Nonsection Radical

撮影と本の空間

9月30日 水曜 電話機写真

2015年09月30日 | Weblog
実際は電話機じゃなくてiPod Touchのカメラ機能で、仕事上仕方なく撮影したんだけど、まあiPhoneなどのスマホで撮影しているのと変わらないと思うので、電話機写真とする。
機能はあるけど使うこともなかったわけだが、使ってみての感想は・・・
つまらん。
ただそれだけ。
なんの興味もわかない。
一番の欠点は構えにくいことだな。
こんな妙な格好で撮影するのはブレやすいし、安定しないし、変なシャッター音がするし、気に入らない。
もし手元にデジカメがあったら絶対にデジカメを使っていただろうな。
それだけ古い男だということですよ。
昨日の日記との関連などすっかり忘れて、新しいものに拒否反応を示している(笑)。
言い訳をすれば、個人的な目的でなら電話機写真も可能性を秘めていて面白いと思うんだけど、仕事上記録する必要があってのことなので、そういう場合には確実に撮影できるものを使いたいと思うものです。
それだけ電話機写真には慣れていないし、信頼もしていないわけね。
撮れている感触がないんだもん。
というわけで、古いデジカメを仕事場に持っていくことに。
古いけどまだ使える。
ただメモリーカードがコンパクトフラッシュで、容量が16MB(GBじゃないから)というのが泣かせるけどね。



八幡山城下の街並み 6
滋賀県近江八幡市孫平治町1丁目,佐久間町,池田町1丁目
撮影 2015年3月21日 土曜日 11時55分
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9月29日 火曜 停滞する自分

2015年09月29日 | Weblog
つい世の中はもう成長していなくて停滞していると思ってしまうのはお年頃のせいだと気がついた。
何も新しいものは生まれないし、このままの世の中で進んでいくんだろうとタカをくくっていたけど、単に自分の目には新しいものが入ってこなくて、様々な新しいサービス、考え方、行ないが日々生まれているんだよな実際は、自分の気づかないところで。
そんな当たり前のことに気がついたのは、思い込みをはずしてニュースを眺めていると、新しいものがドンドン発表されていて、その動きが結構面白く感じられたからだ。
単純にもう進歩はしないと勝手に思い込んでいたんだから、面白いものに出会えるはずがなかった。
面白くないのは世の中ではなくて、自分の方だったのだな。
ちょっと反省して、新たな気持ちで周囲を見渡してみようっと。
とりあえずは、好みをはずしてジョシを新たな気持ちで見渡せば、今まで気がつかなかった魅力を持つギャル(死語)を発見することができるはずだ!




桐ケ崎町の街並み
岐阜県大垣市西外側町1丁目,桐ケ崎町,高屋町1丁目
撮影 2014年12月23日 火曜日 15時25分
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9月28日 月曜 ちょっと

2015年09月28日 | Weblog
ちょっと目を離した隙に、にゃんこが網戸を開けて二階のベランダから脱走。
気がついて周囲を見渡すと、隣んちのガレージ(関西風の言い方=駐車場)の屋根にポツリと。
脱走したはいいが、行くところがなくて立ちすくんで(比喩=立ってはいない)いたところ、パパリンに発見されたのでした。
ベランダと屋根とは段差があって元には戻れず、別の部屋から手摺り越しにご帰還。
特に悪びれもせず、それでも帰宅できてホッとした様子で、いつものタンスの上の定位置に行ってご就寝。
ちょっと外に出たい気分の時もあるよなぁ。



清水銀座商店街 2
静岡県静岡市清水区銀座
撮影 2014年12月27日 土曜日 16時25分
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9月27日 日曜 写真はイメージ

2015年09月27日 | Weblog
田中長徳さんの8x10写真など滅多に見られるものではないということで、東京・京橋のアイランドギャラリーに行ってきた。
ギャラリーの女性(どこかで以前お会いしたことがあるような気がした)の話では、何度目かの発掘のネガ数百枚から選んだ30点をシグマのデジカメで複写して、インクジェットプリントしたものだという。
そう言われると、そういうものかと思うのだけど、あいにくオリジナルプリントとかバライタとかフィルムとかの興味より、若かりし頃の田中長徳さんは(30年以上前の撮影だ)、どのような視点でものを見て、どのようなイメージを写真にしたかに興味があったので、インクジェットだろうと印刷だろうと構わないのだ。
写真に関しては、伝えるイメージに興味があるのだ。
これは純粋な鑑賞者としては失格かもしれないが、ああ、こういう視点で撮影したんだぁ、こういうものに目が向いたんだと想像することが楽しいのであって、表現の完成形としてのプリントの完成度、見せ方など表現者が苦心惨憺する部分がたとえ欠けていてもあまり気にならない。
過去の写真をあまり見せてくれない(見せる環境がない)、自身の写真に関して語ることのない(データのことでない)田中長徳さんだから、こういう機会に写真を目にして、勝手な想像をこちらがする以外に”理解”する方法がないのである。
1983年といえば、あんな写真家が、こんな写真家がと想像しながら、その影響がここにあるのかなぁ、などと勝手な誤解を交えつつ、かなりの時間を過ごしたのだけど、その間に訪れる人がいなかったのも、また写真界の現状である。
写真界だけでなく、アートと呼ばれる世界でも、市井の人々が気軽にイメージを楽しむという”娯楽”が日本には少なくて、商業的成功者だけの作品に興味を持つというつまらない楽しみ方だけが注目もされ、またそういうものだという思いが広がっているのは残念だ。
有名な”評論家”の見方だけが正しいわけではなく、見る人それぞれが勝手な解釈をして、実はその中に正解が埋めれている場合もあるし、そんな正解など意味のないことだということもできるのが鑑賞するということだとも言える。
10月2日金曜日まで開催されるので、写真に詳しくない人こそ行ってみてほしいな。




横浜中華街 西門通り
神奈川県横浜市中区山下町
撮影 2014年12月30日 火曜日 17時15分
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9月26日 土曜 枯渇

2015年09月26日 | Weblog
先日撮影した動画の変換を引き続き。
変換途中のものが幾つも重なっているので、削除できないファイルが溜まっている。
そのためにハードディスクの容量が少なくなってきた。
コンピュータというのはどれだけ保存容量があっても、必ず足りなくなってくるものである。
動画ファイル保存用のハードディスクも残りわずかの容量になってきた。
デジタル化してからの映像というのは、つねに保存装置の増設との戦いだろう。
これが便利になったと言えるのかは微妙なところだが、お金で解決できるものというのはドンドンと進歩していくのも事実である。
逆にお金が枯渇すると、デジタルでの作業というのは非常に苦労する。
容量の確保をどうするか少しずつ考えていかないと。
つまりハードディスクを買うお金をどうやって工面するかということです。



八幡山城下の街並み 5
滋賀県近江八幡市孫平治町1丁目
撮影 2015年3月21日 土曜日 11時40分
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