この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

今さらながら『残り全部バケーション』について解説してみる。

2020-01-30 21:15:52 | 読書
 昨日、『残り全部バケーション』に関する記事にコメントがつきました。
 コメントがつくこと自体嬉しいことですし、そのコメントが礼儀正しいものであればなおさらです。
 だからというわけではないのですが、今日は今さらながら『残り全部バケーション』について解説してみたいと思います。
 目新しいことを書くつもりはありませんが、出来るだけ読みやすい文章を心がけたいと思っています。

 まず大前提となるのは「岡田が生きている」ということです(そんなの勝手な決めつけだ!という人はさすがにいませんよね?)。
 そして「岡田が生きている」ことを溝口は知りません。
 なぜ溝口は「岡田が生きている」ことを知らないのでしょう?
 言い換えれば、なぜ岡田は自分が生きていることを溝口に知らせないのでしょう?
 普通に考えれば溝口が心配していることはわかりそうなものですけどね。
 でもこの疑問に答えることはさほど難しいことではありません。
 毒島の元に連れ去られた岡田が無事に戻ってきて、無事に戻ったことを岡田が溝口に知らせないのであれば、捻らずに考えれば、毒島が岡田に無事であることを溝口に知らせるな、と口止めしたのでしょう。
 それ以外の可能性はちょっと思いつきません。

 ここで別の疑問が生じます。
 毒島が岡田を無事に返したのであれば、毒島は岡田が裏切っていない、裏切ったのは溝口であることを知っていたことになります。
 溝口が裏切ったことを知っていたのであれば、なぜ毒島は溝口に直接罰を与えないのでしょう?
 裏切りの代償に指を詰めるなり、歯をすべて叩き折るなり、ドラム缶に詰めて東京湾に沈めるなりすればよさそうなものですけどね。
 この疑問については後ほど答えたいと思います。

 ともかく毒島は岡田に無事であることを溝口に知らせるなと口止めしたということは、溝口に岡田が死んだと思わせたかったということです。
 であれば毒島としては夜中に岡田がコンビニに出かけて偶然溝口に出くわす、そんな状況も避けたいはずです。
 具体的にどうするかというと、毒島は溝口から岡田を出来るだけ遠ざけるのではないでしょうか。
 24時間溝口を見張って岡田と鉢合わせしないようにするよりはるかに簡単ですからね。
 つまり二人は“生活圏”が異なっていた、そう考えられます。

 一方溝口は「サキ」と名乗る管理人の食べ歩きブログの常連でした。
 食べ歩きブログの記事は次のようなものが考えられます。
 「駅前に出来たケーキ屋さんのモンブランがすっごく美味しいよ~、みんなも食べてみてね♪」
 それに対する常連のコメントはこんな感じでしょうか。
 「あのお店のモンブラン、確かに美味しいですよね!」とか「今度そのケーキ屋さんに行ってみますね!」
 このやり取りが何を意味するかというと、食べ歩きブログのような地域密着型のブログにおいて、管理人と常連が話題を共有するためには“生活圏”を共有する必要があるということです。

 今ここで岡田と溝口の“生活圏”が異なり、「サキ」と溝口が“生活圏”を共有すると考えられるのであれば、「サキ」と岡田は別人である、そう考える方が(そうでないと考えるより)自然です。
 岡田が「サキ」でないなら、食べ歩きブログの管理人「サキ」は早川沙希である、と考えるべきです。
 ここにきて管理人「サキ」が岡田でも早川沙希でもない第三者であるとは考えにくいですからね。

 ではなぜ毒島は岡田に直接罰を与えなかったのか、それは、、、今日はもう夜も遅いのでそれについて語るのは別の機会にしたいと思います。
 ご容赦ください。
コメント
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