Nonsection Radical

撮影と本の空間

川越小町

2016年03月31日 | Weblog
電車に揺られながら、どうして埼玉県川越市に行こうと思ったんだろうと考えていた。
何かの理由があってのことなのに、その発端となったものが何か思い出せないまま川越まで来てしまった。
そして予想していたよりもずっと大きな街で、かわゆいジョシがたくさんいてビックリした。
そして平日だというのに人の流れが活発で、いかに自分が普段小さな街に暮らしているのかと感じた。
いつものように様々な小径に入り込み、地図作りでもしているかのように道のつながりを確認しつつ、お店屋さんを覗き込んだりして徘徊。
正月以来の撮影に足腰がギシギシと音を立てて悲鳴をあげる。
思った以上に運動不足であったみたい。
日暮れとともに慌てて帰路に。
電車内で、川越のことは最近読んだ雑誌の記事でだと思い出す。
帰宅後、使いっぱなしの食器類を洗い、急いでスパゲッティナポリタン。
家人に川越に行ったと言うと、「私も以前に遊びに行った」と言われビックリ。



三春町3丁目の街並み 2
神奈川県横須賀市三春町3丁目
撮影 2015年9月5日 土曜日 14時00分
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やっと歯が抜けた

2016年03月30日 | Weblog
歯科治療で少しだけ高くなって違和感があった奥歯は噛み締めが続いた結果グラグラになってしまった。
噛み締めが続く限り治らないとわかっているので放置していたら、グラグラ度が増してついに今日抜けた。
そばを食べていたところ口の中に塊を感じたので、すぐに歯が抜けたとわかった。
これが”江戸っ子”のように、そばを噛まずにすすって飲み込んでいたら、気がつかずに飲み込んでいたかも。
ずっとグラグラが続いていたのでか出血もせずにポッカリと穴があいているだけだが、これを放置しておいてもいいものかね。
まあ初体験で医者に行く人もいないのだから、自然に治るのを待てばいいのかと変な論理を持ち出すセクハラオヤジであるけど、なにか?
気にしなければ違和感はないので、舌で触ってみたりしないようにして忘れることに。
念のために今夜はマウスピースをして寝よう。



三春町3丁目の街並み 1
神奈川県横須賀市三春町3丁目
撮影 2015年9月5日 土曜日 13時50分
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食傷ぎみ

2016年03月29日 | Weblog
最近また本を読み始めたんだけど、小説誌は半分ほどが”時代”小説で埋められていて、最近の人気を反映しているようだ。
いくつかのシリーズは気に入っているんだけど、さすがに時代小説ばかりが続くともういいやという思いも湧いてくる。
熱心な読者ではなく、読み終えるとすぐに忘れる程度の読み方なんだけど、どの話にも一定の”法則”みたいなものがあって、簡単に言うと描写が饒舌で(くどく長いという意味)それが最近の必須の書き方なのかと思いもするが、そういう描写が必要なのかと疑問に思う気もするんだな。
でも小説誌は隅から隅まで読むたちなので、一応は目を通す。
で、飽き飽きして積んどく本の中から適当なものを取り出して読む。
積んどく本は多くが少し前の本なのだが、現在ほど”饒舌”ではないが、十分想像が働く文体であるものが多い。
そんなものを読んでいるとますます”饒舌”である必要があるのかと思ってしまう。
饒舌な文章は飽きるんだよな。
”ナレーション”が多いドラマみたいなもので、それでいてそんな説明が本当に必要なのか吟味しているのか?と思わせる無駄さを感じるんだな。
それが”時代もの”に特に感じるのは、そういう”法則”みたいなものが”時代もの”にはあるのかと思ってしまう。
よくなんとか賞の選評で「描写が弱い」みたいなことをいう作家大先生が多いので、こういう状況が生まれたのかと邪推するんだけど、そういうことを言う作家大先生の文体は結構簡素で的確な描写だったりするんで、意地悪だなと思ったりもして。



三春町2丁目の街並み 2
神奈川県横須賀市三春町2,3丁目
撮影 2015年9月5日 土曜日 13時45分
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知らぬはほっとけ

2016年03月28日 | Weblog
いやいや世の中には便利なものがあふれているんですな。
こんな時間まで”遊んでいた”のは、ネットでいろいろなアプリ(ケーションソフト)を見ていたからなんだけど。
いわゆる便利グッズの電子版も調べてみると様々な便利アプリが用意されているのがわかるんですけど、問題は何を欲しているかを自覚していないと、何も見つけられないという事なのね。
よくパソコン初心者が「パソコンで何ができるんですか?」って質問するのと同じで、目的がはっきりしていないと何も用を足さないんですよね。
だからそういう場合に以前はマイクロソフトのオフィスを買えばいいかと思っていたんだろうけど、どうですか今は。
オフィスソフトを買う人など少なくなりましたよね。
使わないんだし。
そもそもパソコンだって需要は減りましたもの。
そんな話はどうでもよくて、何かが必要となった時に調べて初めていろいろなものがすでにあるという事がわかるという話。
こんなものがあるといいなと思って調べるとある。
無料もあればわずかなお金を出してもある。
幸いな事に、長くパソコン生活を送っているので、無料でなきゃ嫌だという意識は薄いんですよ。
多少もお金を出しても、見合ったものなら構わないと思えるんですよ。
だからお金を出せばこんなものも手に入るんダァと嬉しくなるんですよね。
告白すると、今前田敦子とつきあっていて・・・じゃなくて、今アンドロイドタブレットを手に入れてしまい、それにどんなアプリを入れようかとあれこれ調べているんですが、結構面白いアプリがあるんですよ。
その中からホントに必要なものを探しているんだけど、それが楽しいんですね。
夢が広がるナントカシステムのように、夢が広がります。
一方で型落ちiPod Touchも持っていて、こちらにはこちらの役割があって、両刀使いで街歩きが楽しめるんですね。
こうやってなんとかスマホ生活を避ける努力をしているのは無駄なあがきなんでしょうけど、それぐらいスマホに必要性を認めていないという事なんで。



三春町2丁目の街並み 1
神奈川県横須賀市三春町2丁目
撮影 2015年9月5日 土曜日 13時30分
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出揃ったところで

2016年03月27日 | Weblog
どうして少し昔の本を集めて読んでいるのかというと、”事実”確認のためなんですな。
そういえば、あの件ってどういう事だったんだろう?ってふと思い出す事があるんだけど、まあ多くの人がWikiなんかで調べておしまいとなるんだろうけど、それって事実の確認としては不十分じゃないですか。
で、調べ始めると役に立つのは本しかないんだよね実質。
ネットでの情報の多くは、本を元にしているものが多いし、それなら”元ネタ”に当たる方が確実でしょ。
それに何冊かの本を読み比べる事で相違点や別の観点も浮かんでくるし。
そういう点で”以前”は、いくつもの類似本が一つの事で出されていたりして役に立ったんだけど、出版不況の現在、地味な事を本にするところも少なくなってきて、コツコツと地味に仕事をするライターも減ってきたようで、この先心配だなと思う。
様々な視点から書かれた本が出揃ったところで、では読んでみようかと思う時には本はなし、の状況が今後も増えてくるんだろう。
こういうのって自分だけじゃなくて、後年の資料集めをする人にとっては非常に困った事になる。
図書館もよほど大きなところに行かないとちょっとした本が揃えられているわけでもないし、コツコツと収集していかなければ必要な事が調べられないとなるとシロートの手にはおえないんだよなぁ。
シロートだけど、ちょっとした事に興味を持ち、調べてみようと思う事もあるじゃないですか。
そういう事って特別な事でもないし、できない事でもないのは巷に古本が出回っているからなんだよね。
でも本っていうのは寿命があって、1980年ぐらいより前の本は、もうあまり手に入らなくなってきてるんだよ。
あるところにはあるけど、簡単には手に取れない。
というわけで、70年代以前の事に興味を持つのなら今のうちなんだろうね。
コツコツと集めていくしかないんだろうね。



安浦町の街並み 5
神奈川県横須賀市安浦町3丁目,三春町1丁目
撮影 2015年9月5日 土曜日 13時15分
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