ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 水野和夫著 「資本主義の終焉と歴史の危機」 (集英社新書)

2016年03月22日 | 書評
ゼロ金利・ゼロ成長・ゼロインフレは、資本を投資しても利潤が出ない資本主義の死 第3回

1) 資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ (その1)

近代とは経済的にみれば、成長と同意語です。資本主義は成長を効率的に行うシステムですが、その環境や基盤を近代国家が整えてきました。資本主義の終焉ということは、もはや成長がない、投資先がないということです。確かに新興国と言われる国々はこの後20,30年は成長を続けるでしょう。労働力を非常に安く買いたたくことで利潤を上げる企業もいるでしょう。この成長が止まるという歴史的プロセスは、近代資本主義システム(経済システム)を根本的に転換してゆくことになるでしょう。同じような転換期が15世紀半ばから16世紀半ばの「長い16世紀」と言われる時期に、中世封建システムから近代資本主義システムに転換した。500年後の今日に近代資本主義システムの転換期が来たこととアナロジー的に一致するというのが著者の視点です。ねずみ講のように右上がりの成長路線にしがみついていると、国の基盤を危うくさせることになると本書は警鐘を鳴らしています。先進国の国債利回りの利子率の低下が顕著なのは、日本です。2014年1月段階で10年国際の利回りは0.62%です。短期金利の世界では事実上ゼロ金利が実現しています。17世紀初めイタリアのジェノヴァで利子率が1.12%でした。金利とは資本の利潤率のことですから、異様な状態(イギリス・アメリカ・ドイツで利回りは1-2%という)が先進国で長い間続いていることになる。これを「利子率革命」と著者は呼んでいます。利子率=利潤率が2%を切ると、資本側が得るものはほぼゼロです。「長い16世紀」のジェノヴァがそうでした。今を「21世紀の利子率革命」と呼びましょう。利潤を得られる投資機会がなくなったことです。「使用総資本利益率ROA」は結局国債利回りに連動します。この利子率低下がいつごろ始まったかというと、日本とイギリスで1974年頃から、アメリカで1981年ごろからといえます。利子率の低落傾向は40年以上続いていることになります。これを「市場の飽和」とか、「フロンティアの消失」という言葉で表現されます。日本では「交易条件=輸出物価指数/輸入物価指数」は、1975年までは1を超えていましたが、2000年までは1前後であった交易条件が2000年以降下降し2010年には0.6となっています。例えて言うなら輸出の花形である自動車1台と輸入必需品である石油1単位がパラであったのに、最近では車1台では石油は半分しか買えないということです。つまり資源を安く買い、効率よく生産した製品を高い値段で売っていたら、高い利潤が得られていました。石油は第1次、第2次石油ショックで交易条件は悪化するばかりです。新興国の近代化が資源高騰の背景にあるので、交易条件の悪化がトレンドとなっています。交易条件が悪化するということは、モノ作りが割に合わない商売になったということです。ヴェトナム戦争後、軍事力を背景としたアメリカの市場拡大策は頓挫し、戦争も割に合わない馬鹿馬鹿しい行為になっています。ポール・ポースト著 山形浩生訳 「戦争の経済学」(バジリコ 2007年)は、「アメリカのGDPあたりの戦費%は第二次世界大戦時132%を最大として、朝鮮戦争31%(11%)、ベトナム戦争8%(10%)、湾岸戦争1%(-1%)、イラク戦争<1%(2%)であった。GDP成長率は第二次世界大戦時は69%、朝鮮戦争11%、ベトナム戦争10%、湾岸戦争-1%、イラク戦争2%であった。戦費を減らす効率的戦争よりも凄まじいGDPの拡大ができたのである。しかしベトナム戦争以降戦争はもうGDPを押し上げない」と言っています。そこでアメリカのとった策は、新たな実物経済空間を生み出すことではなく、別の「電子・金融空間」に利潤のチャンスを見つけ「金融帝国」を目指すことでした。アメリカの「電子・金融空間」はニクソンショックの後に始まり、1980年頃からテイクオフしたようです。アメリカの金融業の全産業利益に占めるシェアーは10%から1990年には20%を超えました。この金融業のシェアー拡大は、金融のグローバリゼーションとシンクロしています。高い資源を使用しない空間を作ることで利潤を拡大したのです。アメリカの金融帝国化は格差を拡大する政策を推し進めました。この時のイデオロギーとなったのが「新自由主義=市場原理主義」でした。レーガノミックスに始まって、資本配分を市場に任せると、当然労働分配率を下げ資本側の取り分を上げます。だから儲けるのは企業ばかりで、中間層は貧困層へ組み込まれていった。当時アメリカは双子の赤字に苦しんでいましたが、ソビエト政権が軍拡競争に敗れて崩壊すると市場が一気に拡大しました。そして1995年からルービン財務長官が強いドルに政策転換すると、財政赤字のままでも世界中からカネが流れ込むフローができ、世界中に再投資してゆくことで「アメリカ投資銀行株式会社」となり、金融帝国となったのです。商業銀行の投資銀行化が進みました。労働者の貯蓄を扱う商業銀行は、レバレッジを大きくかける投資銀行に変容したのです。「電子・金融空間」で集めた金を運用して、アメリカ金融帝国はITバブル、住宅バブルを起しました。ここで資本主義は構造変化をしました。先進国を核として周辺に途上国という外部を持つ空間は、それとはまったく別の金融空間を生み出したのです。

(つづく)