Nonsection Radical

撮影と本の空間

9月29日 リスタート

2022年09月29日 | Weblog
休みモードから仕事モードへ変換。
電車が混雑するのが”恐怖”だけど仕方ない。
休みをとって、すっかり身体が”ふやけて”しまった。
シェイプしたいけど、あちこちの関節が痛んでいるので運動ができない。
ワクチン接種以来左腕も上がらないし。
腕の痛みがあると、はるか昔、石田えりデビュー作の「翼は心につけて」を見て以来、骨肉腫じゃないかと心配するのだが、現在は悪性リンパ腫なのでそれどころじゃない。

1964年生まれの学者の本を読んでいるが、個人的感覚としてこの世代の印象と当てはまる文章に、ますます確信を得た気分に。
地方差もあるだろうが、1950年代後半から1960年代前半にかけては、社会が微妙に変化し続けて、それに合わせて当時の子供たちの活動にも違いがあらわれている様に思うのだ。
雑に言うと、学生運動崩れから学級崩壊まで、という感じ。
それぐらいしている事が(感じている事が)違っていたと思う。
そういう感覚を持っているので、年代の違う人の言動には違和感があって、他の人の世代評価には「ああ、そういう感覚を持っているよなぁ」と”きめつけ”てしまいがちである。
でもあながち間違いじゃないよなと思う様な反応が著者にあって苦笑してしまった次第。
そういう感覚の違いが芸術表現にもあらわれるのかは考えた事がないのでわからない。
でも中平卓馬なんかの”言動”を見てると時代だよねとは思うでしょ。
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9月28日 後始末

2022年09月28日 | Weblog
7月に死んだ父の残した物の整理に出かけていた。
死んで葬式を出した直後と老母の力ではほとんど老家の様子は変わっておらず、これからも通い続けないと片付きそうもない。
おもに本の整理を今回はしたのだが、自分の残した蔵書もついでに整理しようと古本市場価格を調べつつ選別するが、くやしい事に自分の大切な本よりも父の残した昭和30年代の技術書の方がどちらも二束三文ながら高い事にガッカリする。
数百冊を始末して今回は終了。

行き帰りの新幹線は不思議に思うほどの混み様で、経済を回すと言いながら、実のところキチンとした管理が苦手で出来ないという日本の特質がなし崩しで人の移動につながっている気がする。
これじゃぁなあと思っていると、減少し始めた感染者数が再び増加に転じようとしている。
こうしてダラダラと続いていくのは、他の感染症の状況と同じである。
つまり管理できていないという事。
こういう点は、他のセルフイメージと現実の乖離、それを認めず知らないふりをするというスタイルを受け継いでいる。
何が言いたいかというと、ゆっくり座って移動したかったのに、という事だ。

一人暮らしとなり話し相手がいなくなった老母の話を聞きつつ、相続手続きの面倒さに、何もいらないやという気持ちが大きくなる。
皮算用では、土地家屋は老母と姉が引き継ぎ、自分は現金をと現金な考えだったのだが、土地家屋の相続手続きがすすんでも、現金は調べてもほとんど残っていなかったという事で、わずかな金の相続のためにひどく面倒な手続きをするのが嫌になっている。
ならばいらないやというわけで、姉と老母を中心に相続手続きをすすめて、自分は承諾の捺印をするだけにしてもらった。
どうせなにかを引き継いでも、そんなに長生きできるわけでもなく、面倒をムスメたちに引き継がせるのも酷なので、自分の代で終える事ができるものは済ませてしまおうと考えている。

いらない本をまとめていると40年前の写真が出てきた。
まだ若いおネイちゃんに興味がある頃で、そんな子らを撮影したものだ。
スマホで雑に複写してインスタグラムに上げた。
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9月23日 真四角画面

2022年09月23日 | Weblog
昨日の続きだけど、インスタグラムというのは当初は真四角の画像しか受けつけていなかった。
それで始めたところがあるんだけど、現在では真四角でなくても投稿できるようになった。
というより真四角の方が少ない。
でも”意地”で真四角画像だけを投稿している。
真四角画像が好きなのだ。
好きなんだけど、真四角で撮影するのはほとんどがコンデジでだ。
フィルムカメラの時代に二眼レフカメラを買ったこともあるし、ロクロクの一眼レフを何度も買う寸前までいったけど、今は機会がなければ撮影することもない。
本当のところを言えば、ロクロクレフカメラ独特の上から覗き込むタイプは好きじゃない。
多くの人は、それが良いのにと言うが、写す対象に顔が向くように撮影する方が好きなのだ。
だからコンデジで真四角の画像を液晶ファインダーで覗いて撮るスタイルが一番シックリくるのだ。
そしてコンデジだとズームもあって、近くも撮影できて言うことなしである。
それを真四角にプリントしてと考えていたのだが、それは考え直して、真四角チェキでプリントする事を計画中なのだ。
それを小さな箱に仕舞い込んで、夜な夜なコッソリと開けてみるのを老後の楽しみにしようと思っている。
個人的考えだが、ヴィヴィアン・マイヤー”も”自分の楽しみのために撮影・プリントしていたのだと思う。

でも真四角は被写体を選ぶからなぁと思っていたのだが、昨日言ったように、長方形の画像を乱暴に切り抜いても形になる事を知ったからには、チマチマと構図に収めようという考えを捨てて、大胆に切り抜くという方向に向かいたい。
と思うが、結構これは勇気がいる行為なんだよなぁチマチマ構図構成派としては。
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9月22日 黒い汗

2022年09月22日 | Weblog
以前悪性リンパ腫が発覚する前に、やたら疲れがたまり泥のように身体がダルくなったのと共に、シャツの背中に黒い汗じみができ、洗っても取れない状態が続いた。
その後手術で腫瘍のある肺を一部切除した後は、黒い汗はかかなくなったのだが、最近またシャツが黒ずんでいるのに気がついた。
もちろん黒い汗と病気の因果関係などわからないのだが、事実関係として「そんなものだ」と思っている。
定期的に受診しているので状況はつかんでいるつもりだが、良くなることはなくて段々と悪化していくのはわかっているが、それが体調とどのようにリンクしているのか興味を持っている。
同年配の仕事仲間も腸の病気で切除して、やっと来月末に現場復帰かと言われる話が入ってきたのだが、誰が病気になって命を落とすことになってもおかしくない年頃であるが、そこに感慨はない。

ネットに画像をアップすると、表示用にサムネイルが出るのだが、元の画像が長方形であっても無造作に真四角(近く)にカットされて表示される。
その無造作加減がなんか良くて、何が重要かを無視して単純に中心部分を切り抜いているのがイカす。
これは使えるかもしれないと。
たとえ長方形に撮影しても真四角に切り抜いて完成!
それで良く見えるのならそれは正解なのだろう。
以前動画で撮影した超広角シーンを適当に切り抜いて静止画としてみたのだが、それと同様の「楽しさ」があるかもしれない。
意図いうものを考える時期なのかもしれない。

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9月20日 何事もなく

2022年09月20日 | Weblog
危惧された台風も通り過ぎ、夜には秋を思わせる涼しい空気が。
先日来、腰の具合がよろしくない。
どうというわけではないのだが張りがあり、かがむと違和感があり要注意。

バブル期を調べる読書をようやく再開。
トレンドという流行り言葉も登場しない80年代前半。
ふと気がつくと、当時はまだ携帯電話もインターネットも一般化しない時代。
その状況で流行を探り、将来を展望するアナログ時代でありながら、すでにオジサン世代はアナログ世代と言われていたのだから驚く。
若者は流行を求めて街をさまよい、その街づくりをオジサン世代が画策する時代。
出てくるお店をネットで検索すれば、なくなったものもあれば現存するものもある。
しかし名称は同じでも経営は代わっていたりして時代の流れが。
我が身を振り返って、当時は何をしていたかを思い出し、もう少し上手く立ち回れば現在は違った形があったかと想像。

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