satoboの写真日記

言いたい放題の酔っぱらい日記

つまらない人生を楽しむしかない

2016年11月28日 | Weblog
夜勤明けで撮影に出かけようと思ったのに、仮眠するつもりが気がつけば夕方。
そういえば、昨夜も仮眠している時に、ケータイのアラーム機能で目が覚めて、起きたのだけど、ふとケータイを確認するとまだ指定の時間になっていない。
確かにアラームが鳴ったと思ったのだけど、気のせいだったのか夢だったのか。
ほとんど寝ぼけていたので、その時の状況がわからない。
新たなミステリー(笑)

撮影ついでに買い物を予定していたのだが、撮影がオジャン(死語)になったので、買い物だけをしに。
ところが予定していたものがターミナル駅のショッピングセンターでは何も見つからない。
地方のショッピングセンターなど、大衆の多くが必要とするもの以外は置いていないのだ。
探し物に疲れて店内を見渡して、若者向きのブランド(ZARAとか)って、結局地方都市のショッピングセンターブランドだと気がつく。
結局必要なものは見つからず。
クルマを処分したので個別に店舗回りをするのもままならないのも地方都市生活者の悲哀。
これはこれで楽しんで暮らすしかない。



秋葉原の街並み 2
東京都千代田区外神田1,4丁目
撮影 2016年11月16日 水曜日 16時35分
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都会の雪は人災

2016年11月24日 | Weblog
関東でも雪が積もり朝から電車が遅れた。
その電車に乗っていたんだけど、なぜ遅れるんだろうと普通誰も考えないことを考える。
様子をうかがっていると、雪によって線路が云々とか、設備的なことで遅れているわけでもない。
単に人の乗り降りに時間がかかっているだけのようだ。
人の様子を見ていると、雪用に装備を整えている人などほとんどいなくて、普段の服装のままでいる人が特に男のサラリーマンに多い。
当然革靴だ。
女性でヒールの人だっている。
これで移動するのだから、どうしても普段より慎重になり移動に時間もかかる。
それが積もって電車が遅れるというのが原因なのではないか。
今日も都内で何十人かがころんで医者に行ったというが、なぜころんだかの調査発表はない。
でも革靴やヒールだと転びやすいだろう。
そういうリスクを抱えて普段の格好でいる理由は、カッパを着て山ぐつを履いて移動するオッサンにはわからない。
なにかきっといいことがあるのだろう。
そうであっても、心の中では「融通の利かない奴ら」と思う。
雨が降れば雨降りの態勢を整える、雪なら雪のためにと切り替えることができない人が、仕事への柔軟な対処が出来るのだろうかと心配になるのだけれど、それは余計なお世話というものだろう。



長後の街並み 8
神奈川県藤沢市長後,下土棚
撮影 2016年10月26日 水曜日 15時45分
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悪意のない人たちでも社会を壊す

2016年11月23日 | Weblog
最初にそんなことを思ったのは漁業に関してだろうか。
カニとかウナギなどを取り尽くしてしまい、よその国から”輸入”してまでさらに食べ続ける。それも安く、安くと”大衆価格”にしてさらに購買意欲を煽って。
それらを食べ続ける人たち個々人には、食べ尽くしてやろうとか悪意はまったくないのだけれど、”結果的”にみんなで食べちゃったということなんだけど、食べ尽くしたあとには一時的に潤った人たちも仕事を失い、困った困ったとなることをいろいろなもので繰り返してきた。
ハタハタなんかも高級魚になるほどいなくなったわけで、カニなんかも日本にいなくなったら、近隣の国のものにまで手をつけてさらに”安く”食べ続けてようとしているし、ウナギなんかもそう。
これはマズイから食べるのは控えようとは一般の多くの人は思わないわけで、いつの間にか高嶺の花になって手が出なくなったということになる。

そういうものは食べ物だけではなく、社会資本というのだろうか公共的サービスに関しても行なわれている。
医療費を抑制しないとマズイことなると言われ続けているんだけど、それぞれの人たちにはそれぞれの理由があって医療サービスを受けるんだけど、結果的に保険制度がパンクしてしまうほど”医者通い”を繰り返すわけだ。
厚労省などは、そんな振る舞いを抑制しようと、簡単に言ってしまえば「安易に医者に行くな」とあれこれ策を練るのだけれど、人々が簡単に従うわけではない。
そんなことを言われなくなって、昔は金がなかったのですぐに医者に行くわけではなく、売薬で済ますとか、しばらく様子を見るとかして、個人も社会も結果的に出費を抑えていたんだけど、いつの間にか薬局に行くよりも医者に行く方が「安い」と、あるいは「安心」とすぐに医者に行くようになった。
もちろんそういう人たちに医療制度を破綻させようという悪意などあるわけもなく、ただサービスを利用しているだけなのだが、結果的に社会を破滅に向かわせるぐらいの出費をさせることになる。
我が家の老親などは、あそこか痛い、ここも痛いと保険のきく”整骨”に通って、使い切れないほど湿布を貰ってくるのだけれど、これも利用しやすい値段でサービスが受けられるからという理由だけである。
〜よりも安いから、と本当に安いのかもトータルで考えればわからないことを利用して安心と便利を買うわけだ。
その結果が医療制度破綻。
老化や慢性化で治らない症状であるにもかかわらず、緩和という名目で医療を受けるのが高齢化社会になって増えている気がするのは、昔だったら(と、昔語りをする年寄りだよ俺は)湯治に行くとか按摩鍼灸など”自費”で癒していた行為が廃れてしまったことからも想像できるんじゃないのか。
湯治で長患いを治すなどということをせずに、一泊二日で”湯治”に行って楽しかったなどと思う世の中になっている。
これまで行なわれてきた”民間療法”などというものがいつの間にか金がかかると言って、病院通いにシフトした結果が医療制度破綻の一因ではないのか。
もちろんみんな悪意があってそうしているわけではない。
結果的にウナギを食い尽くそうとしている状況と同じことをしているわけだ。
個人的にはウナギを食うことも、食べ放題でカニを食うことも、風邪で医者に行くことも、保険で整体に通うこともしないのだけど、それはなんとなく「そんなことをしても意味がない」と感じているからなんだけど、そんな風に他の人が思わないのも知っているので誰に言うわけでもない。
ただ、結果的に世の中が傾いていくのだけど・・・と言いたいだけなんだ。



長後の街並み 7
神奈川県藤沢市長後,下土棚
撮影 2016年10月26日 水曜日 15時40分
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アマゾンは・・・

2016年11月17日 | Weblog
電子書籍を読むのにソニーのリーダーを使っているんだけど、もう後継機はない。
専用端末で読ますというのは諦めたようだ。
それでも実際に使っている側としては、専用端末の画面の見やすさ、バッテリーの持ちなどから、これはこれで使いやすいと思う。
ただそう思う人が少ししかいないので売れなかったのだろう。
ただ自分の使っているリーダーは、推測ではメモリーの解放が行なわれず、読めば読むほどメモリーの使用量が増えていき、ハングアップするという現象が続いている。
ハードの交換をしても同じだったので、たぶんソフトの問題だと思うのだが、公式にはそんな不具合は発表されていない。
そんな感じなのでいつまで使えるのかと不安なんだけど、それでは思い切ってアマゾンのKindleに変えるかという決断はまだつかない。
ソニーに対するガッカリ感とともに、いまだソニーという名前に未練が残っているのか。
電子書籍で最新の本を読むということはなく、紙の本で手に入らないものを買うということをしているんだけど、最近は昔の本を電子化するということもほとんどなくなったようだ。
なにしろ文字の本など紙でも電子でも読む人はほとんどいないのだから商売にならない。
現在ではブックオフだけが7,80年代の社会科系書籍の供給源になっているのだ。
アマゾンであっても供給源は同じなので古い本は手に入らないのは変わらない。
それでも僅かにある読みたい本のためにKindleを買うべきかと考えるのだけれど、大手になびくというのを潔しとしないへそ曲がりぶりが躊躇させるんだよな。
あとは、僅かに残る敗者のものに愛着があるというへそ曲がりぶりも関係するのだろうか。
iPod Touchの値段でアンドロイドスマホが買えるとわかっていても、iPod Touchを買い換えようかと思ってしまうのも同様だ。
まったく損な考えが染みついたものだ。



長後の街並み 2
神奈川県藤沢市高倉
撮影 2016年10月26日 水曜日 14時35分
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ババシャツとフリース

2016年11月16日 | Weblog
ババシャツを着るシマムーラ、フリースを着るユニクローゼとファストファッションの双璧と言われたのも遙か昔。
今では向かう方向が違ってきて、それで立場も違ってきたようだと勝手に判断してみた。
値段の割には質がまあまあと言われて成長したご両人だが、どうやらユニクロは自分の立ち位置が不満であったようで、少しランクを上げたいといつもチャレンジしている。
フリースのと言われるのが嫌なのか、格差社会において、ある層から這い上がろうとするけれど、その度に頭を打たれてしまうの繰り返し。
それでも背伸びをするような値段づけを繰り返すが、思ったようにはいかないようだ。
1990円なら買うけど2990円ならいらない。
そんな層に見切りをつけて2990円なら買うという層を相手にしたいようだが、そんな層はそうそういない。
一方ババシャツのと言われることになんの不満もない(ような)しまむらは、ずっと同じ層をターゲットに商売をすることに躊躇はない(ようだ)。
多品種売り切りの計画経済商法と勝手に命名している。
で、どちらが”勝った”かというと、ユニクロの惨敗のようだ。
実はユニクロって1万円や1万5000円とかの商品って結構高品質なんだけど、客筋はそれを求めず1990円のものを欲しがるってのも可哀想な話なんだけど、自分が蒔いた種なんだから仕方ない。
しまむらは自分が蒔いた種を実らせて収穫を得ているんだから、これは商売の考え方の違いなんだろうね。
フリースの下はババシャツという層を相手に商売するのは難しいだろうな。



長後の街並み 1
神奈川県藤沢市長後,高倉
撮影 2016年10月26日 水曜日 14時25分
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