Nonsection Radical

撮影と本の空間

おかしな天気だよね

2016年08月30日 | Weblog
まだ8月だというのに秋の長雨のように雨の日が続いている。
天気予報など当たらず、その時刻になってやっと実際の天気に追いつくのが予報と呼べるのかと疑問の毎日。
出かける予定も立たず、天候不順が体に影響して、膝も痛くなり、湿気で眠りの質も下がり、これで秋になるとさらに疲れが出て・・・なんてことも。
satoboの体調が悪くなるとたちまち我が家も回らなくなり、あちこちなんとかしなければならないことが放置され、ますます悪循環が・・・
なんとか生活を立て直さねばと思うが、体も言うことを聞かず、ついつい放置したままの案件が山積みに。
ついつい日記の更新も滞りがちになってしまい申し訳ない。

それにしても天気はこうですと言われるけど、これがどうもおかしな天気だという声を聞かないのは、あまりみんな天気に興味がないからかね。
関西は猛暑だというけど慣れたのですかね。
慣れればいいというものではないはずだけど。



祖師谷商店街 4 ウルトラマン商店街
東京都世田谷区祖師谷1,3丁目
撮影 2016年7月27日 水曜日 14時50分
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やっぱりポッドキャスト

2016年08月26日 | Weblog
某ラジオ局のポッドキャストがストリーミング配信に変わり、当初は使っていたけど、データ量の多さに閉口し、費用のかからない低速接続すれば接続に時間がかかりと、使い勝手の悪さに次第に遠のいている。
ポッドキャストの場合は、家の回線でパソコン接続してダウンロードして転送するんだけど、それを手間とも思わないので、転送さえしてしまえばいつでもすぐに聴くことができた。
でもきっとそんな使い方は世間では一般ではないのだろうね。
ネット接続といえばスマホだけという生活を送る人が多くなって、多少のデータ量の増加も費用のうちと割り切ってるんだろう。
こちらは家で定額費用を払い、さらに外でもというのは「使いすぎ」と判断するんだよ。
そんなにネット費用をかけるのはバカげているからね。
そういう中でポッドキャストというのは大変便利なシステムだったのに。
パソコンは全然売れないそうだ。
パソコンでネット接続しないだけでなく、パソコンを使った操作自体をしなくなって、若い世代ではパソコンが使えない層も出てきているなんてニュースがあった。
使えるのはスマホだけというわけ。
それで不便を感じていないのなら問題ないかもしれないが、スマホには適さないものを切り捨てていくことで、選択肢の狭い世の中になっていくのは仕方ないと思うしかないのか。
なんでも大勢につけばイイというものでもないだろう。
そんなことをしていたら、何が大勢で、他にどんなものが存在するのかということもわからなくなる。
そんなものわからなくていいと思う人が大勢をしめれば、そんなものをわかりたいと思う人の選択肢を閉じてしまう。
それがポッドキャストだったりしたわけだけど。
何もすることのない人には関係ないことだけど、選択肢が多いということは必要なことなんだから。



祖師谷商店街 1 ウルトラマン商店街
東京都世田谷区祖師谷3丁目
撮影 2016年7月27日 水曜日 14時25分
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結局メダルの数かよ

2016年08月23日 | Weblog
オリンピックも終わったね。
いつものようにテレビは観ないので、どんな放送がされたのか知らないけれど、新聞やネットで見る限り頑張ったというものとメダルがいくつという報道の間を揺れ動いているというか、結局メダルがいくつという即物的な興味に集約していくというか。
個人的には、オリンピックの出場するというのがスゴイことで、結果ウンウンというは周囲の下世話なことで、出場する選手というのはそもそも本来スゴイ存在で、どれだけ頑張ったかというのは選手個人が一番わかっていることで、それを周囲がどうのこうのすること自体が避けられないことであってもどうでもイイことなんだと思うんだね。
世界の一流選手が集う大会に、代表として参加すること自体がスゴイことなんだから。
その中で入賞するかどうかは結果でしかない。
そもそもメダルという存在だけで、知りもしない各種競技を評価するのなんか無理なわけで、派手なものに目が向くのは仕方ないとしても、これはスゴイと思うことに結果から、あるいは種目の”地味さ”から注目が向かないというのもおかしなものだ。
しょせん自分はしろーとと自覚する立場から見れば、どんな競技も公平にスゴイものだと感じられるもので、そこに参加しているという事実だけでも評価に値するものだと思うんだよ。
いやいやみんな頑張っただろうな、よかったねと思う気持ちで見れば、日本選手だけでなく世界の選手の”活躍”をもっと楽しむことができると思うんだけどね。
スポーツってそういうものだよ。



祖師谷南商店街 1 ウルトラマン商店街
東京都世田谷区砧5,8丁目
撮影 2016年7月27日 水曜日 14時10分
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防水と発汗

2016年08月21日 | Weblog
雨に降られるのに嫌気がさして、防水の靴とカッパを調達。
これでなんとか足元が濡れるのを回避できると期待するのだけど、なにしろとんでもない豪雨になるのが最近の”通り雨”。
連日だと異常だと思うのだけど、そういう声は他に聞かず。
夜中になっても気温が下がらず、豪雨になっても気温湿度ともに高いまま。
もちろん日中はそれ以上。
そんな中でカッパなど着ると、中で汗をかくのでカッパを着ていようが同じ状態。
カッパの中でグッショリと汗で衣服が濡れる。
上はカッパを脱いで、下だけ履いていても、上も下も濡れるほど湿度が高い。
それでも靴の中に雨が入ってこないだけで気分は相当違ってくる。
ビートサンダルを履いてという”解決方法”がベストだと思うんだけど、そういうわけにもいかない理由もあり。
今夜も雨の予報。



喜多見商店街 4
東京都世田谷区喜多見8,9丁目
撮影 2016年7月27日 水曜日 13時30分
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解像度

2016年08月20日 | Weblog
先日の台風一過の朝、河原にかかる橋の端にたたずみ、遠くの山々や河原の草々を眺め渡した。
空気が澄んでものがハッキリと見える。
この見え方が写真の”基準”だ。
昔より眼が見なくなったとはいえ、草木の葉っぱが一枚一枚クッキリと見える。
そのように見えるのだから、そのように写したい時には、そのように写ってもらわないと写りが悪いということになる。
そんな”基準”があるものだから、8x10カメラで撮影した時や、それこそ遥か昔1980年頃にテクニカルパンで撮影した写真を見た時にも、スゴイ解像度とは思わず、”普通”に写っているという印象しか持たなかった。
それぐらい眼が良かったと言えるのだけど。
だから河原の草木の葉っぱが一枚一枚クッキリと分離して見えるとしたら、写真でも同じように写っているのが当たり前に思える。
ところがコンデジなど使っていると、葉っぱなど細かいものはモヤモヤとしたものとしか描写されず、イヤだなぁと思ったんだけど、写らないのだから仕方ない。
そこで考え方を変えて、そのように写したい、とは思わないようにしたことで”解決”した。
解像度を必要とするような写真は撮らない。
これで解決である。
解像させることを目的に写真を撮っているわけではないので、路線変更になんの躊躇もない。
ただ、そうではあっても”普通”に写ることが悪いことではないので、シグマのカメラや8x10カメラに時折非常に魅力を感じてしまうことあるんだな。



喜多見商店街 3
東京都世田谷区喜多見8丁目
撮影 2016年7月27日 水曜日 13時20分
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