ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 水野和夫著 「資本主義の終焉と歴史の危機」 (集英社新書)

2016年03月28日 | 書評
ゼロ金利・ゼロ成長・ゼロインフレは、資本を投資しても利潤が出ない資本主義の死  第9回 最終回

5) 資本主義はいかにして終わるのか (その2)

中国はリーマンショック後。政府の主導で大型景気対策として4兆元の設備投資を行ったことによって、中国の生産過剰が顕著になった。世界の工場と言われる中国ですが、輸出先の欧米の消費は縮小しています。いずれこの過剰設備は回収不能となりバブルは放火しますが、中国がもしドルを手放すなら、ドルの終焉を招くことになるでしょう。新興国で起きるバブルは欧米で起きた資産型バブルではなく、日本型の過剰設備バブルです。国際資本の完全移動性が実現した21世紀では、先進国の量的緩和で生じた過剰マネーが、新興国の近代化を日米欧よりももっと早く進行することを可能にしました。中国バブルの崩壊が世界に与える影響は甚大です。財政破綻に追い込まれる国が出るでしょう。日本がその筆頭候補です。国家債務に苦しむ日本は、普通なら戦争になってもおかしくない状況にあります。過去は戦争とインフレで帳消しにしてきました。しかし簡単には戦争はできないことも確かです。資本と労働の対立が深まり、社会不安が暴動や革命を生むかもしれません。いまや資本が主で、国家は使用人に過ぎません。バブル崩壊や戦争と言ったハード・ランディングではなく、資本主義の暴走にブレーキをかけるソフト。ランディングの道はあるのでしょうか。上の図で模式的に示した「経済縮小によるソフト・ランディング」の道を「定常状態社会」(ポスト近代)と言います。資本にブレーキをかけながら、国家の破滅を防ぎ延命を図ることです。「定常状態」とはゼロ成長社会と同義です。つまり純投資がなく、減価償却の範囲内d家の投資しかない状態です。買い替えだけで基本的には経済の循環を作ることです。日本の人口は少子化対策をしても、間もなく9000万人で横ばいということが予想されます。国家債務は減らすことができなくとも、少なくとも基礎的財政収支(プライマリーバランス)を均衡させる必要があります。いま日本のGDP(500兆円)に対する債務残高(1000兆円)が2倍を越えるほどの赤字国家であるのみなぜ破たんしないのかというからくりは以下のようです。金融機関のマネーストックは年金が主ですが、毎年24兆円づつ増えていきます。さらに毎年の企業内資金剰余額は23兆円あります。この家計部門と企業部門を合わせた資金剰余は48兆円で、対GDPの10%と高水準にあります。これが国債の購入費(毎年40兆円の国債発行)に充てられることが可能になる根拠です。また累積債務の1000兆円は、民間の実物資産や個人金融資産が大きくそれを上回っているので信用不安にならないのです。ですから外国に国債を買ってもらう必要がないのですが、将来金融機関のマネーストック(預金・年金など)が減少したり、国債の無原則的な発行が毎年50兆円を超える場合には事態は一気に悪化します。現実には個人預金は間接的に国債を買っているのと同じ意味ですので、1000兆円の債務は、いわば日本株式会社の「会員権」への出資と考えられます。財政を均衡させるために増税は仕方ありません。問題は消費税に頼るのではなく、法人税や金融資産税を増税することです。持てる者からより多くの負担をしてもらうことです。政府がそこを逃げていたのでは逆累進性の強い税制となります。ゼロ成長ですら困難な時代ですので、ゼロ成長を維持するには、成長の誘惑を断ち国の借金を均衡させ、人口問題、エネルギー問題、格差問題などに対処しなければなりません。金融緩和と積極財政に頼っていては傷口を広げるばかりです。マイナス成長社会は貧困社会です。1990年代から金融資産を持たない世帯の比率(1990年で5%)が上昇しており2010年では31%になりました。グローバル資本主義は社会の基盤である民主主義も破壊しようとしています。民主主義の経済的意味とは、適切な労働分配率を維持することです。労働者全体が貧困化しては、政治的民主主義は無いのも同然です。国家が資本の使用人になっている状況では、国家の存在意義に疑問が生じます。近代資本主義と主権国家システムはいずれ別のシステムに転換するでしょうが、その姿は予想できません。当面必要なことは資本主義にブレーキをかけることです。

(完)