ブログ 「ごまめの歯軋り」

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森本あんり著 「異端の時代ー正統のかたちを求めて」 岩波新書(2018年8月)

2019年09月25日 | 書評
栃木県下野市 天平の丘国見山(古墳)

世界に蔓延するポピュリズム、それは腐蝕しつつある正統である民主主義の鬼子か異端か  第10回

第6章 形なきものに形を与えるー正統の輪郭

正統の定義を考えよう。20世紀初めの作家チェスタトンは、異端者は頭が良くてカッコよく自由で進歩的で勇気ある人とみなされてきたことに反論して、芸術上の自由はあるものに本来備わっている法則にしたがうことによって得られる、制約なくして自由はないという。正統もこれと同じである。ヴィンケンティウスは、正しい解釈の道筋とは「どこでも、いつでも、誰にも信じられてきたこと」であるといった。正統とは内容の無い空疎な容器である(絵画の額縁のこと)ともいった。正統とはそれ自体で定義されず、容器(境界、輪郭)によってしか特定できない内容を持つとしか言いようがない。自由と限定の相克の弁証法を用いて、正統のありようをを考える。正統を神学的に根拠づける試みは、とにかく解決の出口のない困難に突き当たる。正統がある座としては公会議や教皇の教書、聖書等が考えられる。聖書に明示された指示がない案件にはさまざまな論争が発生した。三位一体論やキリスト論といった根本教義すら聖書的な根拠があるわけではない。ヴィンケンティウスの定義より、一般に信じられていたことを網羅的に示す事は不可能である。異端に対する正統の特徴はその全体性にある。肯定的にその内容を示す代わりに、そこを超えたらもはや正統ではありえないといった輪郭から攻めることになる。カトリック教会が古代から用いてきた異端排斥文「アテナマ」(呪われたもの)は宗教的な禁忌を示した。宗教改革後のトレント公会議では「教令」が肯定的に示され、「規定」でプロテスタントの主張を否定形で示した。このような否定形の定義(ネガティブリスト)は、言語表現の正当性とよく似ている。人は文法構造に則った正格の言語運用ができる。これを言語能力(生得で普遍的な能力)という。文法が正統な規則であるが言語運用のすべての支配法則を網羅的に記述したのではない。正統においても、「~である」と定義できるのではなく、「~は正統でない」と定義される。正統は存在論的には異端に先だって存在し、認識論的には異端によってはじめてその在処を知る事が出来る。正統のとらえ方にはこの「境界設定型」と「内容提示型」がある。内容例示型の正統表現はあくまで多くの可能性の内から明らかと思われるサンプルを示すことである。それは「原理主義」に陥りやすい。現在イスラム教において「始原への復帰」を掲げるが、その主張内容は現代的な反動で、彼らが選択的に理解した限りの原理、始原に過ぎない。プロテスタント教会でも原理主義への傾斜が激しく、「ドルト信教」や「ウエストミンスター信仰白書」をプロテスタントの正統とみなすときは「原理主義」となる。堀米庸三氏は1964年「正統と異端」を著し、封建性において自由がそれを護る力による制約と不可分であることを示した。自由は秩序による拘束なしには保護されないという。「鳥の自由」は社会の外に立つことになる。キリスト教者はすべてのものに仕える僕であると同時に、すべてのものの上にたつ自由な主人たる地位を得るのである。ハンナ・アレントによると、世界の歴史において「革命」と呼ばれるのは「アメリカ革命」だけであるという。それは植民地からの解放だけでなく、新しい自由を創設したからである。「フランス革命」は抑圧された貧しい者を解放すれば、自然に権力の移行が進むと考えたが、恐怖政治、皇帝政治、王政復古と共和国の交代劇が続いた。社会主義革命はマルクスの予想に反して、力を持たない大衆による革命は不可能で、不安定な永続革命が続くか独裁政治に陥り、貧困階級の解放にはつながらなかった。アメリカ革命は憲法の制定で具体化された。「憲法は理解され、是認され愛されなければ規範とはならない」と第2代大統領ジョン・アダムスは言った。この権威を付与するものこそ、正統性に他ならない。1620年「メイフラワー契約」とは、植民地の人々は本国とは独立に自分たちの市民政治体を形成し、自発的にその権威に従う契約である。その例が州憲法である。マサチューセッツ州では1641年に市民の法律と権利を定めた「マサチューセッツ法典」をまとめた。これはいわば「権利章典」であるが本国イギリスより半世紀も前のことである。この自由の中身は複数の「創設された自由」の集合体である。自由は形を与えなければ存在しえない。正統の概念と同じである。無制約の自由は想定していない。自由は一つ一つ吟味して加えてゆく複合体である。正統に形は杳として見えてこない。理性の能力と限界を追い続けたカントは理性によって到達できない高みがあるという。それでもなお我々は想定し、要請し、仮象するのである。有限と無限の間、可能と不可能の間に何かがあると悟った時「言葉は肉(形)となった」(ヨハネ福音書)という。キリスト教は「神が人間になった」という主張を掲げて人の救済の基礎とみなすため、とりわけ制度化や組織化への志向性が強い。しかしすべての組織は権力が伴う、すべての権力は腐敗する、宗教の権力も腐敗する。近代世界を構成する宗教関係の基本構造は、宗教権力が世俗権力と渡り合い、共存の道を探り合った歴史的経験の上に成立している。「カイザルのもの」と「神のもの」との二元論が人々の正統性のもう一つの源泉である。丸山眞男氏は、今日の日本社会では政治以外の文化的な価値が政治にすり寄って一元化され、国家権力は社会のすべてを呑み込んでゆくリバイサン化してしまったという。「反知性主義」も理性への反発ではなく、知性と権力が結びついた「知性主義」への反発という意味合いが強い。ということは知性を装う者も腐敗するということである。

(つづく)

森本あんり著 「異端の時代ー正統のかたちを求めて」 岩波新書(2018年8月)

2019年09月24日 | 書評
渡良瀬遊水地 矢田川

世界に蔓延するポピュリズム、それは腐蝕しつつある正統である民主主義の鬼子か異端か  第9回

第5章 異端の分類学ー発生のメカニズムと中世神学(その2)

異端の発生経路は善意が肥大化して悪をなす類であるが、もう一つの特徴はいつも「原点回帰」を唱えることである。原初的な啓示と自己の現在を無批判に媒介すると一切の歴史的夾雑物を棄て去るラジカルな理想主義と英雄的な厳格主義(リゴリズム)となる。これに対して正統はこの世の不完全さを前提にして出発するので、「人間と社会の欠陥に寛容」である。ゆえに異端の高貴さ、正統の凡俗さが言われる。「正統は最大母集団で異端は小数精鋭集団」とトレルチはいう。キリスト教の場合「原点」とは聖書時代の啓示のことで、しかも異端の主観に基づく真実である。時代を現代に持ってきて、ソ連社会主義の歴史における「スターリン批判」という異端を考察しよう。フルシチョフのスターリン批判が開始された時、ソヴィエト体制の指導原理であるマルクス・レーニン主義はそのまま正統の座を維持した。個人崇拝や弾圧粛清を「スラ―リン個人に属する異端」とみなし、異物を排除し正統は維持した。これは丸山氏がいう「O正統論」である。ファシズムではこのような議論は起きなかった。「スターリン批判」という異端処理の方法がカトリック教会の正統維持の方法とよく似ている。社会主義の正統性はスターリンという人間の徳性に依存しないと、異端部分を切り捨てて本体を守ったのである。堀米庸三氏は1964年「正統と異端」(中公新書)を著した。中世の教会改革を秘跡論から通観するもので、正統性と合法性の区別を考える上で重要である。11世紀のグレゴリウス改革は政治思想史としては一般に「叙任権闘争」としてしられるが、その中核は教会の内部浄化であり、その支柱は秘跡(サクラメント 洗礼)論であった。この秘跡論は古代教会のドナティスト論争を受け継いでいる。「ドナティスト」とは秘跡の有効性を巡って紀元4世紀北アフリカに興った厳格主義運動であるが、当地の被支配民族であったポエニ人やベルベル人の反ローマ体制運動でもあった。論争の発端はディオクレティアヌス帝の迫害の下で教会を裏切った者が迫害後に帰ってきて司教に叙階されたことに対するドナティスト派の抗議運動である。おりしも313年コンスタンティヌス帝が「ミラノ勅令」でキリスト教を公認している。ローマ帝国と親密な関係になった教会に、ドナティスト派は憤慨した。313年アルルの公会議はドナティスト派の非難に答えて、「異端から教会に復帰した者に再洗礼は必要ない」という決定をした。サクラメントとして洗礼も叙階も生涯に一度受けるだけで無効になることは無く、したがって再度施す必要もないというものであった。ドナティスト派厳格主義からすると、「使徒的継承」を重視するので受け入れられない決定であった。こうしてドナティストはカトリック教会と一線を画し距離を置いた。北アフリカで勢力を増すドナティストに足して神学的論戦を展開したのはアウグスティヌスであった。ベルギウス論争でもこのドナティスト厳格主義論争でもアウグスティヌスは正統の代弁者であった。教会は聖人の集まりでもなく罪人を招く所である。個々の人の罪は教会の神聖さを損なうことはない。正統は正統ならざるものを受け入れ、その全体性を維持するからこそ、教会は正統であり続けるという論理であった。教会は神のものであるから秘跡サクラメントは決して損なわれない。5世紀末、アカキウスの棄教事件に関する教皇アナスタシシウス二世の書簡「離教者が授かった諸秘跡の有効性」で、アウグスティヌスの論がカトリック教会の公式見解となった。七つの秘跡の内、洗礼、堅信、叙階の三つはそれを受けた者に「消えない印」を刻み付けるとされた。聖職者は信徒に戻ることは無いのである。聖職者の身分を喪失することは、叙階に基づく権利の行使を停止されることであって、叙階そのものを取り消されることは無い。「非合法だが有効」という微妙な立場となる。医者でいえば「ブラックジャック」のようなものであろう。神が授けた秘跡は教会が左右することはできない、つまり教会は最高権力者でなく、神が最高権力者であるという。聖俗両権の争いは、「叙任権闘争」で「皇帝のカノッサの屈辱」事件を生んだ。中世の教会のその背後にあったのは聖職の売買という教会内部の腐敗の進行である。曖昧な「非合法だが有効」という教会の詭弁は、あちこちで破綻をきたしていた。教皇グレゴリウス七世は叙階を無効とする決定をして「異端的な秘跡論によって正統を確立」という矛盾に陥った。グレゴリウスの改革によって俗権からの自由を獲得し叙階と叙任を行うようになった。修道院運動は使徒的清貧と道徳的厳格主義を掲げて民衆の支持を得るが多数の会派に分裂した。14-15世紀にかけてドナティスト厳格主義が隆盛を誇り、悪しき祭司によるサクラメントは無効と論じた。16世紀にはプロテスタントの宗教改革が始まると、ドナティスト厳格主義から離れていった。ルターやカルヴィンは聖書や伝統のラジカルな改革者であったが、教会の存在については中世カトリックの伝統をそのまま踏襲した。ルターより左派の人々は教会を否定しルターと鋭く対立した。主流派のプロテスタントは彼らを「ドナティスト」と呼んで批判した。

(つづく)

森本あんり著 「異端の時代ー正統のかたちを求めて」 岩波新書(2018年8月)

2019年09月23日 | 書評
渡良瀬遊水地より筑波山を見る

世界に蔓延するポピュリズム、それは腐蝕しつつある正統である民主主義の鬼子か異端か  第8回

第5章 異端の分類学ー発生のメカニズムと中世神学(その1)

正統が規範や原理や教義から作り出されることはない。予め存在論的に正統であったものだけが、教義により認識論的にも正統と認められるのである。つまり正統は存在論の領域にある。教義を正統の根拠とするのは認識論的な理解の偏重に過ぎない。教義も正典も後追いである。ベラギウスは、人間が神の助力を得なくとも善を行い完全な人間になれると主張してアウグルチウス派から異端とされた。正統のアウグルチウスは、人間は生まれつき罪を負っていている弱い存在であるとして「原罪」という教義を生み出した。「原罪」に対して神の恩恵にすがり贖罪と祈りを捧げることがキリスト教者であることが正統とされた。ベラギウス派は自分という存在が自分の意思の産物であると思い込むことにある。ブルガリアの政治学者トドロフは現代人の自己理解はベラギウス主義から由来するという。21世紀は民主主義が内部から崩壊する危険にさらされている。その危険とは「自分自身に酩酊する意思」の思い上がりだとする。民主主義は人民、自由、進歩という3つの構成要素を持つが、その互いの制約を逃れると、ポピュリズム、新自由主義、政治的メシアンニズムという怪物を生み出すのである。この思い上がりをキリスト教ではベラギウス主義と呼ぶ。それは自由意志の力でユートピアを建設しようとする思想であり、キリスト教史に度々興った「千年王国論」という異端です。2012年トドロフはこれを「メシア無きメシア信仰」と呼んだ。自己肥大した大衆がメシアを僭称しているというべきである。政治的メシアニズムでは革命政府は必然的に恐怖政治へ転化し、友愛を唱えて植民地主義に、強圧による進歩主義の押し付けになる。ベラギウス主義は善が勝利することへのほとんど宗教的な信頼である。新自由主義による開かれた市場が富をもたらし、原発は制御可能の技術であると安全と安心を吹聴し、言論の自由は代えがたい価値を持つと考えることである。しかし現代のデマゴーグはマスメディア媒体を通じて大衆を操作するのである。流される情報そのものが選択された意図を持つ情報である。人間は決して自己の運命の支配者ではない。自由は制約された条件の下でしか存在せず、善は暴走して悪をなすのである。トドロフも民主主義以外に良い政治形態があるとは考えていないが、規制の権威構造が崩壊し、ラジカルな体制の変革が叫ばれ、自己の善を過信する異端ベラギウス主義が再興する。異端という言葉は選択というギリシャ語に由来し、「健康な全体からその構成要素であった一部が不均衡に肥大化して発生する」。全ての要素は必要でありエネルギーを持っているから健康(正統)なのである。何が正統で異端なのかは「歴史の審判」を待つことで、判定には時間がかかる。初期キリスト教ははじめユダヤ教の内部で生まれ、成長しユダヤ教という正統から異端視され排除された。キリスト教の最初の教会は「ナザレの異端」と呼ばれた。聖パウロは最初は「疫病人」とそしられた。「異端」という言葉は宗教学では「分派」ということです。日本の政党政治では党内派閥を「分派」、主流派と対立すれば「異端」。党を出れば「異教」となります。異邦人伝道を巡ってペテロからパウロに主導権が移行するプロセスは、民族宗教であるユダヤ教から世界宗教としてのキリスト教への転成の時期に相当します、イスラム教では原則的に聖職者集団が存在しないためと政教一致のため宗教的な正統性は政治的な正統性であった。イスラム教における正統性は預言者ムハンマドの血統を継承する者は誰かに集約される。スンナ派とシーア派の違いはムハンマドの従兄アリーの位置づけを巡る意見の違いによります。L正統だけがイスラム教の正統になり、宗教と政治の両権にまたがる全権が継承される。丸山眞男は儒教における正統は朱子学で異端は仏教だという。丸山は、架空のストーリーとして山鹿素行、荻生徂徠、中井竹山の儒者3人に日本という正統論と異端論を議論させている。山崎闇斎では異端に対しては戦闘的になる。彼らの正統は日本であり、どの宗派がその正統を担うかということである。幕藩体制は朱子学を正統とした。バランスを考えた論は佐藤直方の「理気論」に見られる。かれは「異端は片足で行くこと」といい、対立する者との全体的な統一を欠いた議論を戒めた。中庸や平衡は危ういバランスに上に成立する。キリスト教の三位一体論もそのような動的平衡の中からかろうじて生み出された正統であった。

(つづく)

森本あんり著 「異端の時代ー正統のかたちを求めて」 岩波新書(2018年8月)

2019年09月22日 | 書評
カランコエ

世界に蔓延するポピュリズム、それは腐蝕しつつある正統である民主主義の鬼子か異端か  第7回

第4章 聖職者が正統を担うのか

3つ目の要素「職制」とは、宗教内の専門家集団、キリスト教では聖職者の秩序のことである。カトリックでは教導権を持つ教皇と司教を指し、階層的なヒエラルヒーで成り立っている権威のことである。正典や教義を人間がどう解釈するか、その権威を一手に握っているのが聖職者である。カトリックではまず教会を信じなさい、その上で聖書を信じなさいと言うことで教会の権威がなければ聖書を読むこともできないのである。「万人祭司制」を取るプロテスタントは、このようなカトリック的権威体制を嫌うが、聖書解釈は定まっており構造的にはさほど差はない。キリスト教の重要な教理は大衆という分厚い層の祈りと典礼こそが権威を持つ。正統は少数の専門家集団よりも大多数の一般信徒が握っていると言える。325年の第1回ニカイア公会議において「去勢」の禁止が定められた。キリスト教の性倫理は、神の創造物である人間の性について肯定的である。禁欲主義とは何の関係もない。旧約聖書以来「去勢」は厳しく禁じられている。キリスト教の結婚観は当時のローマ帝国の社会制度と整合性を持ち、一夫一婦制が原則である。当時の古代経済社会の道徳の規範的原理であった。ギリシャ・ヘレニズム世界には有力な禁欲思想が存在した。ピュタゴラス派、プラトン哲学、ストア派(ストイックという言葉を持つ)は禁欲思想が濃厚で、霊と肉体の二元論で葛藤をしていた。キリスト教は性に寛容で、これらの哲学的教派を斥けて自己確立を成し遂げた。修道院制度が3世紀に始まったことは、ちょうど迫害による殉教が無くなった時期に一致し、「禁欲」で神に奉仕する一団を生んだ。禁欲主義の代表者は3世紀のオリゲネスであった。「アレクサンドリア学派」の神学者で禁欲的な生活を送ったことで有名である。4世紀の末ローマにやってきたベラギウスは豊かなローマ社会の退廃と不道徳を目のあたりにして痛烈に批判した。聖書に忠実なベラギウスは人々に高度な倫理的生活の実践を要求した。ローマで彼はアウグスティヌスの恩恵論と激しく対立し人間の意思と努力を厳しく要求した。下手をするとベラギウスの自力本願はカントの実践倫理学の命題「汝にはそれが可能である。なんとなれば汝はそれをなすべきだから」という主観論になる。正統の担い手であるアウグスティヌスは凡庸なる大衆の味方であった。パウロは善を実行できない人間の弱さを「罪の法則」と呼んだ。アウグスティヌスの正統はいわば他力本願で「なんという惨めな人間なのだろう、誰が私を救ってくれるのだろう」が正統の位置を占めた。これは実存の真実をついていたからだ。彼は人間の堕落という普遍的な現実を見据えていると言える。ベラギウスは個人的修養によってエリートの徳と完成を求めなら、アウグスティヌスは人間は皆惨めな存在で、その点において人間は平等であるという。

(つづく)

森本あんり著 「異端の時代ー正統のかたちを求めて」 岩波新書(2018年8月)

2019年09月21日 | 書評
鶏 頭

世界に蔓延するポピュリズム、それは腐蝕しつつある正統である民主主義の鬼子か異端か  第6回

第3章 教義が正統を定めるのか

ドイツの神学者アドルフ・ハルナックは1899年ベルリン大学で「キリスト教の本質」について講演を行った。彼は当時のキリスト教がその本質を大きく逸脱していると指摘した。その第一は単純素朴なイエス信仰はギリシャ哲学の影響をうけて高度に思弁的な教義に化してしまったという。この「ヘレニズム化」はパウロによって始まり三位一体論やキリスト論といったキリスト教の信仰の中核部分にまで達した。「ヘレニズム化」も「土着化」の一つに過ぎない。彼はこの変質したキリスト教から本質を取り戻すには、16世紀のドイツに始まったルターのプロテスタント宗教改革である「ドイツ精神」であるという。彼は「神の国の到来、父なる神、人間の魂の価値、義と愛の戒め」をキリスト教の本質と断じた。彼のいう「キリスト教の本質」の回復運動それ自体はまぎれもない民族主義運動であった。そしてドイツは第1次世界大戦に突入した。第2章で正統は正典の形成に先だって存在しており、むしろその正統に則って正典が定められたと結論した。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は正典を持つことで正統であるという考えを「啓典宗教」ないしは「書物宗教」と呼ばれる。本章では正典と解釈者の間にあってそれらをつなぐ役割をする二つ目の要素「教義」(教理)を検討しよう。教義はなぜ必要かというと、文章をかいつまんで説教する教えの体系があると便利だからだ。啓典宗教では正典→教義→正統という順になる。しかし前章の結論は正統→正典→教義→正統という順も考えられる。5世紀半ばヴィンケンティウスはなぜ教義が必要かに答えて「預言的で使徒的な聖書の解釈の道筋は、教会的でカトリック的な意味という規範に則して方向づけられることが必要なのである」といった。正しい解釈の道筋とは「どこでも、いつでも、誰にも信じられてきたこと」である。普遍的で古代から合意されてきたことである。人間の努力より神の恵みを重要視するアウグスティヌスを批判してヴィンケンティウスはこれを書いた。三位一体論の確立者アウグスティヌスについては、出村和彦著 「アウグスティヌスー心の哲学者」にまとめた。正統はどこでもいつでも昔からそう信じられてきたことが重要なことである。正統は信じられなければ権威はない。正統は自ずと醸成され知らぬ間に人々の心に浸透する。長い時間をかけていつの間にか精神の支配を樹立した者だけが正統たりうるのである。これは「信憑性」の問題である。曖昧な表現で内容がさっぱり分からない定立である。(戦前の天皇制は教育によって国民全体が信じ込まされてきて習い性となっただけだともいえる。これを正統と言えるのか、戦後の天皇の権威の失墜はどう説明するのか。政治的な意味で日本の正統は存在するのだろうか。日本の定義と同じで、島国であるからこそ生き残ってきただけで、空軍力で簡単に国境はなくなったので、大陸国家と同じ運命に晒されている。) 話をもとに戻すと、キリスト教の正統と言われる二つの教義の成立と異端派について述べる。三位一体論は325年に行われた第1回ニカイア会議で定められたもので、神が父・子・聖霊をもつ一つの神であること、キリストが父なる神と実体を一にすることを宣言した。主流派はアタナシオス派と言われ、異端派はアリウス派と呼ばれた。キリスト論については451年のカルケドン会議で定められたもので、子なる神が全き神であると同時に全き人で会って神人の両性は混合することも分離することもないという内容である。主流派はカルケドン派で異端派はネストリウム派で単性論を唱えた。合性論(折衷)派が正統論争で勝ち、分離派は敗れて異端とされた。聖書のどこを読んでも「三位一体」という言葉はない。高度に思弁的な教理である。イエス自身は自分を神だと意識したことは一度もないのである。にもかかわらず正統は三位一体論とキリスト両性論によって担われた。それはキリスト教は究極的には「啓典宗教」からフリーであるからだ。キリスト教は「歴史宗教」である。1902年トレルチはハルナックの「キリスト教の本質」を評した本を書いた。彼は本質は原形態にあるのではなく、歴史的・規範的に考えなければならないと考えた。そして本質は過去を見ていただけでは分からない、将来に向かって歴史に参加するという「本質形成」の立場になければ規定できるものではないという。ハナルックもトレルチも本質規定には規範理念や歴史参加という主体的要素が必要だという。それはは同時に「主観主義」に陥る危険性はらんでいる。正典が教義を規定するわけではなく、正典や教義が正統を変えることはできないということは、本質を定義する素材はキリスト教伝統の歴史全体である。「処女降誕」の教義は人々の中から生まれた信仰であり、キリスト教の歴史では遅くなって導入されたと知られている。教義はいつも後追いである。教義があって信仰が生まれるというより、本当に祈るのは本当に信じていることだけである。その心の深奥に語りかける者だけが、真の権威を持つ。正統はそこに宿るものだという。

(つづく)