ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート デカルト著 谷川多佳子訳 「方法序説」 (岩波文庫)

2016年05月30日 | 書評
近代科学思想の確立を告げる、新しい哲学原理と方法 第1回

おそらく高校生の頃に、このデカルト著 「方法序説」は読んでいたと思う。なぜ今頃「方法序説」を読むのかというと、吉田武著 「虚数の情緒ー中学生からの全方位独学法」(東海大学出版部 2000年)という大著(全体で約1000頁)にも、これと同じ「方法序説」という時代がかった言葉を見たからである。この本は第Ⅰ部「方法序説」、第Ⅱ部「数学」、第Ⅲ部「物理」からなり、第Ⅰ部「方法序説」には何のためにこんな大著を書くのかという、著者が本書に掛ける思いのたけを述べている。そこでは、次のような著者の考え方が披露されている。要約すると、巻頭言には「自分の頭で、他人の干渉を許さない絶対の意志の下で、基礎的な数学の訓練を受けておく必要がある」という本書の趣旨が書かれている。何故なら今日頼りになる大人が全くいない情けない状況であるからだ。現在の日本型教育の最大の問題点は「教え過ぎ」である。知識に溺れる者は、考えることを放棄するものである。詰め込み教育は浅薄な訳知りの「10歳の老人」を生み出す事を目的としているようである。必要なのは「驚く能力」を持つ「百歳の少年」である。時間に余裕があり、先に進むことを目的とせず、じっくり数学の古典を学ばねばならない。本書は好奇心溢れる健全な精神を持った人間を作ることを目指している。では第1部「方法序説ー学問の散歩道」に入ろう。吉田武著 「オイラーの贈物」には、この方法序説という内容はない。なぜ数学を学ばなければならないのか、数学を学ぶと何が変わるのか、吉田氏はここから数学教育を論じたかったようである。むろん知識の体系から言うと数学は一部に過ぎない。すべての学問の中の数学という「全人的数学」を学ぶ意志があるのかということが求められる。第1部は全1000頁の本書からすると120頁に満たない、約1割強である。だから気楽に読んで著書の気持ちを知っておくことが重要である。数学教育の問題点は公式を暗記すると考えると、もう万事休すである。公式はいつどこでも自分の力で導出できるようでなっていなければならない。そのためには概念の定義を知り、そこから導かれる定理の展開に目を見張ることから数学への興味が始まるのである。公式はメモ程度の備忘録である。そうでないと前提条件を忘れたり、適用範囲を誤り、無益な演算をやることになる。数学から生徒を遠ざけたのは、教師の怠慢であり、おそらく自分で導くことができない公式を無暗に生徒に憶えさせたからである。定理や公式よりまず定義が大切なのである。そうでないと問題設定ができないからだ。数学教育の目的は出来上がった公式を使って計算させることではなく、定理を証明する論理を学ぶことである。そのためには初等幾何学は格好の演習の場となる。2次方程式の解の公式を使って、解を計算することは計算機(電卓)に任せておけばいい。文部省式教育指導はお題目のように「選択の自由と個性の重視」を謳ってきた。読み書きそろばんの最低限度の知恵が身についていれば、大学教育はそうであってもいいのだが、小学生や中学生にそれは通用しない。勉強は服装のファッションではない。論語の素読と同じように数学の基礎は訓練を施さなければ身につかない。個性とは自分自身で考え、他人になりえない精神の独自性をいう。個性とは精神のことである。個性化教育とは付和雷同の流れやすい人間を作ることでしかない。自己と必死に格闘した精神が個性になる。自由とは何かからの逃避に過ぎず、その逃避の仕方を個性と言っているようである

(つづく)