Nonsection Radical

撮影と本の空間

最悪の一日

2010年01月31日 | Weblog
某月某日
8x10を転がして某県某地に行ったんですよ。
電車の窓から以前発見した物件を撮影するために。
良い場所(狭い歩道)を見つけ、三脚を立ててカメラを載せようとしたら、右手に激痛が・・・。
正月以来ずっと右肘の骨が痛くて、痛みが引かないままだったのが、さらに悪化してしまったようです。
イテテと叫びながらセットし、まずは210mmで撮影。
f64で1/15。
続いて300mmで撮影(この2本しか持っていない)。
撮影完了で、気持ちよく他の物件探しにブラブラ徘徊。
フィルムは3セット6枚とポラ2枚を持っていたのです。

次の物件を撮影しようとまた激痛に耐えながらセットし、フィルムを装着しようとした時・・・
ふとさっき撮影したフィルムホルダーを見ると、引き蓋が一枚白になっている。
大判写真のフィルムホルダーは、撮影したかどうかを区別するために、引き蓋の裏表が白黒でマークされていて、普通撮影済みで黒マークを表に見えるようにしておくんです。
記憶をたどってウンウンうなっていたら、おぼろげながら思い出し、1枚めは確かに黒いマークを表にしたなと。
そして2枚めは・・・
記憶にない。
そうなると想像出来るのは、
1.1枚めにまた2枚めをダブらせて撮影した。
2.2枚めも正しく撮影したが、引き蓋を黒にしなかった。
3.2枚めは撮影しなかった!
これのどれだ?

実は以前にもダブり露光をした事があるのです。
渋谷で撮影中にガードマンが来て、注意された時に慌ててしまい、黒マークにしなかったようなのです。
なぜかバイテンで撮影していると心がハイになってしまうんです。
シロートです。
頭の中をあおい輝彦の歌のリフレインが止まらないんです。

話を戻すと、とりあえず撮影済みの事は忘れて、新たな気持ちでと別のフィルムホルダーを取り出すと、両面撮影済みの黒マークが・・・
撮影した記憶がない。
年末にフィルムを装着したので、このひと月の間で何を撮影したか思い出そうとするのだが、撮影したっけ?
撮影していないのなら、なんだこれは?
その場で頭を抱えて考え込みますが、忘れた事は思い出せないのが最近の特徴。
結局思い出せず、もう1枚あるフィルムホルダーを使って1枚撮影。

また移動して、残りの1枚をイテテと叫びながら撮影。
ポラも1枚。
ポラは撮影後にテープを貼るので取り違えはない(はず)。

本命がちゃんと撮影されていたかわからないが、現像に出すしかない。
最悪はダブり露光と未露光。
それでも現像代は取られる。
悪夢だ・・・

帰宅後、撮影済みのフォルダーには何が写っているか捜索。
大判で撮影する時には、デジカメで同時に撮影する事が多いので、デジカメの画像を探すが該当するものがない。
やっぱり撮影していなんだと思って、ふと棚を見るとムラムラのポラが・・・
遺跡を撮影したんだ!

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お風呂で物理を考えるのココロだ

2010年01月30日 | Weblog
某月某日
湯船につかって湯垢をくみ出すのがsatoboの仕事だ。
湯桶を斜めに沈め、縁(へり)から湯を流し込んで行くのだが、これがなかなか楽しい作業だ。
楽しめるコツは、いかに湯流を一定にして流し込むかというかなりマニアックな楽しみ方なのだが、ふとある事に気づいた。
湯流を一定にするには湯桶の縁を流れる幅(川幅みたいなものさ)を一定に保つのが大切なのだが、湯桶に湯がたまってくるにしたがい、幅は一緒なのに流れる勢いがなくなってくるのだ。
どうしてなの?
理系であったのだが、そういう事は授業で習わなかった。
流れる幅は同じ、流れ落ちる角度も同じ、違うのは湯桶にたまっているお湯の量だけなのだが、湯桶に流れ込む勢いは衰えてくるのだ。
まあこれがカラダであれば、衰えたと言えるのだが、お湯は加齢で勢いがなくなるわけではあるまい。
お風呂に入る時に確かめてみてください。
そして「答え」を教えてください。

湯桶を裏返して、空気を入れて湯船に沈め、ひっくり返して「オナラ!」という遊びはやめましょうね。年甲斐もないと笑われますから。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝の山

2010年01月29日 | Weblog
某月某日
非常に忙しい一週間を過ごし、クタクタなんだけど近くのヨドバシに会社帰りに寄ってきた。
カメラ売り場には目もくれず、模型売り場に直行。

satoboの仕事は精密部品の検査と修理なのだが、修理は実体顕微鏡を見て行なう0.1mm単位の細かい仕事だ。
そのため、使用する道具も特殊なのだが、業界にはそのための道具に良いものがない。
だからいろいろなものを工夫して使用するのだが、客先に修理をしている事がバレないようにしなければならない。
自動車関連のものやデザイン関連など、使えそうなものを探してきて改造する。

今日模型売り場に行ったのは、そこに来週から行なう予定の修理に使えそうな道具があるという情報を得たからだ。
売り場に行くと、フィギュアなどアチラ系の(笑)趣味人がうろつく独特の雰囲気があったのだが、場違いとは感じながら棚を探し歩いた。
するとザクザクと「あったら便利」という道具が並んでいた。
本来の目的以外のものもアレコレ手に取り、「これはあんな事に使えるぞ」などと思いながらしゃがみ込んでいる姿は、きっと場に溶け込んでいたに違いない。

結局、目的のもの以外にもたくさん買い込み、結構な散財となった。
ちなみにこれらの出費は自分持ちである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読み人知らず

2010年01月28日 | Weblog
某月某日
アップルがiPadなるものを発売するそうだ。
それで新聞や本が読めるらしい。
誰が読むんだ?
ずっと新聞や本を読む人が減っている。
本屋の数も減っている。
それなのにiPadを買ったからって、新たに読書をしたり新聞を読み始めたりする人がいるのだろうか?

読者は一定数はいるだろう。
結局その限られた人が紙媒体やデジタル媒体を使い分けて読むだけではないのか。
もっとも、今後紙媒体が減って行き、デジタルオンリーの書籍、新聞が出てくる事が予想されるが、まだ少し時間がかかる気がする。
それまでiPadが辛抱強く販売され続けるであろうか。
むしろ文字ではなく、映像の方が先に移行するのではないか。
iPadに映画やミュージックビデオをダウンロードし、移動中に観賞する。
そういうのに適したサイズだ。
文字よりも映像での可能性を感じる。
何百冊保存していても、数年すればフラッシュメモリーに保存したものは消えてしまうので、蔵書をため込むというわけにもいかないしね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログとミクシーとツイッター

2010年01月27日 | Weblog
某月某日
一昔前は「ホームページ」というのを作るのが流行った。
個人の情報発信のハシリだ。
そしてブログというのが登場し、ホームページを作る作業から開放されるとしてたくさんの人が作った。
個人の情報発信の普及だ。
それがミクシーというのが流行りだし、情報発信とサークル活動が組合わさった。
個人の情報発信の連携だ。
そして今、ツイッターをいうのが流行っている。
どうやら「つながる」というのがキーワードになっているようだ。
リアルタイムにつながりを持つ事で、情報や人脈を得る事が重要視されるようなのだ。
ようなのだ、というのは、読んだ雑誌にそういう事をキーワードで書いてあるからなのだ。
それを利用してビジネスに活かすという使い方を某評論家などが紹介しているが、金儲けの道具など面白いのだろうか、一般人には。
情報を武装した企業戦士になって、この不況の日本で何をしようというのか。
遊びでイイじゃないのか。
今現役の戦士達が繰り広げた世界戦で、世の中ボロボロになったのだから、その思想、作戦、人脈、方法論が役立たずであった証明ではないのか。
つまり現役の戦士達は役立たずではないのか。
そんな人達が自らの思考を変えずに、道具を替えても意味がないような気がする。
これからの金儲けは、「金を儲けない」から生まれるのではないかと思う。
「金を儲けない」という分野がもっとも企業戦士には不得手なものだと思う。
ワンパターンのレジャー、生活様式、価値観。
そういうものを捨てて生み出すべきなのは、金を儲けるという意識からはなれた活動ではないのか。
それが金儲けにつながるのだ、最終的に。
無から有を生み出す。
これからはそうしないと大日本帝国のように落ちぶれて行くのだろう。

ブログもミクシーも、金儲け(収益)を考えた時に面白味がなくなり、次へと移り変わって行った。
そういう点で、ツイッターが早くも現時点で金儲けの道具として想定されるようでは、意外と早く飽きられるのではいだろうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする