Nonsection Radical

撮影と本の空間

一年の計は年末にあり

2020年12月30日 | Weblog
今年最後のそして久々の更新だけど、相変わらずなんの関係もない口絵を載せています。
コロナの関係で世界中が混乱した2020でしたが、それとは関係なく自分の事もいろいろ考える年ではありました。
来年に向けて決めたことがいくつかありますが、来年こそは写真を撮りたい。
そういうわけで毎日更新していた街並み動画を不定期にします。
写真なんかつまらないんだから動画を見せてくれよという声もありましょうが、マイコレクションとして写真を撮る事にします。
今は動画を撮る道すがら気になったところを後で写真に撮りに行こうとしているのですが、時間がなくて無理です。
かと言って同時も難しい。
少し動画撮影して少し写真を撮りと全体を少しずつに分割して活動することにした。
だから1日の行動距離が短くなって毎日のアップする動画は確保できない。
だからそれをやめれば”焦ること”もなくなると。

2020年は約200冊本を買ったようだ。
もちろんすべてが読めるわけがない。
多くが積読状態で、これをなんとか減らしたい。
2/3が興味のある社会科に関連する本で、気になる人がいれば網羅するように買っている。
というのも社会学とか経済学とか専門的なことなどわからないシロートなので、せめて社会科レベルでの知識で理解しようとすると素人向けに書かれた本を読まざるを得ず、そういうのって多くが浅い内容で、読んで疑問に思ったことは他の関係する本を読まないとわからないので必然的にブックサーフィンすることになるのだ。
そういう関連の本を除けば小説やルポ、人物伝なども買っているので時間を作って読みたいなと思っている。
今年はブックオフのネット通販を利用することが多くなったのが収穫と言える。
というのも、欲しい本を探しに行っても徒労に終わることが多いんだけど、ネットだとリクエストしておくと入荷通知が送られてくるので無駄足がなくなった。
意外だったのは、自分がリクエストするようなマイナーな本でも入荷通知をほんの数時間放置しておくだけで別の人が先に買ってしまうことが多いのだ。
だから通知があれば即購入。
おかげで買う本が増えたのだ。
そしてついでに音楽CDも買ったりしてるし、マイナー映画のDVDも・・・と考えれば時間がいくらあっても足りないのだが、寿命は確実に近づいてきている(笑)
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コミックを読むには

2020年12月13日 | Weblog
小さいな頃から貧乏で、漫画雑誌というものを買うお金がなかったので、”幸いな事に”漫画を読む習慣がない。
それでも姉が買っていた「りぼん」や「別マ」などを借りては読んでいたので、どちらかというと少年マンガより少女マンガの方が馴染みがある。
スポ根ものは体質に合わないので、もっぱらギャグ漫画や学園ものを読んでいたためか、今でもそちら系のものが好ましいのだが、年齢と共にレディコミやBLのあちら系にも目が向くのは致し方がないことではある。
しかし基本は純愛ほのぼの系なのである。
以前は大島弓子なども読んだが、最近は陸奥A子である。
りぼんの時代の作品が文庫版になっていたりするので、それをゲットするのだが、困ったことが判明した。
文庫サイズだと見えないのである。
華麗なではなく加齢のために最近は細かな部分がよく見えないのだ。
おかげで女性はみんなお肌ツルツル(皺が見えない)に見える。
それはさておき、せっかく購入した本もコミックサイズならまだしも文庫サイズだとキビシイ状態である。
そこで試しに電子書籍を買ってみたところナカナカよろしい。
我が家には8インチタブレットがある。そしてパソコンもあって両方で見ることができる。
が、
どうも電子書籍という”実体”のないデータで本を持つということが不安なのである。
データが消えるということよりも、データを提供する電子書店が消える可能性が高いのだ。
アマゾンで買うことが一番消える可能性は低いのだろうがアマゾンでは買っていないんだよね、へそ曲がりだから。
しかし今後のことを考えるとキンドルで読むというのが一番合理的なのかもしれない。
最近の漫画にはまったく興味がないのは、昭和の時代のストーリーで充分だよという気持ちがあって、やはりオヤジの心は乙女チックなのである。
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悩み時

2020年12月01日 | Weblog
どうしようかと悩んでいる。
と言ってもAKBの誰それとの仲をどうのという話ではない。
そもそもAKBで知ってるのは前田敦子と大島優子だけで、そして二人の事が好きではある。
そんなことはどうでもよい。
動画の事である。
satoboから動画を取ったら何が残るのだと言われるだろうが、何も残らないけれどそろそろおしまいにしたいなと何度か目の気持ちがわいている。
震災以来、街の記録を第一に行動してきた10年だった。
その重要性は今も変わってはいないのだが、そろそろいいかなと思っている。
老いたのだ。
色々なことを同時並行的にしていく気力体力がなくなってきた。
仕事をして動画を撮って時々寝るという生活。
そこに本を読むことや写真を撮ること、ましてや映画を見たり音楽を聴いたりといった”隠居生活”が入り込む隙間がない。
ない生活をすればいいのだろうが、そこまで腹をくくれない。
そっと草葉の陰でうごめく糞虫になりたいのだけれどねぇ
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