Nonsection Radical

撮影と本の空間

どこで売ってるの?

2015年01月31日 | Weblog
ネットで気になる商品を見つけて、確認のために実物が見たいなぁと思っても、店舗でほとんど扱っているところがないって事があるじゃないですか。
その商品のウェブサイトに行って、取り扱い店舗を探して行ってみても、欲しいものは展示していなかった、なんて事も多い。
じゃぁどこで買えっていうのさ。
ネットで実物を確認せずに買うにはリスクが高いってこともあるじゃないですか。
最近は舶来品(死語)でも自社ショップを置くところもあって、そういう場合は実物を確認出来るんだけど、取り扱いをどこかの代理店に依託している場合は、その代理店の”やる気”で全然取り扱いが違ってくるんだよねぇ。
海外大手通販会社のように、気に入らなかったら返品可能っていうのなら安心なんだけど、どこでもそうじゃないからねぇ。
できれば大都市にだけでも、全品扱っているお店を用意して欲しいものだよ。
お店も、売れ筋商品だけ扱うんじゃなくて、出来るだけ多くの商品を扱って欲しいんだよねぇ。




泉町の街並み 1
兵庫県豊岡市泉町
撮影 2014年8月2日 土曜日 14時10分
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自分基準じゃわからない

2015年01月30日 | Weblog
何かものごとを判断するのって自分の基準でするじゃないですか。
でも子どもだと、まだまだ判断するのに役立つ知識とか経験が足りないから、「オマエらにはまだ判断出来ないんだぁ」ってことで、オトナが決めてしまう事もあるでしょ。
じゃあオトナになったら何でも判断出来るのかって言われると困るんだけど、そこはそれオトナだってことで自分の基準で判断してしまう”権利”があるように思ってしまうんだよね。
それでもしょせんは自己判断で、そんなものは間違っていたり、思い違いをしていたり、寝ぼけていたりして、間違った判断をする事も多いわけですよ。
自分の考えていた事が、実はとんでもない事だったりするのも多いけど、なぜかオトナだからという事で「言論の自由」を行使したりするわけだ。
それでもやっぱり判断出来ない事ってあって、そういう場合は、判断出来ないと判断するか、判断出来ないけどテキトーな事を判断するかにわかれるんだな。
何か出来事や事件などがあって、自分には理解出来ないものであった場合って最近多いじゃないですか。
近頃はネットというものもあるので、そういう場合でもテキトーな事を書く事が出来る環境になっていますよ、このブログみたいに。
それで何がしかの考えを”表明”できたり出来るんだけど、やっぱり自分の知識や経験や基準では判断出来ない事ってあるんだよね。
やっぱ、そういう時には他人の基準や判断を参考にするってことも必要なんだと思うよ。
そういう考えもあるんだぁ、そういう決まり事があるんだぁ、って知らない事を知る必要があるんだよなオトナも。
だいたいオトナって勉強しないじゃないですか。
最終学歴までの知識しか持っていないんだよね、それも当時の。
これじゃあ”現役”の学生にも知識では勝てるわけないよね。
でもオトナだから勝手な判断が出来るんだよ、自分の基準で。
これってヤバくねぇ?



浦上天主堂通り 2
長崎県長崎市平和町,本尾町
撮影 2014年3月21日 金曜日 12時50分
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工夫のしどころ

2015年01月29日 | Weblog
デイパックなんてさぁ(昨日の続きね)、求められる機能なんてだいたい決まっているんだから、それをいかに使いやすいものにチューンナップしていくかが製造者の腕の見せ所なんじゃないのかね。
ところがみんなとってつけたように工夫のない、単につけましたが何かぁ?みたいな使い勝手の悪いものしか作っていないんだよねぇ。
そういうデザインって、何を考えてんだろうね。
工夫のしがいがあって、スゴく面白い仕事だと思うんだけどねぇ。
個人的に気になっているのは
ファスナーの滑らかさ
ポケットのオーガナイザーの機能性
ショルダーストラップの形状
内部の使い勝手
サイドポケットの作り
などですが・・・
ファスナーの開閉が片手で出来て、ポケットの中を整理できて取り出しやすく、疲れのないショルダーストラップで、ちょっとしたものを入れる内部ポケットがあって、ペットボトルや傘が入るゴムの伸びないサイドポケットのあるデイパック。
ね、簡単な希望でしょ。
これを突き詰めていけばいいだけなんだから。
どうしてそういう事をしないで、やたら引っかかる飾りをつけたり、満足に調整出来ないストラップをつけたり、押しても引いても動かないファスナーを使ったり、何も入らないオーガナイザーをつけたりするんだよ。



能登川駅前
滋賀県東近江市垣見町
撮影 2014年12月13日 土曜日 11時15分
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オッサンはわがまま

2015年01月28日 | Weblog
オッサンは不満だらけだからボロくなったリュックの代わりを探しているけど、なかなか気に入るのは見つからない。
バッグもウェアもみんなムダなものばかり飾りについていて邪魔なのが気に入らない。
靴も最近は3Eだ4Eだとドナルドダックもビックリするような幅広ばかりで合うのがなくて気に入らない。
絶対に4Eサイズの足など多くないはずなのだが、フィットするという事がわからない人間ばかりだから、楽だというだけで幅広サイズを買うのだろう。
「現代人」はどんどん足幅が狭くなっているので、3Eや4Eが多いはずがない。
バッグもウェアもなんちゃってばかりで、使い勝手の悪いものばかりだ。
こんな状況になるのも「ユーザー」がイイカゲンな使い方しかしないから不具合がフィードバックされないのだ。
というよりメーカーもやる気があるのかね。
細かなどうでもイイ部分ばかりデザインを変えるけど、コストダウンが見え見えだし、どれもこれも似たようなものばかり作るし。
そんなにどうでもいいようなものばかり作っていて楽しいのかね。
モノが売れないのは、本当はつまらないものばかりだからじゃないのかね。
少なくともオッサンはそうだよ。
欲しくてもつまらないものばかりしかないんだよ。
これはいいわぁと思えるものってホント見当たらないんだよ。
劣化しているよ。




鳥取の街並み 5
大阪府阪南市鳥取
撮影 2014年7月12日 土曜日 16時25分
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オヤジの浅知恵だったぁ

2015年01月27日 | Weblog
昨夜読んだのは「避難所」垣谷美雨著、新潮社。
3人の”だめんず・うぉ~か~”が震災を機に明らかになった”だめんず”との関係を乗り越えていく物語。

最初読む前に「どんな話かなぁ~」と想像したのは、著者自身の内容紹介を頼りに。
どうして避難所の運営がウマくいかないのだろうと考えて、そもそも避難所だけでなく、従来の自治会だって、家族だってオトコが仕切ると上意下達で弱い立場のものが結局我慢する事になるじゃないかと。
それはそういう関係性の中に「会社」の運営方法を持ち込むからじゃないのかと。
そもそもほとんどのオトコは会社の運営方法しか組織運営の仕方を知らないし。
会社の運営方法は、軍隊と一緒で、ひとつの目標に向かって一致団結して向かっていく事にある。
そのためにリーダーを立てて、上意下達で命令し、目的のために下のものは黙って従う事を良しとする。
不満は仕事後の居酒屋で晴らすわけね。
そんなものを、生活も考えも生き方も違う他人が心ならずも寄り集まった避難所に持ち込むんだからウマくいくわけないよなぁ。
結局自分ちの家族観を持ち出してイイ気になっているんだろうなぁと。

ところが
そんな話はたった一言「ここは会社じゃない」の表現だけ。
まったくオヤジの浅知恵だった。
物語はそんなところにあるのではなく、ずっと潜在化されていた地域の問題、家族の問題、オンナの問題が震災を契機にあらわになり、それに翻弄されながらも前に向かっていこうとする3人の妻達の姿にあるのでした。
まあオヤジ側からの”反論”として予想されるのは、何百人もいるたったひとつの避難所の人の中のわずか3人(+男児2人)に各地で起こった(とされる)問題を集約して物語るのは現実的でないし、他の「大多数」の人はそんな事を思ってもいない、というものだろう。
でも、小説ってそういうものでしょ。
様々な場所で時代で人に起きた事を取捨選択して物語を創り上げていくものだから。
だいたいそんなことを言ったら、オヤジが大好きな「島耕作」なんか、一人の人間にそんなにたくさんの事件があるわけないじゃないって事になるよね。
身近にあれば現実で、他人にあれば虚構。
そんな勝手な理論で作り上げてきたオトコの社会の限界を震災があらわにしてから、働けど一向に上向かない景気に渋々ながら「女性活用」なんて言い出してるけど、やっぱり社会も家族も会社じゃないんだってわかってないんだよね。orz



築地場外市場 9 晴海通り
東京都中央区築地4,6丁目
撮影 2014年8月11日 月曜日 12時20分
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