Nonsection Radical

撮影と本の空間

テレビの力

2012年10月16日 | Weblog
このあいだ某商店街を撮影しようとしたら、すぐそばでテレビのロケをしていた。
「邪魔だなぁ」(笑)と舌打ちし、しばらく近所を巡って立ち去るのを待った。
先に先方が撮影を開始していたので当然とこちらが遠慮したのだ。
立場が逆なら、当然それを先方に要求したけど。

近所の人達が遠巻きにそこかしこで集まって「誰々って意外と小さいね」などとささやいている。
テレビを観ないので、その誰々っていうのが誰なのかは当然知らないし、残念ながら興味もない。
テレビの撮影というのも興味がない。
でも、どうやら世間の人はそうではないらしい。
ロケ隊が去ったあとは、いつもよりsatoboの小型安ものビデオカメラにも興味の視線が向く。
困った事だ。
ビデオ撮影をしていると、当然”テレビ”の撮影だと思われるのだ。
思うのは自由だが、そう思って振る舞われるのは困る。
ただひっそりと撮影して記録したいだけなのに。
困ると言えば、テレビで公衆に放送されるのは嬉々とするのに、個人的に撮影すると危機とする人が多いのだ。
影響力と言えばテレビ放送の方が大きいと思うのだが、影響力のない個人的、あるいは小規模な撮影には警戒心を抱くのだ。
まあそれも承知しているので、影響のないようにひっそりと撮影させて頂いているのだけれど。
いつも申し訳ございませんと思いながら撮影しております。

以前山仕事をして下山途中に、テレビロケ隊に出会い、趣旨を説明され道を尋ねられたのだけど、説明途中もカメラはsatoboを撮影しているのがシロートながらもわかって、困った事になったと思ったのだが、あれは放映されたのかわからない。
わからない事が逆になかった事になるので良かったのだが。
テレビなりの映像に自分の姿が写っていたとしても、黙って無視していればすぐに時間が解決してくれる。
もちろん自分で広めない事も必要だ。
だから”あれ”はなかったことにしてあるのだ。




新町・内記新町商店街 京都府福知山市


大阪府摂津市千里丘2丁目5から
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする