satoboの写真日記

言いたい放題の酔っぱらい日記

残されるものの失意

2018年02月24日 | Weblog
胸の振り子さんの死亡記事を読んだときに「何やってんだよ!」と思ったが、その気持ちは今も続いていて、これからもずっと続くだろう。
クルマに興味がなかったからか、軽自動車運転中の事故であっけなく死んでしまった。
なぜもっと身を守ることに注意を払わなかったのか。
手に入れられる最高のもので最大限に身を守らなかったのか。
それが周りの大切な人やネコやものを守ることになると思っていなかったのか。
また周りのあなたを大切に思っていた人やネコを守ることになると思っていなかったのか。
死ぬということは避けられないことだけど、少なくとも急に自分がいなくなるということの影響力をもっと考えて日々を過ごして欲しかった。
おかげで多分、父ちゃんの帰りをずっといつも待っていたネコは父ちゃんと住まいを失い、失意を胸にいなくなってしまった。
年老いた親は突然の訃報に残りの人生をまた失意のうちに過ごすことになった。
そしてあなたを愛した人たちから、あなたとのこれからの人生を奪ってしまった。
だから「何やってんだよ!」と言いたいのだ。
自分が大切に思うものがあるのなら、そうそう簡単に死んではいけないのだ。
簡単に死なないように日々注意して生きなければいけないのだ。
それが残されるものたちへの愛じゃないのか。
ひどいぜまったく振り子さんよ!



壺屋1丁目の街並み 6
沖縄県那覇市壺屋1丁目
撮影 2017年11月24日 金曜日 17時00分
コメント (2)
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胸の振り子さんの写真のこと

2018年02月17日 | Weblog
胸の振り子さんこと根本豊治さんが2月13日に交通事故で亡くなった。
胸の振り子さんの写真は、satoboにとっては不思議な”産物”であって、いつも感心しながら見ていた。
satoboも少しは写真を撮る状況というものが見えてきて(それでも大きな勘違いは多々あるけど)、この写真はこういう状況でこういう感覚でこういう感じ方でこういう撮り方をしたのだなと想像できるようになった(と自分では思っている)のだけど、振り子さんの写真はどうやらそういう感じ方で撮影していないということが本人に聞いたところで判明して、じゃあどうしてこんな写真が撮れるのだろうと不思議に思い続けているのだった。
それでとりあえず納得した答えは(本人は納得しないだろうけど)、”感性”で撮影していなくて”知性”で撮影しているのではないかと。
知性という言い方は誤解を招くのだけれど(いつも言葉遣いで誤解を招くけど)、スナップでさえも頭の中で画面を組み立ててシャッターを押す感じなのではないかと。
パッと見てパッと感じてシャッターを押すというよりも、そこに頭脳での演算が入って計算した写真を組み立てる感じ。
だから8X10で撮影したようなスナップが撮れるのにいつも不思議な気持ちがしたんだよね。すごいなぁって。
そういう”知性”優先写真って他に思い浮かばない。
satoboのこういった勝手な詮索を振り子さんは嫌っていたようなので(何しろ知性対痴性だからね)あまり迷惑にならないように遠くにいたんだけど、いつもつぶやきサイトで活動は見ていたんだよね。目が話せない人でしたから。
これからは寂しくなるよねぇ。



壺屋大通り 1 やちむん通り
沖縄県那覇市壺屋1丁目
撮影 2017年11月24日 金曜日 16時20分
コメント (1)
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出るときには出る

2018年02月13日 | Weblog
長い間探していた本がやっと見つかった。
ネットだとすぐに手に入るのはわかっていたけれど、実際に探してみることに”執念”を覚えているので暇を見つけては古本屋へ顔を出していた。
今日も回遊魚よろしく東京・新宿の古本屋へ行ったところ、しっかり棚に収まっていた。
それも2冊。
探してもないときにはないのが、出て来るときには続けて出て来るものなのだ。
調子に乗って棚を漁っていて、レジにこうとしてふと嫌な予感が。
財布の中身を確認すると1000円札が一枚だけ。
必要以外の本は買わずになんとか無事購入。
すっからかん。
8冊購入。



平和通り 4
沖縄県那覇市牧志3丁目
撮影 2017年11月24日 金曜日 15時20分
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工事完了、そして腰痛

2018年02月08日 | Weblog
先日のNTTフレッツ光の工事に続いて、今日はケーブルテレビの撤去工事。
あらかじめ室内配線は自分で撤去。
外部配線の取り外しだけ。
終わった後に光電話の配線を巡らせる。
埃だらけになった室内を掃除。
ついでに家具の移動と中身の整理。
余計なことをしたからか腰が痛くなる。orz
家人からは、部屋が綺麗になったとお褒めの言葉。
どうせ2,3日で汚くなるけど(汗;)
コーティングの取れた炊飯器を買い換え。ネットで。
ニャンコのエサを注文。
今月はお金の使いすぎ。
メガネにまではお金が回りません。(涙)




平和通り 2
沖縄県那覇市牧志3丁目
撮影 2017年11月24日 金曜日 14時45分
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昔のように撮れなくても

2018年02月07日 | Weblog
どうも若い頃のような写真が撮れないと悪戦苦闘気味と言えるんですけど、今日東京・御茶ノ水にあるギャラリー・バウハウスに田中長徳写真展「WIEN CT70」を見に行って、まあそんなものでしょうと思えるようになった。
この写真展は田中長徳氏が26歳であった1973年に撮影したウイーンと70歳を迎える(迎えた?)2016年の同所の写真の二部構成。
一階でまず26歳の写真を拝見し、若き視覚神経を堪能したのち、地階の2016年版を凝視したのだが、やはりというか経年変化を写真に感じ取ることとなった。
それが時代の変化で世相が変わったからか、田中長徳氏の興味対象が変わったからかはわからない。
どちらであっても悪いことではない、それぞれに写真の良さがあると感じるのであった。何しろ43年の月日が経っているのである。
しかし、ウイーンの街を歩き回り、視覚に触れるものをシュートする感覚はいささかの変化もない。
ギャラリーに行く前に、20000歩動画撮影を行なって身も心もヘロヘロになった自分としては、比べることもできない動的能力に尊敬の念を抱くとともに、まあ自分はこんなものだろうと諦めの境地になって”安心”した。
昔の自分と今の自分は違うのだ。
昔のような対象を同じように今も追いかけても仕方がないのだ。
むしろ今を今の状態で撮影することが現在を撮影するということなのだろう。
それもまた乙なことであることを写真展から学んだのでした。




平和通り 1
沖縄県那覇市牧志3丁目,壺屋1丁目
撮影 2017年11月24日 金曜日 14時40分
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