ブログ 「ごまめの歯軋り」

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京都の仏像 万寿寺 「金剛力士立像・阿形」

2008年03月30日 | 京都案内
万寿寺 「金剛力士立像・阿形」 重要文化財

像高さ203cmの木像 鎌倉時代の作品 重要文化財 右手に金剛杵をもち、左手で悪魔の侵入を防ぐ
万寿寺
万寿寺の起源は、平安時代後期、白河上皇が六条内裏に建てた六条御堂にさかのぼる。『京城万寿禅寺記』などによると、白河天皇の皇女である郁芳門院(媞子内親王)が永長元年(1096年)に数え年21歳で亡くなり、それを悲しんだ天皇が皇女の菩提のために六条御堂を建てた。[1]天皇が出家して上皇となったのも皇女の死がきっかけであったという
室町時代には当初は十刹の第4位であったが、後に五山に昇格し、更に京都五山の第5位に数えられたが、永享6年(1434年)の火災後、衰微した。天正年間(1573-1592)には五山第4位の東福寺の北側にあった三聖寺の隣地に移転した。これは三聖寺の開山が万寿寺と同じ十地覚空と東山湛照であった縁によるものという
明治19年(1886年)には万寿寺が東福寺の塔頭となり、21世紀に至っている。『東福寺誌』によると、明治14年(1881年)に東福寺の仏殿が焼失した際、万寿寺にあった釈迦三尊像を東福寺に移して新しい本尊とした。これが現在東福寺の本堂に安置される本尊釈迦三尊像で、元来は三聖寺に安置されていたものである。このほか、東福寺境内にある愛染堂と仁王門、万寿寺入口にある鐘楼(以上、各重要文化財)ももとは三聖寺の建物であった


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