Nonsection Radical

撮影と本の空間

撮る理由

2020年05月26日 | Weblog
このところスマホの”カメラ”で撮影することが多くなった。
メモを取る代わりに風景をパチリ(しかしあの謎の”シャッター音”はなんとかならぬか)と撮影してメール添付で自分に送るということをしている。
なかなか良く写るのであるが、多少の操作性の悪さを引いても、これでデジカメがわりになるんじゃないの?という思いと、なんか違うんだよなぁという思いが混じり合って複雑な感じだ。
今の所はメモがわりとインスタグラムへの投稿でしか使わないのだが将来はどうなることやら。
またデジカメでの撮影とフィルムでの撮影で”葛藤”が起きているのだが、これもなぜフィルムで撮る必要があるのかとの問いに明確な答えが出ないことによる。
こういう”迷い”には山ほどフィルムで撮影すれば自ずと答えが出るとわかっているので、着々と準備を進めている。
準備をする段階ですでに躊躇があるということなのだが(さっさと撮れと)、撮影後の出費を考えるとこの御時世どうしたものかと。
もう自分ではフィルム現像はしないと決めているので現像を頼まないとならない。
最終的には撮影しても現像しなければいいのだが、今更ながらインスタントフィルムがあればなぁと思ってしまうのはポラロイド世代だからか。
そこで結論になるのは、自分は”紙”としてのプリントが欲しいのだということだ。
最終形態は紙のプリント。
プリントの形態は問わない。
インスタント写真でもインクジェットでもバライタでもマッチしていればいい。
そのプリントをこっそりと秘匿してマイコレクションにして生きていきたいのだ。
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逃げろ続けろ

2020年05月24日 | Weblog
おっさんを長く続けているとさ、いろいろな事や人を見聞きするのよイヤでも。
そういうものなのよ人生なんて。
たくさんの人と出会っては別れの繰り返しですよ。
今は生きているのか死んでいるのか、はたまた死んでしまった人もいるし、自分も早々に死にそうだし、そういうことを繰り返して、そう、繰り返して毎日を過ごしているのですよ。
で、だいたいわかってきた事って、もし今後も人生を続けていく予定であれば(変な言い方でしょ)戦うときは戦い、逃げる時は逃げて、むしろ逃げることばかりでいいから逃げて逃げて、かつしつこく続けるということが大事ってこと。
人との出会いと別れはあっという間に訪れて、次々に入れ替わっていくから無理に関わっていく必要などない。
10年前の人と付き合いがあるのなんかほんのわずかな人だけだよ。それも大切な人だけ。
自然と相手が入れ替わっていくんだよ。勝手に退場していくんだ。
だから昨今騒がれている事などで無理に今闘えとは言いたくないんだよねぇ個人では荷が重い人も多いだろうし。
とにかく避難してじっとして時間が過ぎるのを待つのも方法の一つだと思うよ。
そしてまた時が来れば這い出して来ればいいんだろうからね。
自分を傷つけるのは鍛える時だけでいいと思うんだ。
そして自分の世界を大切にしていけばいいんだよ。
またアナザワールドはたくさんあるってことも忘れずにね。
根無し草の風来坊は良いぞ
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東京オリンピックの頃

2020年05月21日 | Weblog
TOKYOオリンピック物語
野地秩嘉著 小学館文庫
読了

現在の日本人のイメージができたのは1964年東京オリンピック以降だという。
団体行動が得意で勤勉で緻密で没個性。
オリンピックを開催するのあたり集まった男達は個性的で個人活動が得意でムラっ気のある職人気質。
それが”ゴール”に向かって活動するためにグループワークを覚え、それを後の世代に広げていった。
またそうするために個性の強い連中をリーダーに立てて突き進んだ。
そういう人達の記録が本書である。

現在では想像できない身勝手さと大胆さで成功に導いていく姿は、日本が失った国際競争基準で働く姿で、そうしなかった事で受けた敗戦という現実を身にしみて生きた世代が学んだ「個性」なのだろう。
そういった「個性」もオリンピック後の高度成長に伴い逆に没個性、国内基準に回帰し、現在へと続いている。
そしてどこへ向かえばいいのかわからない社会になって、頼りになるはずの自分で決めるという意志がない事に気づいた人は、海外の人達の「個性」を横目に、更にまとまった団体行動で時代を乗り切ろうとしている。
しかし、誰もその行き先を知らないし、決めることもできないのだ。
そこで迎えようとした2020年東京オリンピックであったが、なんらかの興味を持たなければならないとするならば、1964年とどのような相違があるかを比べることぐらいしか私にはなかった。
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過去を振り返り

2020年05月18日 | Weblog
去年の9月ごろのポッドキャストを現在聴いている。
社会科の番組であれこれ話題にしているのだが、”もちろん”コロナの話題などない。
訪日観光客の話題もそれほどでもなく、日々ただ困った事の連続である。
そう、いつも毎日世の中は困った事でいっぱいなのだ。
それが半年以上過ぎた現在から振り返ると、解決されたこともあるし、新たな問題も起きるし、そのままの案件もある。
そして今はコロナや不況で騒いでいる。
そんな話を聴きながら、そうそうそうだったよなぁと思えるのも時間の経過のたまものなのだろうか。
一方で、そうやって時間は過ぎてしまったのに自分は相変わらず・・・と焦りの気持ちがわいてくるのも毎回の事だが、たまっていく本と期限の迫るフィルムの山に時間がないんだよなぁと言い訳ばかりが出てしまうのである。
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撮影記録

2020年05月14日 | Weblog
4連休(仕事がない)の最終日。
動画撮影は京王線代田橋から初台までの商店街。
緊急事態宣言中の街はどうしているかの記録。
お店が閉まっているのはつまらないけれど記録は記録。
にぎわう姿はまたいつか。(いつかがいつになるかは不明)
そこそこのお店が開いていて、そこそこの人が行き来している。
これはこれで自然の姿。
ただしお店の前で群れるのだけはやめてくれ。
撮影でなく純粋に買い物ならアレもコレもと欲しいものばかり。
商店街大好き。
気温26度ということで医者からも言われたように水分補給で腎臓温存。
途中でめげるが予定を最後までクリアして撮影終了。
2万6000歩あまり。140GB。
コロナ騒ぎが日常になるまでに街の様子はどれだけ変わるのだろうか。

写真撮影のロケハンも兼ねて歩いているのだが、どうやって”物件”をメモして残せるか検討中。
撮れる時にはスマホで撮影しているのだがどうもフィットしない。
メモ帳か電子的にか、いろいろ思うが具体化せず。
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