残すイワナたちと沢山出会えた。
今日の探釣の結果に満たされて帰路についた。



車に辿り着いてほっとした瞬間、急に空腹感に襲われた。
そうだ、今まで何も口にしていなかったんだ。
それほど夢中にさせてくれた一日であった。



午後3時過ぎ、車を飛ばしてここに来た。
小雨が上がり雲が晴れた見事な岩峰を眺めながら遅い昼食を取った。

肉離れの左足がちょっと痛む。それをかばって歩いた右足は痙攣を起こして痛い。
でもこんなに満たされた時間を持てたのはしばらくぶりのことである。

この豊穣の森に心から感謝したいと思う。
そして悠久の時を経て永遠に残れと強く願う。
コメント (8)
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