Nonsection Radical

撮影と本の空間

撮影記録

2020年06月30日 | Weblog
どうやって撮影記録をつけようかと試行錯誤。
普段撮るスナップを記録するわけじゃない。
東京アジェ計画のことだ。
最初はチェキの”現場写真”と住所等の文章をノートに貼りつけようと思ったけど、どうもかさばってしまうし整理にむかない気がして、やはりパソコン上で管理することに。
ではそういう場合にどういうソフトが(現在はアプリというんでしょ。でもねこれってアプリケーションソフトの略なんだからソフトでもいいじゃん)あるのか調べてみたが、スマホとMacとデータが同期できて、将来消えてしまう可能性が少ないメジャーなものがいいなと。
できれば無料で。
というわけで、某MS社のものを使用することに。
こういう記録はため込むと整理が大変になるので早く始めた方が良いのだけれど、打ち込みはなかなか時間がかかる。
そういう事務仕事でストレスを抱え込むと、はけ口として何やらポチッとしてしまう解消法に頼ってしまい来月の決済におののいてしまうのだが。

今朝は4時起きで始発出発で下北沢撮影。
誰もが撮影する定番をまずは押さえておくことに。
これは撮影時の段取りをスムーズに行なう練習を兼ねているのは、モタモタしながら悪戦苦闘している不器用なオッサンから脱出するためであるのは言うまでもない。
4カット撮影して雨が降る前に帰宅。
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イメージを形にして考える

2020年06月23日 | Weblog
ちょっと思うところがあってとりあえずの4X5カメラで東京アジェ計画を進めているのだが、どうも頭で考えるのと実際に撮影するのとではイメージしている事が違うような気がしている。
ひとえに素人が慣れない事をするとこういう事に陥るという典型なのだが、その違う感覚を言葉にする事ができないので、実際に”プレ撮影”してみて納得するしかないのだ。
以前から人知れず「表層剥離」というサイトを作って素敵な建物の表面だけをはがし取っているのだが、これはこれでコンデジを使って”好きに”作っているんだけど、大判で進めているのは”こういうのじゃない”んだよな。
ではどういうのかとなるのだが、撮影というのは自分の場合、現在はコンデジ、シフトレンズを使ったデジカメ、4X5、8X10となるのだが、バイテンは実家に置いてあってまだ取りに行けてないので、現在はシノゴまでとなっている。
この陣容で、果たして大判で撮る意味のあるものってなんなのと考えてしまって前に進めないのが現状。
そこで実際に街を歩いて、物件ごとにこれはコンデジで十分、これはシフトレンズ、これはバイテンでしょうと分けていこうというのが今日のミッションでした。
実際にはコンデジとシフトレンズデジカメを持って動いたのだが、やっと納得がいく感覚が得られた。
ほとんど街に大判物件はない。
コンデジで十分だ。
それでもバイテン物件もある。
口絵の画像はシフトレンズで撮影したのだが、こういうのはバイテンで撮ると”映える”んだよねぇ。
で、意外と28mm相当のレンズでは扱えない物件が多くて、シノゴだと65mmとかバイテンで120mm案件になってしまう。
そうやって考えれば田中長徳さんの28mm相当のレンズの使い方ってスゲーなと今更ながら感心してしまう。
今後は街を歩いて大判物件をピックアップしていく作業となる。
そして”とりあえずは”シノゴで撮って、早い時期にバイテンをピックアップしに行かないと。
最近ますますヒザと大腿骨の関節が痛くなり、歩けなくなる時期が意外に早く来そうなので、出来る事はしておかないと。

それにしても我が家のレティナディスプレイで見ると画像がボンヤリとしか表示されないんだけど、みんなのモニターではちゃんと表示されているのかしら。
良い方法があればご教示くだされ。
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あいも変わらず

2020年06月20日 | Weblog
ここのところ規則正しい不規則勤務のためユックリと日記を書こうという気にもならないで過ごしていた。
まぁ、あいかわらずの毎日だ。
仕事の合間に写真を撮ったり、動画を撮影したり、時々本を読んでみたり。
梅雨に入って雨の日が多くなり、予定の撮影が中止になったりして、思うほど予定は進んでいないんだけど、動画のストックがあるので結構余裕で過ごしている。
その間に、次に行きたいところをピックアップしたり、時にはロケハンに出かけたりしているが、気を緩めると何をしているのかわからなくなる。
思惑としては、動画で撮影した場所で大判で撮影したい物件があったら、もう一度出かけて行って撮影したいのだけど、動画変換中はそんな事を忘れてしまうし、なかなかどこに何があったか忘れてしまう。
ここで初心を忘れずにと思っている事は、そもそも大判で物件を撮るのは「東京アジェ計画」であって、表現や記録として写真を撮るのではないという事なのだ(ではどのように撮るというだ問題となるが)。
その辺は頭にあるイメージだけの世界なのでフィーリングなんだけど、そのフィーリングを忘れてしまっては単なる撮影になってしまいデジタルでいいではないかとなる。
そうは言っても、本来ならイメージをつかむために100枚ぐらいバッと撮影したいのだが、諸般の事情によって遅々としか進んでいない。よってイメージはイメージのままである。

寝不足と体力気力の減退でほんの数ページ読むだけで休憩に入ってしまう読書が続いている。
そして放置するとそのまましばらく読まなくなるのでたくさんの本を読み始め、いつもどれかを少しだけだが読んでいる状態を作っている。
電子書籍もあるが紙の本もある。
ただしどれも20世紀にしか興味がわかないので古本などをあさっている状態だ。
しかしすでに2020年。
かなり7,80年代の文庫本など流通しなくなっている。
貴重な資料なんだけどね。
今週買ったのは
昭和が明るかった頃 関川夏央 文春文庫
独ソ戦 大木毅 岩波新書
にんげん住所録 高峰秀子 文春文庫
ルポ 戦後縦断 梶山季之 岩波現代文庫
ヨコハマメリー 中村高寛 河出書房新社
赤坂ナイトクラブの光と影 諸岡寛司 講談社
われ万死に値す 岩瀬達哉 新潮社

スマホにCDから音楽データを取り込んで、移動の時間に聴こうと思っているのだが、同時にポッドキャストも聴く順番待ちもあり、さらに最近は電車内が最大の熟睡時間となっているためこれも進まない。
基本的に音を聴きながら何かをするということができないので純粋リスニングタイムを必要とするんだけど。
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なぜフィルムで撮影するのか

2020年06月04日 | Weblog
どうしてなのかな。
考えても答えは出ないんだけど、なんとなくフィルムで撮影するとどんな風に写るのかなという興味と、残しておくのはやっぱりフィルムでという考えがあるのかと。
この場合のフィルムは8x10とか4x5とか大判フィルムの事ね。
で、今日も散々動画やデジカメで撮影した物件を”押さえ”として4x5カメラで撮影しに。
まあ気分はアジェですよ。東京アジェ計画。
その一方で、動画はもちろんデジカメをも駆使して街並みを撮っておかないとな、という気持ちが大きくなっている。
これが若い頃なら、そこに創造性とか持ち出すんだけど、棺桶に片足突っ込んだオヤジはいかに個性を消して、思わせぶりでない、かつ説明的でない写真を撮るかって事を考えるんですよ。
考えても答えが出るものではないので、そういう事を意識して撮影しようと心がけようと。
そしてできるだけたくさんの地域を網羅したものにしたいと。
となると常にカメラを持ち歩かなくてはならない。
結構しんどい。
というのは、普段は大荷物を担いで歩いているから。
そこにカメラを合わせてだと・・・じゃあスマホでとなると、なんか気が進まないんですよなぜか。
なんだろうねぇ、わからない。
やっぱり写りが違うんですかね。そこかねぇ。
普段は画質なんか考えもしないのに。
構えるんだろうね。
だから逆に腰が重くなるんですが(笑)
非常識な細い三脚に軽量カメラを持って広角レンズだけのセット。
これで歩き回るんだけど、まだまだ荷物が多すぎる。
最終的には一つのレンズをつけっぱなしで、1枚のホルダーをセットしたままブラブラ持ち歩いて撮り終えたらオシマイ。
続きは次の機会に・・・
こういうサッパリした撮影をしてみたいものだ。
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青春の一コマ

2020年06月01日 | Weblog
これだけネット上にも写真画像があふれているのは、スマホのおかげであります。
スマホで撮った写真画像をSNSにアップしてフォトグラファー”誕生”という事が”堕落”で気に入らない人がいるらしく写真原理主義者の振る舞いをする動きがあるようなんですけど、個人的には”寛容”なんですよね。
どちらの動きにも寛容。
だってさ、例えばフィルムで大判写真を撮ったとして、だから写真家であるわけでもないし、スマホだからフォトグラファーじゃないとも言えないわけですよ。
では継続しているからそうなのかと言えば、これまで星の数ほどの写真家、カメラマン、フォトグラファーが現れては消えていったわけですよ、実績とは関係なしに。
もちろん長く一線で作品を発表し続ける人もいる。
そういうものなんですよとしか言いようがない。
ただ個人的にはSNSなどで若い人達が写真を撮って発表しているのは各自にとっては一時的なものだと思っています。
青春の一コマですよ。
ある輝いている一瞬にカメラを手にしているんです。
それでいいじゃないですか。
目障りにする事ないじゃないですか。
そうやって写真は撮り続けられてきたのだし。
ここのところ立て続けに”カメラ”雑誌が廃刊となっている。
主体がカメラなんだから仕方ないですよね。
時代的にはスマホ雑誌(あればだが)で写真のあれこれを活動する方がマッチしていると思いますよ。
そっちに多数が向かっているんだから。
廃刊になった雑誌の流れがすでに過去の考え方だったんでしょう支持されないのは。
デジカメだろうとなんだろうとスマホ連中にとってはカメラは異端者なんですよ、すでに。
フィルムカメラ愛好者が少しいても大判写真が異端者であるように。
だからといって本流だ、異端だと争ったって仕方ないじゃないですか。
例えば大判写真が本流だとすれば、そんなものそれだけをずっと何十年もやっている人なんかほとんどいないじゃないですか。
絶滅危惧種ですよ。
それはそれでいいんですけど。
本筋は、何で撮ったかではなく、どんなアウトプットをしたかでもなく、写真としてどうなのかが興味の対象であるべきなんですよ個人的には。
だからインスタでも感動するし、大判写真でもガッカリするんですね。
そして若い人の青春の一コマを見る事ができるのが楽しみでもあるんですよ。
俺だって若い時があった・・・
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