Nonsection Radical

撮影と本の空間

4月29日 読み解く読書

2021年04月29日 | Weblog
不規則な仕事の合間に買った本を読んでいる。
資料として買い集めたもので、読んで楽しむというよりも読み解いて記録していく作業が中心だ。
そこでいつも気をつけているのが、何の目的で呼んでいるのかを忘れないということ。
そうしないとつい”読みふけって”それでおしまいになってしまう。
そして読んでいくほどに参考文献が新たに提示され、それを手に入れと深い沼へ入っていく。
中心を1985年から現在に絞っているのに一大戦後史みたいになってしまい、どこで切るかをいつも考えざるを得ない。

そんなことをしていると時間はあっという間に過ぎるので、まさしく老後の楽しみとして時間が自由になる時が待ち遠しい。
ただし貧乏暇なしのたとえ通り、そんな高等遊民な暮らしは望めそうもない。
せいぜい中途半端で終わる”研究”として続けていくだけ

時間を持て余している老後を生きる人には”研究”はオススメです
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4月23日 勤労無罪

2021年04月23日 | Weblog
再び緊急事態宣言ということで”連休明け”まで”自粛”ということだ。
もう飽きるほど繰り返して言ってるが、最初から政府行政の対応は変わらずに、感染者が出たら部分的につまむ。つまみきれなくなったら行動自粛して感染者を減らす。減ると感染者をつまむ。の繰り返し。
これが当初考えられた”医療崩壊”を防いで”管理”していく方法で、現在もその延長線上にある。
あくまでも緊急事態に対応することなく(つまり一時的に資金人員を投入することなく)将来に向けての医療体制簡素化への道筋を変更しない方法なのである。
イメージ的には、資源の乏しい島国である日本が欧米の植民地主義侵略に対抗するためには、効率的に資源を投入して短期決戦で終えるしかないという当時の考えと同様であろう。
どちらもアテが外れたのは、短期で戦いが収束する気配がなく、当初はうまく行ったと思われた作戦がその後は通用しなくなり、それでも最初の成功体験が忘れられず、かつそれしか方法はなく、通用しなくなった作戦を何度も繰り返して被害を大きくして行き、最後には・・・という流れである。
連合国は今回も物量作戦で戦いを乗り切ろうとしている。果たして結果は・・・

前回以上に周知対応策は雑になり、宣言されたからどうなるのか詳しく知るものはいない。
ただ連休中の移動を制限して感染者の発生を抑えるだけ。
そして感染者が減ればまた日常に戻り。
その間にオリンピックを行ない、ワクチン接種を終え、抗体を持った人たちが増えて無事収束宣言。
となるのですかね。

今回は街場に人を集めないために人が集まりそうな大規模店舗、劇場、書店など飲食店以外にも閉店強要される。
街へ出る動機づけをなくす作戦なのだろう。
ただしここには通勤のサラリーマンは含まれない。
ひたすら働いて、すぐに帰宅をうながすのだ。
働き蜂の面目躍如である。
当方も当然そのように振る舞う。
勤労無罪である。
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4月21日 不規則

2021年04月21日 | Weblog
今月はあとずっと不規則勤務になる。
労働時間は減ったのに不規則勤務のため休日が中途半端な流れになりまとめて休みが取れない。

気温が急に上がってきて日中は暑いぐらい。
花粉は少ない。
コロナは急上昇中。これはそういう施作なので仕方ない。
iPad miniの新型は発表されず。
ニーズと提案のズレがアップルに出てきて久しい。
こういうのを待っていた、という製品はすでにない。
少しの時間でも少しだけ読書と年表作り。
チャーリー浜死去。
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4月18日 様変わり

2021年04月19日 | Weblog
これまでに12回引っ越しをしたのだけれど、時々元住んでいた場所を訪ねてみたりする。
今日も、そういえばどうなっているのだろうと、同じ市内であるが25年ほど前に住んでいた団地を見に行ってみた。
コンデジだけ持って、最初はブックオフに本の引き取りのために出発したのだが、歩き出すとなかなか調子よく歩け、おまけに帰りにドラッグストアに寄って買うものがあったのに、そのストア系列店が歩く方向にあり、まずはとストアに寄って買い物。
そこにも在庫があったので買い物は終了し、さて近くの駅からターミナル駅へ向かおうかと思ったのだけど、グーグルマップでルートを設定すると歩いても1時間ほどで着くという。
それなら歩こうかとなり、そこでそういえば元住んでいた団地は、となったのは、ルートがちょうど団地の前を通ることがわかったからだ。
同じ市内とはいえそうそう隅々まで歩くものでもなく、また頻繁に回遊するものでもないので、初めて通った道や久々の道など地図を頼りに歩くしかない場所をひたすら歩いて行った。
団地が近くなり心がザワザワし始めたのは、団地妻真昼の情事を思い浮かべたわけではなく、街道沿いに色々な店舗が作られて様子が変わってしまったからだ。
記憶に残る建物は逆に寂れてしまったり、営業していないお店になったりしてア〜アという気持ち。
団地の入り口の交差点は両方向に大型店舗が立ち、どこに入り口があるのか簡単には判別できない様相に変わってしまった。
もちろん随分以前なので細かい作りなど忘れているのだが、それにしてもイメージがあまりにも違いすぎて懐かしさの一歩手前でこみ上げる苦い思い出となってしまった。
近くにラブホがあったのも、店名が変わってしまい、不二家もないし、思い出すものが何もない状態だった。
まあそれでおセンチになるほどの歳でもないのでひたすらブックオフを目指して歩いたわけです。
歩行数18900歩。
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4月17日 晴行雨読

2021年04月17日 | Weblog
雨。
帰宅後仮眠。
本降りの雨に。
雨の日は読書。
先日来の勉強の続き。
明日は晴れると言うが撮影に行けるか。

小腹がすいても満たすものがないので、つい食事をしてしまうが、これがいけない。
そこで口にするものを探して、最初はプルーンにしようかと思ったが、デーツを選んだ。
アマゾンなら即だ。ポチり。
さてどんな味か。
そうも最近乾物だとか和菓子だとか今回のデーツだとかのドライフルーツとか”ちょっとしたもの”に興味がまたわいてきている。
まあコンビニとかで手に入る大手企業の大量生産品の平均的嗜好味覚に飽きが来たからなのだが、そういうのってラーメンとかでは”独自の味の追求”みたいになって、それが逆に共通する方向性のツマラナイ味に向かったりして”普通の味”が恋しくなる方向に向かったりしてなんとも一概には言えないんだけどね。

ニャンコは今日も膝の上。
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