Nonsection Radical

撮影と本の空間

見た目と実際は

2011年01月31日 | Weblog
車窓からの風景が興味深くて、その現場に行ってみたのだけど、全然景色が違った。
2メートル足らずの視点の上下のせいでもなさそう。
ちょっとしたタテモノの隙間からの光景なので、ヨコの位置のわずかな違いで見えたものが見えなくなっているのだろう。

しかし電車からの眺めはちょうど良いアングルである事が多い。
いっそ車内から撮影しようと何度かチャレンジしたのだが、思った以上に景色の過ぎ去る速度は速い。
反射神経の鈍さはジョシに対する感受性の鈍さにもつながっているのか。
イイなぁと思った瞬間にアタックすればいいのに、ボッと見惚れている間にチャンスを逃してしまう。
もちろん写真の話である(汗;)。
どうせ俺には縁がなかったのさと思いながらも、再度アタックをかけても、あの盛り上がった瞬間は二度と訪れない。
もちろん写真の話である(汗;)。
イイ感じと興味を持って近づいていくと、意外に粗が目立って興醒めしてしまう事もある。
もちろん写真の話である(汗;)。
いざウマくいって感激の瞬間を迎えたあとに、振り返ってみるとあんまり良くなかった事もある。
もちろん写真の話である(汗;)。
見た目と実際は違う事が多いのだ。
夜目遠目傘のうち。
もちろんジョシの話である(笑)。
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田中角栄に学ぶ

2011年01月30日 | Weblog
かいはらさんのブログを読んで、いたく反省する事があり。
satoboは薄情な人間である事をこれまでも白状していますが、それによって自分が損をする事は構わないと思っているけれど、そこに「相手の気持ち」を考える事がなかった事に気がついた。
相手の事を思いやって自分も行動する事が必要だ。
どうすればそんな事が出来るのだろう?
そう考えて、誰か参考になる人はいないかなと思案していると、ある人物の名前が浮かんだ。
田中角栄だ。
そこで検索したところ、「本橋頼んだぞ」で有名な村西とおる監督のこんなブログを見つけた。
ことわっておくが、なにも対中国人への対応を考えてだけの事ではない。
薄っぺらな考えで、理論だけで人とのつながりは出来ないという事が世界中でも当てはまり、当然日本でもだと思ったからだ。

そういう点で、好き嫌いではなく、民主党が小沢一郎的選挙手法を嫌って、「都市型政党」のやり方で全国制覇出来ると思っている事に甘さを感じるのだ。
どうこう言っても、大都市のほんの一部以外、有権者は義と利と人と情で結びついて生きているのだ。
それを都会者は無視しバカにし「知」だけの都市型選挙で勝てると思っているのだ。
小沢型選挙がイイというのではないし、それを好む土壌がイイとは思わないが、実際にそうであるなら有効な方法なのだ、

そこで目を付けた田中角栄を何をしたかに焦点を当てるのではなく、何を考えていたのかに焦点を当てた研究をしようと思ったのだ。
しかし、調べてみるとそういう関係の本は意外と少ない。
田中角栄の人情、義理を語るものはあるが、人と情、義と「利」を語るものは少ない。
これを読んで、現在ハヤリの「こうすればすべて成功する」などという安直なハウツーを身につける気はない。
そんなもには何も役に立たないのは誰でも知っている。
知りたいのは、人とは、情とは、義とは、利とはどういうものかという事だ。
それを知っていて実践していた田中角栄に学ぶ点があると思ったのだ。

中国に人と情と義と利と面子があることを「乾隆帝の幻玉―老北京骨董異聞」を読んで知ったが、その中国に食い込んだ田中角栄という人間性を知る事は、日本人が中国や他の国と渡り合っていくのに必要な資質を知る事にもつながり、日本人同士においてもビジネスマナーを知る以上に必要な事ではないのかと思うのだ。

それで何冊かのリストをメモして本屋へ行ったのだが、手に入ったのが「政治家の器量」赤塚行雄監修 日本文芸社刊である。
当然田中角栄にも善と悪があり、表と裏があるが、どのような目的で読むかによって自分に必要な話は得る事が出来るのだ。
読み進めるうちに明らかになるのは、当然自分の器の小ささであるが。
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大阪と上海

2011年01月29日 | Weblog
以前上海と大阪は似ているかもという話をしたけど、今日大阪の街を歩いていて、似ているところを探してみた。
特に根拠があっての話ではない。
ただ感じた事を。

商業の都市である。
文化の都市ではないという意味。

クルマ中心の構造。
やたら自動車道路が幅を利かせている。

中心部と周辺部の格差が激しい。
新陳代謝の激しい街づくりと取り残される地域。

女性の気が強い。
目力がツヨいのは正確のキツさを表すのか?

ブスが・・・・
これはこれからも調査続行・・・(汗;)

何をしているのかワケのわからない、ブラブラした男が多い。
こんな時間にこんなところで何を生業に・・・

やかましい。
音が何もかも大きく、無意味に無意味を重ねている。

根は古くさい。
思考が保守的かも。

異論反論同意もあるでしょうがね。
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少しだけマルフク

2011年01月28日 | Weblog
大阪京都近辺をブラブラしているのだけど、マルフクの看板はあまりない。
すでに会社はないようなので、あらたに看板が設置される事はないので在庫限りだ。
神奈川で住んでいた場所の近辺には、地域ごとマルフク地域と呼べる密度の看板があったが、それはある時期その集落で一斉に看板が設置されて、歳月を重ねてきたという結果であろう。
つまり看板のついたタテモノが現存しているという事だ。
立て替えとともに看板も撤去されるのだから、古いタテモノが多いという事だ。
マルフクの本社は大阪にあったようなので、本来なら関西地域に看板が多いはずなのだが、それが見当たらないという事は、タテモノが立て替えられたと考えるのが筋だ。

マルフクの看板を撮り始めたのは、逆説的な行為である事は以前に書いた。
撮影していると、ちょうど目障りなところにマルフクの看板がある事が多く、それならいっそセレナーデで看板ごと撮影してしまおうと思ったのだ。
逆転の発想である。
それだけまだ頭に柔軟性があったという事だ。

しかし困った事に、マルフクの看板を撮ろうと思ったら、今度はなかなか目につかないのである。
これはネコと同じだ。
欲しい被写体にだけ出合わない。
マーフィーの37番目の法則である。
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爺メール

2011年01月27日 | Weblog
会社では自慰メールではないや、Gメールを使っているのだけど、どういうわけかログアウトしてしまい、IDとパスワードを入力しなければならなくなった。
IDは覚えていたのだが、パスワードがいくら入力しても「違う」と言われる。
実は、いくら入力しても、覚えていないので勘で入れていたのが、すべてはじかれたのだ。
手持ちのパスワードをすべて入れたのが、すべて不正解だったのだ。
まったく思い出せない。

作成当時の様子を思い出そうとしたが、そもそもパスワードも忘れているのに、以前の事など覚えているわけもない。
自宅のパソコンでは、IDとパスワードはすべてメモしてあるのだが、会社でではメモする事を忘れたようだ。
メモはしたが、どこにメモしたのかを忘れているのかもしれない。

爺メールには、そんな時のために、自分だけが知っている質問に答えれば本人確認ができるというサービスがある。
物忘れをするのはsatoboだけではない証拠だ。
質問は「クルマのナンバーは」だ。
で、打ち込もうとすると????
忘れた・・・
そもそもこの設定をした時に、どのクルマのナンバーを思い浮かべて作ったかも思い出せない。
あのクルマかな?コレかな?とクルマを思い浮かべるのだが、実はすべてのクルマのナンバーを忘れている。

呆然とパソコンの前で耄ける(ほうける)耄碌オヤジ。
沈思黙考、有言実行、satobo最高、露出連行。
やっとナンバーを思い出して、設定やり直し。
今度は大きくメモしたのは言うまでもない。
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