コラリー・ファルジャ監督、デミ・ムーア主演、『サブスタンス』、5/31、109シネマズ佐賀にて鑑賞(レイトショーにて鑑賞料金1500円)。2025年28本目。
第14回折紙探偵団九州コンベンションの懇親会が終わってから映画を観に行きました。
懇親会が終わるのが20:30で、映画が始まるのが21:05だったので、まるで誰かが自分の予定を知っていて、その上で上映スケジュールを決めてくれたみたいに都合がよかったです。
観る前はまるで『ドラえもん』みたいなお話だなって思ったんですよ(こちら)。
でも観てみたら、予想以上に『ドラえもん』でしたね。
もちろんドラえもんは出てこないのですが…。
映画comのレビューを読むと多くのレビュアーの方が本作をルッキズムと若さへの妄執についての映画だと指摘していましたが、もちろんそういった要素がないわけではないですが、自分は本作を単純にルールは守らないとダメだよね、という教訓の映画だと思いました。
『ドラえもん』では助けを求めるのび太のためにドラえもんが秘密道具を出します。
欲の皮の突っ張ったのび太はドラえもんの言いつけを守らず、秘密道具を悪用しますが、その結果痛い思いをします。
しかし最終的にはドラえもんが何とかしてくれ、のび太は窮地を脱し、話は丸く収まります。
本作も似たようなお話ではあるのですが、違いはドラえもんのような、主人公を無条件で助けてくれるような救世主は存在しないということです。
まともな頭の持ち主であれば、エリザベスとスーの関係はエリザベスの協力なしには維持しえないということは簡単にわかるはずのことなのですが、スーにはそれがわからないんですよね。
スーはこれ以上ないというほどにエリザベスを邪険に扱います。
一週間ごとに交代するという最低限のルールさえ守りません。
でもそれも道理なんですよ。
なぜなら二人は別人なのですから。
何を言ってるんだ、二人は別々の肉体ではあっても同じ人物という設定だろうという人もいるとは思いますが、自分はそういうふうには見なかったですね。
同じ人物であれば、記憶を共有していないのはなぜなんです?
記憶を共有していたのであれば、スーはエリザベスをもっと大切に扱っていたはずです。
自分は、スーはエリザベスの身体から生み出された別の個体だと思って映画を見ていました。
そうじゃないと最後の、スーとエリザベスの血で血を洗う肉弾戦も説明がつかないですから。
まぁともかく、ルールを守ることは大切だという映画であることは間違いないと思います。
人はなぜやすやすとルールを破るのか。
それはひとえに想像力が欠如しているからだと思います。
だからこそ、空き缶をそこら中にポイ捨てするし、平気で歩道を自転車が行くのでしょう。
かくいう自分も先日とあるルールを守らず痛い目に合いました。
これからはルールを守るようにしよう、、、いやぁ、自分ものび太並みに意志が弱いのでとても出来そうにありません。
話は変わりますが本作はこれ以上ないというぐらい思いっきりホラー映画なのですが、本作はホラー映画であることは伏せて宣伝されているようですね。
自分みたいにホラー映画的展開が大歓迎という人間ならともかく、ホラー映画が大の苦手で、本作をただのSFサスペンスだと思って観に行った人はエライ目に合ったんじゃないでしょうか。
やはりホラー映画はホラー映画だと正しく宣伝すべきだと思うのですが、、、そうするとそんなに興行収入に響くんでしょうか。
正しく宣伝して興行収入に響くというのもおかしな話だと思いますけどね。
お気にに入り度★★★★、お薦め度★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
第14回折紙探偵団九州コンベンションの懇親会が終わってから映画を観に行きました。
懇親会が終わるのが20:30で、映画が始まるのが21:05だったので、まるで誰かが自分の予定を知っていて、その上で上映スケジュールを決めてくれたみたいに都合がよかったです。
観る前はまるで『ドラえもん』みたいなお話だなって思ったんですよ(こちら)。
でも観てみたら、予想以上に『ドラえもん』でしたね。
もちろんドラえもんは出てこないのですが…。
映画comのレビューを読むと多くのレビュアーの方が本作をルッキズムと若さへの妄執についての映画だと指摘していましたが、もちろんそういった要素がないわけではないですが、自分は本作を単純にルールは守らないとダメだよね、という教訓の映画だと思いました。
『ドラえもん』では助けを求めるのび太のためにドラえもんが秘密道具を出します。
欲の皮の突っ張ったのび太はドラえもんの言いつけを守らず、秘密道具を悪用しますが、その結果痛い思いをします。
しかし最終的にはドラえもんが何とかしてくれ、のび太は窮地を脱し、話は丸く収まります。
本作も似たようなお話ではあるのですが、違いはドラえもんのような、主人公を無条件で助けてくれるような救世主は存在しないということです。
まともな頭の持ち主であれば、エリザベスとスーの関係はエリザベスの協力なしには維持しえないということは簡単にわかるはずのことなのですが、スーにはそれがわからないんですよね。
スーはこれ以上ないというほどにエリザベスを邪険に扱います。
一週間ごとに交代するという最低限のルールさえ守りません。
でもそれも道理なんですよ。
なぜなら二人は別人なのですから。
何を言ってるんだ、二人は別々の肉体ではあっても同じ人物という設定だろうという人もいるとは思いますが、自分はそういうふうには見なかったですね。
同じ人物であれば、記憶を共有していないのはなぜなんです?
記憶を共有していたのであれば、スーはエリザベスをもっと大切に扱っていたはずです。
自分は、スーはエリザベスの身体から生み出された別の個体だと思って映画を見ていました。
そうじゃないと最後の、スーとエリザベスの血で血を洗う肉弾戦も説明がつかないですから。
まぁともかく、ルールを守ることは大切だという映画であることは間違いないと思います。
人はなぜやすやすとルールを破るのか。
それはひとえに想像力が欠如しているからだと思います。
だからこそ、空き缶をそこら中にポイ捨てするし、平気で歩道を自転車が行くのでしょう。
かくいう自分も先日とあるルールを守らず痛い目に合いました。
これからはルールを守るようにしよう、、、いやぁ、自分ものび太並みに意志が弱いのでとても出来そうにありません。
話は変わりますが本作はこれ以上ないというぐらい思いっきりホラー映画なのですが、本作はホラー映画であることは伏せて宣伝されているようですね。
自分みたいにホラー映画的展開が大歓迎という人間ならともかく、ホラー映画が大の苦手で、本作をただのSFサスペンスだと思って観に行った人はエライ目に合ったんじゃないでしょうか。
やはりホラー映画はホラー映画だと正しく宣伝すべきだと思うのですが、、、そうするとそんなに興行収入に響くんでしょうか。
正しく宣伝して興行収入に響くというのもおかしな話だと思いますけどね。
お気にに入り度★★★★、お薦め度★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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