Nonsection Radical

撮影と本の空間

世間知らず

2013年03月31日 | Weblog
山陰本線で京都駅から北上し、福知山、豊岡、浜坂と乗り継いで行くと、電車は4両、2両、ついには1両となり、ディーゼル車に変わる。
降車口も運転手兼車掌さんが料金精算をするため運転手席脇のひとつになる。
無人駅が多くなるのだ。
”本線”とあるので立派な電車が走っているものだと思ったが、鳥取に行くのは1両のディーゼル車だったりして完全にローカル線である。
都市部にいるとそういう現状が見えていなかった。
交通手段が鉄道から自動車に変わり、需要が望めない交通機関は淘汰の憂き目を見るのだが、なくなって良いと言うものでもない。
たとえ1時間に1本の列車であっても、あるとないのとでは大違いだ。
土曜日という事で列車内はほぼ満員だったが、その100人、あるいは数百人がまとめて移動する手段として鉄道は自動車とは変わる事が出来ない。
鉄道だから、たとえば京都から城崎温泉や鳥取、島根にも足をのばす気になるのだ。
もし鉄道がなければ気楽に遠隔地に出かけようと思わない人も多いはずだし、都市部と地方観光地とのつながりは切れてしまう事も多いと思う。
自動車は便利なようでいて、移動の時間はむしろムダになっていると感じるのは自分だけだろうか。
列車の旅は、移動時間も何もせずに自由に時間が使える有意義なものだと思う。
だから多少はしゃぐ事も旅の楽しみと大目にみる余裕も欲しい。
車窓から見える海や山、集落に想いを馳せ、そこに生活する人のいる事を考えて、日本という小さな土地の大きさを考える時間を持つ事は有意義な事だと思う。
また知らない人と肩を並べてひとつの空間で移動するというのも、必要な行為だと思う今日この頃だ。
中国人のカップルが駅弁を車内で食べて、ぼんやり外の景色を眺めているのを見て、いろいろ日本を感じてねと思うのも他人同士の旅の道連れゆえである。




菊坂通り 東京都文京区


喜撰橋からの眺め 京都府宇治市
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ヘロヘロ

2013年03月30日 | Weblog
歩く時間より列車に乗っている時間の方が何倍も長い今日の”旅”。
活動時間は2カ所でそれぞれ2時間。
列車の時間に間に合わなくて3キロの道のりを走る走る。
そして目の前を2両編成の山陰線の列車は出発して行く。
待ち時間は1時間。
お店もない集落の駅。
持参のおにぎりをやはり持参の野菜ジュースで食するのが本日唯一の食事。
夕暮れに帰路の列車に乗って、帰宅が先ほど。
座って寝ているだけの移動なのに、すっかり疲れてしまった。
いくらでも寝れそうな静かな春の夜。




宇治公園 京都府宇治市


東京都中央区人形町2丁目11から
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ふらふら

2013年03月29日 | Weblog
朝起き上がったときから頭がふらふらして気持ちが悪い。
たぶん風邪だろう。
明日から悪化して日曜あたりが底だと思う。
とりあえず明日も出かけるが、さてどうなる事やら。
今夜も準備で大忙し。
ではでは

明日の日記更新は夜中かな。



東京駅丸の内北口 東京都千代田区


平等院表参道 京都府宇治市
コメント (2)
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みんな一緒

2013年03月28日 | Weblog
3月いっぱいで長年聴いたラジオ番組が終了する。
色々な事を教えてもらい、色々な事を考えさせられた情報番組だった。
ラジオでもテレビでも新聞でもマスコミというのは数多くの人を対象に情報を送り、それで引きつけられた人に宣伝広告を流して対価を得るという極めて単純な”仕事”だ。
広告宣伝に適した人を集め、大量に商品を販売する手助けをする。
そのためには商品に適した人を集めなければならない。
そうなると当然大きな層をなすいわゆる”一般大衆”を相手にする事が効果的だ。
社会の中程に位置する(そういう調査は細かく行われている)人々が関心を持つような番組を作り、拒否反応を起こさない番組を作り、時には半歩ずらした番組で”斬新な”とか”過激な”とか言われる程度の話題を提供するのが良い番組なのだろう。
そうなるとその層からはずれる人達はどうなるのか?
無視されるのだ。
少数者の嗜好は商売にならないのだ。
その人達の考えや意見を取り入れたものは、多数にとっては心地よいものではないし、つまらない。
それでも少数者の嗜好も実は程度の差があっても”普通”の考えなのだ。
ただそういう普通さも、これまで色々な問題はあっても、まあそれはそれとして置いておいて、とりあえずはこのままで良いではないかと思う人達からは“過激すぎる”と思われてしまうのだ。
それが女子柔道の問題のように顕著化するのは、まあこれまで通りというのではニッチもサッチもいかなくなった場合だけの特殊なケースだ。
つまり女子柔道ではこれまでは、暴力でもセクハラでも勝てさえすれば問題にしなかったのだが、これまで通りのやり方ではもう勝てない事が明らかになったから、勝てる方法で指導して欲しいという声になったのだ。
マスコミも同様にこれまで通りのやり方で、これまで通りの人を対象に情報を提供して”勝てれば”良いのだろうが、現状は女子柔道並みだ。
スポンサーもモノが思ったほど売れないし、マスコミも視聴率や部数などの数字が伸びないので、”やり方”を変えた方がイイのではないかと思案している。
ところが大衆は「もっとしごけ」とこれまで通りのやり方を要求するのだ。
それが”保守化”である。
新たなものは求めない、変わった事も拒否し、わずかな差異を問題視して咎め、もっと従順にと自らを縛ろうとする。
そしてドンドン異端を排除しようとする。
その結果、どの番組も、どの記事も、当たり障りのない凡庸なものになってしまう。
しかし、それを望みながら、もっと面白いものをと要求するのだ。
少数者の考えるような”特殊”なものは拒否するが、何も変わらない程度で”スゴい”ものを要求する。
それに対応するようにマスコミは”スゴそうな”ものを作ろうとするが、そんなものがあるはずもない。
むしろわずかな差異をあげつらい、違いを問題視し、それをスゴいものを扱っているように迎合して流す。

これまでテレビと違ってラジオは小規模なマスコミ(ヘンな言い方)だったので、比較的少数者向けの番組を作る事が出来たと言われるが、現在ではその”解放区”も問題にされて次々に消滅している。
少数者の小さな意見も、”大衆”やスポンサーにとって許し難いものになっているようだ。
はじめに記したように、ラジオも商売でやっているので、そういう意向に逆らう事は出来ない。
お茶を濁して適当なもので適当なお金を得る時代になっている。
その結果、少し他の人と異なる(それでも十分社会的範疇に入るのだが)事に興味を持つ少数の人達の憩いの場所がなくなっていくのである。
それで「みんな一緒」という共有観を維持するのだ。



東京駅 東京都千代田区


宇治川 京都府宇治市
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物欲が満たされている

2013年03月27日 | Weblog
物欲がなくなったとは言わない。
必要にして十分に満たされていると思う。
だから新たに欲しいものが特にない。
その結果お店巡りも必要な時以外は行かなくなってしまった。
久しぶりにヨドバシカメラに行ったのは、時間をつぶすためだった。
たくさんの人が店内を歩き回り、あれこれ吟味している姿は経済的にも好ましい事で、特にアレコレ思わない。
新しいカメラも続々登場し、店頭をにぎわしているが手に取る事も少なくなった。
結局、今持っているもの以上のものがないからなんだね。
といって、今持っているものが最高のものだというわけではない。
ただ必要にして十分なのだ。
性能が良くなろうが、画期的なものであろうが、それを活かせる力がないと意味がない。
大きなプリントをするわけでもなく、精密な描写を活かせるわけでもなく、せいぜいネットに小さな画像を載せるだけなので、それに見合ったものであればカメラは十分だ。
たとえ高級なものを揃えたとしても、使わなければ意味がない。
唯一不満を感じているのは”カバン”だが、残念ながら満足するものはない。
カバン売り場をウロウロしても、今持っているペラペラのショルダーバッグ以上に邪魔にならないものはない。
それぞれに、それぞれの”実用”があるのだから、誰にもピッタリマッチするグッズというのはないのだろう。
だから今のままでイイや、となってしまうのだ。
消費とは一番遠いところにいるので、経済的価値のない人間と言えるのだろうなぁ。
まあそれでそこそこ生活しているから好しとしよう。
好しとしてイイのか?



銀座4丁目交差点 東京都中央区


宇治橋通り商店街 京都府宇治市
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