Nonsection Radical

撮影と本の空間

接客サービス

2010年02月28日 | Weblog
某月某日
あいにく週末は天候がすぐれず撮影に出かけられなかった。
そこでバスと電車を乗り継ぎ(田舎者)、近郊のターミナル駅へ買い物。
プレゼントを買って発送依頼し、仕事用の注射器、8x10ホルダーを入れるバッグ探し、ニコンF6いじりをして本屋へ。
カメラマガジンを立ち読みして(笑)8x10連合の面々の勇姿を確認し、巻頭のウルトラワイドヘリアの写真に感服する。
ウルトラワイドとかワイドアングルとかいう言葉についつい魅かれてしまい手に入れてしまうのだが、「別世界」は楽しいが難しい。
ワイドの世界は広く撮るのではなく、広い世界を凝縮して撮るものだとイメージしているのだけれど、これが難しい。
それはパノラマカメラでも同じで、ただ広い世界を撮っただけのものはあまり面白いと思わない。
1メートルとかそれ以下に、これでもかと近づいて撮るのがコツなんだろうけど、同時に何を画面に入れるのか取捨選択する力がないと乱雑なものになってしまう。
ほんのわずかレンズを移動しただけでまったく中味が変わってしまう恐ろしい世界だが、はまればこれほど魅力的な写真もない。
そんな魅力的な世界が巻頭にあったが、見開きというのは大きく見えるが綴じ目が邪魔をしてしまう。
股間の中心がちょうど綴じ目にきているエロ雑誌のように、思わず「オイ!」と叫んでページを思い切り開こうとするが、買うわけでもないので思いとどまる。
やっぱり買って、大股開きに開いてジックリ観賞すればよかったと後で後悔。
フォトグラフィカの森山特集に肩を振るわせ笑う。
3月から東京写真美術館で個展あり。
写真愛好家ではない美術愛好家が来て客筋の違いに戸惑う事を期待。

で、買ったのは文庫本2冊。
お寺の経済学 中島隆信 ちくま文庫
盗聴 二・二六事件 中田整一 文春文庫

本を手にしてレジに向かうが長蛇の行列。
レジカウンターは5人分あるのだが、店員は3人。
中に人はいるがレジには立たない。
おまけに接客が丁寧で(苦笑)、いちいち「カバーはおかけになりますか?」「カバーの色は何色にいたしますか?」「駐車券はお持ちですか?」とゆっくり問いかける。
もちろんそういうふうに接客しろと教育されているのだろうが、こういう接客教育には融通がきかないらしい。
とりあえず列に並ぶのをやめて、買いもしないものをツラツラ見て時間をつぶし、レジに向かうとさらに長蛇の列に。
あきらめて並ぶ事にしたが、レジを済ませた人の表情はどれも憮然としたもの。
カバーはいらないと言い、あらかじめ用意したお金をカウンターにおいて時間短縮に協力するが、店員のダンシは協力してくれない。
本を袋詰めする手を止めて、お金を持って中のレジスターに行っておつりを持ってきて再び袋詰めを再開し、「カバーの色は何色に・・・」と言いかけて、いらないと言われた事を思い出し袋詰め完了(苦笑)。
もちろん「ありがとう」と言ってカウンターを離れたが、これは水前寺清子がそうしろと言ったから。

丁寧な接客も大切だろうが、スピーディーであることも大切なサービスだと思うのだけどなぁ有鱗堂。
コメント (2)
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新聞とネットニュースは違った

2010年02月27日 | Weblog
某月某日
今朝の朝刊を見ると一面に「真央 銀 ヨナ 金」と大文字で出ていた。
新聞を見るまで知らなかった。
みんなは知っていましたか?

ネットのニュースサイトは見るのだけれど、satoboが見た時間帯にはそんな事は書かれていなかった。
特にスポーツ面を見る事もないので、一般記事として現れていなかったのだ。
前にも書いた事があるが、ネットのニュースはみんな同じ大きさの扱いで、重要度は画面の上下でしか判断出来ない。
画面の上方に載っているのが「今」の重要なニュース、つまり一面あつかいなのだ。
しかし、時間とともにニュースは流れていき、「今」を追い続けないと「過去」を知る事が出来ない。
その点、新聞紙面では作成したその時点での「今」が停止しており、その時点での記事の重要度が記事の文字数、文字の大きさになって表されている。
それが「真央 銀 ・・・」になっているのだ。

一日のうちに「報道」する価値のあると判断されたニュースは沢山あるのだろう。
時間とともに記事は書き加えられていき、「過去」のニュースは後へ追いやられてしまう。
しかし、どの記事が重要かという判断がネットニュースの場合おざなりになっているのではと思う事がある。
新聞には締め切りという時間制限があり、その時点で何を紙面に載せるのか取捨選択する必要があるが、ネットの場合、出来上がった記事から載せていくような取捨選択のなさを感じるのだ。
だから新聞紙面で一面になるような記事でさえ、ネットニュースでは流されてしまっている。
もちろん速報性として、別に替わる重要な記事があるのならそれも当然だが、どうやらそんなものはなさそうであった。
単に時間とともに記事の羅列が進んだだけであった。
現在、ネットニュースのフロント面に「真央 銀」の文字はない。
結果を知りたければクリックし続け深く探っていかないとならない。
これって不便だ。
新聞は締め切り時点を軸にニュースを凝縮して詰め込み、その後のニュースは次の締め切りまで凝縮する繰り返しで、速報性は劣るがデータベースとしての価値はある。
昨日の事が知りたければ昨日の新聞を見ればイイだけ。
ところがネットでは過去のニュースを見るには、クリックし続けて過去に戻らねばならない。
その場合に文字の大きさがニュースバリューと関係なく同じというのは探しにくいのだ。
試しにネットニュースサイトで「真央 銀 ヨナ 金」が判断出来る記事を探してみて。
断片はわかるが結果がキチンと報道されている記事を探すのは苦労するよ。
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普段と違う事に気づいているか

2010年02月26日 | Weblog
某月某日
iPodなどで自分の好きな音楽だけを聴く人が多くなり、興味のないものはまったく知らないし聴かないという人も増えている。
おかげで誰でも知っているミリオンセラーなどはなくなってしまい、いくら大ヒットと言っても知っている人しか知らない世代限定流行が多い。
テレビの歌番組も少なくなり、最近はラジオを聴いた事がない若者も増えてきたという。
そうなると自分の興味以外の歌曲と触れる機会がない。
触れる気もないのだろう。

ところがここ最近、そんな風潮を断ち切るかのように、多くの人が自分の知らない歌曲を積極的に聴くためにテレビの前にいる。
気がついているのか?
iPodのイヤホンを外し、流れる曲を嫌がるでもなく、次々と聴いているのだ。

オリンピックのフィギュアスケートだ。
流れる歌曲に合わせて舞い踊る選手達。
曲目はそれぞれ。
映画音楽もあれば、クラシック曲もあり、ポピュラーもあるのだろう。
流れる曲名をsatoboは知らない。
唯一、先日話題にしたラーメン屋さんで、流れた曲が映画「ロミオとジュリエット」の中の曲である事だけはわかった。
なぜならオリビア・ハッセー主演のこの映画を観ていたからだ。
当時15才でアルゼンチン出身と映画パンフに書いてあった。
映画の中でジュリエットが裸身でうつ伏せから一瞬向き直るシーンがあり、その瞬間satoboはオリビアのファンになったのはいうまでもない。

ほとんどの人はsatoboと同様にその筋では有名だが自分は知らない曲を聴きながら演舞を飽きもせずに見ているのだ。
普段はしないそんな行為に気づいている人はどれだけいるのだろう。

普段はしないといったが、他にも実はある。
映画もだ。
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花は遅かった

2010年02月25日 | Weblog
某月某日
県道の拡張工事で道路脇の家が立ち退きを迫られている。
画像のクリーニング屋さんも対象となっていた。
並びの住宅はすべて取り壊されて整地され、残すはここだけとなっていた。
それでも毎日朝早くから仕事をしているのがガラス越しに見る事が出来た。

そろそろバイテンで記念写真を撮っておこうと思いながら延び延びになっていたのはワケがある。
早朝の一時(いっとき)しか日が差さないのだ。
その早朝に晴れないと撮影出来ないのだが、寝坊したりしてままならなかった。
まだしばらくは大丈夫だと高をくくっていたら、昨日朝出勤時に通りかかると住民が荷物を外へ出していた。
「ああ、引っ越しだ」と思い、じゃあ土曜日にでも撮影しようと考え、仕事帰りの夜更けに再び前を通ると、なんという事か!
すでに家のまわりにやぐらを組み、シートで覆われているではないか。
早すぎ!
週末まで待って欲しかったなぁ。

特に思い入れがあるわけではないが、なんとなくサマになっているタテモノで気になっていたのだ。
やはり「告白」は早くしておくべきだ。
コメント (4)
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美形点

2010年02月24日 | Weblog
某月某日
昼にラーメン屋さんに入ったら、テレビでオリンピックのスケートをしていた。
これが今回初めて見るオリンピックだった。
無下にチャンネルを変えてくれともいえないので、タンメンが出来るまでの間ボッと眺めていたのだが、白人ジョシ選手が出ていた。
靴を見ると白いスケート靴を履いている。
次の白人ジョシも白い靴だ。
この間疑問に思ったあの肌色(死語)のスケート靴カバーみたいなものはつけていなかった。
次見たアメリカ代表の日系女子は肌色カバーで靴を覆っていた。
つまり想像だが、あれは脚が短い選手が脚を長く見せようとして履いているのだろう。
どこまでが脚で、どこからが靴かわからなくして脚の長さを錯覚させる作戦、略して「どこまでが脚で、どこからが靴かわからなくして脚の長さを錯覚させる作戦」だ。
確かに二人の白人ジョシ選手は脚も長くスタイルも良く、優雅でチャーミングだった。
かといって、それで得点が高くなるわけでもなさそうだ。
腰の太い、脚の短い、いわゆるチンチクリンが3回転半ジャンプなどを成功させると、そちらの方が上位に入ったりする。

フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミング、新体操など、絶対的数値で優劣を計るものでない競技、いわゆる見せ物系はワザの難易度もさることながら、もっと美形点で優劣を競った方がイイような気がする。
だってその方が優雅で美しく、見ていて気持ちがイイ。
そうしたらあんな肌色グッズで、いかにも脚が短いのを気にしてごまかしていますよ的なみっともなさを見なくて済む。
つまりこれからの見せ物系スポーツはワザ+外見の時代だと思うのだ。
なんとかみどり(うつみでもないし、小松、五月でもない)や渡部なんとかみたいなワザはスゴいが外見が・・・などというのは淘汰されるべきだ。
だってクラシックバレーなんかいくらウマくても淘汰されているでしょ。
そうやって淘汰されれば必ず才色兼備の選手が現れてくるのだ。
身長が低くてもイイ。
脚が長くて頭が小さくバランスが取れていれば優雅に動けるのだ。
オリンピックという見せ物にはこういう視点が今後必要になるはずだ。

もちろんダンシも同様だ。
フォーリブスやシブガキ隊、すまぬ古すぎた、嵐やHey! Say! JUMP(知らないから検索しただけ)などがもてはやされるのはイケメン(satoboの代名詞)だからという要素が大きいだろう。
それをスポーツの世界にも持ってきて何が悪い。
タッパの高い、スマートで脚が長く、イケメン、爽やか笑顔のダンシがスケート、スキーなど冬期競技をしていれば、韓流ブームから寒流ブームに様変わり間違いなしだろう。
そうなれば容姿端麗なダンシ、ジョシがスポーツの世界に挑戦し、グッと華やかな映像で話題を盛り上げてくれる。
なんて甘美な世界なんでしょ。
そうなればsatoboもオリンピックを見るようになるのだけれどね。
ジャネット・リンで終わってるんだよ!satoboは。
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