Nonsection Radical

撮影と本の空間

転ばぬ先の絆創膏

2011年05月31日 | Weblog
撮ったはイイけど、さてそれをどこに保存しようかと頭を悩ませている。
現在内蔵HDの残りは「わずか」250GB。
ここにビデオデータを継ぎ足していくのは無謀。
では、どうすればいいの?
普通はどうしているの?

考えているのはHD保存。
外付けHDにデータを保存。
その場合、バックアップはどうするの?
RAID?なにそれ?
または、ブルーレイディスクに保存。
ドライブ持っていない。
BDの場合だと、データとして保存するのか映像ディスクとするのか。
何もわかりません。
どうすればイイのでしょうか。

怖くていまだ出会い系盗撮ハメ撮り映像を取り込む事が出来ません。
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遅かった

2011年05月30日 | Weblog
「日本街並みアーカイブ財団」活動第一弾として、狙っていた商店街があった。
ところがあいにく台風や梅雨入りで雨が降り、撮影する事が出来なかった。
あわてて撮影する事もないのだろうが、その商店街の入り口にあるケーキ屋さんがどうやら今月中には閉店するらしいのだ。
そのお店を撮っておく事がアーカイブだと思い、準備を進めてきた。
で、先週撮影したのだが、(撮影はいつも昼休みです。仕事場の近所です。)画面に納まりきらずにワイドコンバータレンズを買いたして、土曜日に再び挑戦しようとしたら台風の強い雨。
日曜日も一日雨。
そして今日こそと思ったのだけど、曇り時々雨。
休み時間とともに飛び出し、現場に向かうと・・・
昨日で閉店していました。
そういう張り紙が・・・シャッターに。
ワイコンつきレンズはピッタリだったのに・・・

撮影はしたけど、どうやってマックに取り込めばイイのか思案中。
新しいHDを買って保存するのが良しか、ブルーレイか。
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明日こそ

2011年05月29日 | Weblog
結局土日は台風に影響による風雨で外出撮影出来ず。
撮りたいものがあるのだけど、期限は明日だけ。
なんとか雨がやんで欲しい。

晴耕雨読(性交有毒ではない)で、たくさんの小説を読んで過ごした週末でした。
コメント (2)
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雨で予定が中止になり

2011年05月28日 | Weblog
本日は特に何もなく終了。
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地震の話も75日

2011年05月27日 | Weblog
何も進まず、何も解決せずに、現地では必死になって生きている人がいる一方で、テレビや新聞でだけ見聞きする人にとっては過ぎた話題となっている。
あるいは興味の対象が、被災して生活が激変しそれでも毎日の生活に追われ続けている人の姿から、自分の身に降り掛かる可能性のある放射能についてへと移っている。
NHKが他の原発への地震津波対応の番組を作るのも、他の地域の人へのニーズを取り上げていると言えようが、「地震」に対して特集しているわけではない。
あくまでも原発だ。
マグニチュード9という数字が、新たな基準で言うと、というカッコつきの数字であって、従来の基準では8クラスであるらしいのだが、そうなると他の地域でもあり得る地震規模と言えよう。
その規模で原発のないところで、どれぐらいの地震被害があるかという予想はこれまでもされてきたのだが、それが変更しなくても大丈夫であるのかは報道されたか。
電気ガス水道などの被害、食糧流通の予測、首都圏で歩け歩けだった帰宅難民、報道機関のあり方、政府自治体のあり方、検証しなければならない問題はたくさんあるだろう。
被災地となった地域の今後の生活援助のあり方、有効な自治体の姿、毎日を生き延びるのに助けとなる制度、人のあり方、備えなど現在進行形で考えていかなければならない問題は山ほどある。
そしてそれは誰か、あるいはどこかがするのではなく、各個人が自らの経験でもって行なっていかなければならない。
また私たちが得る情報というのが、今回の震災においても、かなりあやふやな、また意図的な、あるいは保身的なものである事が、その出所が政府や役所、学者、当該企業であっても、誰が考えてもミエミエな態度で出されたりして、検証なくて信じると馬鹿を見るという状態である事が確認できた。
もっとも身近な自治体であっても、たいした根拠もなしにイイカゲンな事を強制したりするのは、すみやかな献身的対応が行なわれている一方で、並列して記憶しておく必要がある。

原子力発電は安全でリスクの低い安価でクリーンな発電方法であると、今でもいう人がいる。
これは正しい。
ただ、確率的には低い「なにか」が起きた場合、危険でリスクの高い高価な発電方法であると「反対派」の人はこれまで言っていたわけだ。
その「なにか」が今回たまたま起きただけで、起きたら反対派の言っていた「想定」が実際のものとなっただけなのだ。
つまり事故は311に急に起きたわけでなく、すでに何十年も前から起きようとしていたのだ。
賛成推進派は、反対派がいうような事は起きるはずもないし、荒唐無稽な中傷誹謗だと言い続けてきたし、だからこそ「なにか」に対して対応を進めてきたわけでもなかった。
その結果、事故発生以来、反対派の人達が予想する発生原因対応の話が、推進派の政府、企業、学者のそれらよりも正確で予想通りで、現実的であるという皮肉な事になったわけだ。

ラジオで言っていたが、今回の震災で、本当の事を言ったら国民はパニックなると治世者達は思って情報を操作していたのだが、実際にはパニックになっていたのは治世者側で、やることがすべて場当たり的でその場限りの思いつきや、意味不明の発言行動などで国民を困らせた。
もちろんその片棒を担いだのはマスコミ報道で、矛盾している事を同時に伝えていたりして、いかに日頃から対応を決めていなかったのかがわかる。
高学歴集団であるにもかかわらず、意外に総合的に知識レベルが高くなかったりして、誰が考えてもおかしい話を平気で伝えたりして、バカを告白する恥さらしな事をしたりした。

そうやって直接的に、間接的にこの国に住む人の生活や考え方を変えてしまったのだけど、その中でまた明日朝になったら雨が降ろうが寒かろうが暑かろうが生きていかなければならない現実が待っているのだ。
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