Nonsection Radical

撮影と本の空間

知性の死

2019年01月29日 | Weblog
作家橋本治が死んだ。
PR誌ちくま2月号の連載が休載になっていたので病気の具合が悪いのだろうと案じていた矢先だ。
ガンの闘病中であった。
橋本治の”ファン”であったのは、彼の発想が自分の貧困な思考を正すものであったからだ。
と言っても、全面的に”かぶれていた”わけでもない。
最近のコラムなどには首をかしげるような言説もあり、さすがの”現代っ子”も時代に乗れなくなってきたのかと思うこともあった。
それでもこのくだらなく混迷した現代を分析する指標となる一人であった。
知性というのは無知を馬鹿にするものなのだが、橋本治の場合、その馬鹿にするわけを意地悪く解きほぐしてくれるので馬鹿な自分にもなるほどと納得できたわけである。
これがそこらにいる馬鹿が他人を「ば〜か、バ〜カ」というのとの違いである。
反知性主義という言葉の響きだけが好まれて知性や理性をすみに追いやって、銭儲けだけで世の中をはかるようになって、なんの儲けにもならない思想など劣等感を抱きこそすれ敬愛する必要性など感じない人も多いのでしょうが、そういう人もわけ知り顔でネットであれこれ言っているんだけど(自分もその一人だけどね)、やっぱりなんか腑に落ちない事が多いんだよね。
突っ込まれてひっくり返る言説など価値がないと個人的には思っているので、打たれ強い言葉を吐く人というのは貴重なんだよねぇ。
その一人が橋本治だったので惜しいのよ。
これからも続く乱世を今後も解き明かして欲しかったなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恩送り

2019年01月24日 | Weblog
自分で言うのもナンだけどsatoboは無益無名のジジイである。
にも関わらず色々と御厚意、御世話をしてくださる方がたくさんいて、感謝の言葉を尽くしても尽くしきれない。
だからいただいた恩義を次の人へと渡していこうと思っている。

とはいえ御存知の人も多いが、satoboは性格は悪い。
簡単には渡さない。
期待を込める。
期待はするが見返りは求めない。
期待をするだけである。

きっとsatoboに優しくしてくださる方もそういう気持ちであるだろうから。
違いは性格が皆さん良いことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山を乗り越えた結果・・・

2019年01月23日 | Weblog
なんとか1月の山を乗り越えた。
連日の長時間勤務で仕事先のみんながヘトヘトになった。
そして年寄りのsatoboも・・・2日で2キロ痩せた(やつれた)
少しずつ悪化していた右膝がついに歩くこともママならない状態まで痛みが。
ネットで調べても痛み止めで安静などの対処療法しかなく、そんなのわかっとるわい!
問題は歩くことができないのをなんとかする方法なのだが・・・
とりあえず湿布を貼って、温かくして、サプリを飲んで・・・(笑)

そんな状態でも先を見て(アクティブシンキング=死語)本を買い、撮影機材を揃え、倒れるのなら前向きにと。

若者の足を引っ張るような年寄りにはなりたくない。
できることなら若者を引き倒したい(笑)
無視されるような立ち位置で人の価値観を無視して好きな事をやっていきたい。
時間はもう残り少ないような気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふたつのこと

2019年01月06日 | Weblog
自分にはふたつのことがあってやね、ひとつはやらなければならないこと。
もうひとつはやりたいこと。
先日の日記には、やりたいことを書いたんだけんど(一体どこの言葉じゃ)、やらなければならん(と自覚している)こともあるわけです。
まぁ一番は生活するために金を稼ぐことで、若い頃から遊んで暮らして来た結果、老後(今のことじゃ、今)の蓄えなどないので日銭を稼がねばならんわけ。
と言いつつ目先の小金に追い回されていると生きてる意味などないわけで(実際意味などない現状ですが)、せめて”罪滅ぼし”に自分にできることをしようとしているのがやらねばならないことと位置づけているんですよ。
それが動画撮影です。
多くの人が日常に戻って当時の気持ちを忘れてしまっているかもしれないけれど(それはそれで当然のことなんだけど)、2011年の3月あった事が”当時は”多くの人になんらかのインパクトを日常生活に与えたわけじゃないですか。
そこでなにがしかのことを考えた人も多かったわけで、その一人として、ネチネチしたいつまでもうらみつらみねたみそねみを持ち続ける嫌われ性格のなすママに当時の気持ちを持ち続けているわけです。
当時は関西に住んでいて、関東にいた知り合いが”現場”に行って、各自できる事をしている姿を”眺めて”いたわけですが、では自分にできることは何かと考えて、今ではなく将来に向けてと街並みを撮影する事を思いついたわけです。
動画にしたのは写真よりも、より多くの情報を含んでいると考えたわけですが、なにしろ動画に関しては全くのシロートで(写真だってシロートですけど)試行錯誤しながら現在に続いているわけです。
震災被災地だけではなく、いたるところで災害は起きて街並みは変わるし、日常でも変わっていきます。
記憶はいつの間にか薄れていくので記録しておく必要がある。
そう思って一人NPO「日本まちなみアーカイブ」を作って(別に一人でやりたいわけじゃないけどね)、本当は各自が自分の住んでいる場所を記録しておくのがベストだと思うけど、勝手に余計なお世話で各地を撮影して回っているのが現状ですわ。
これが2011年から細々と燃え続ける”怒り”からくるやらなければならないことです。

一方関西で暮らしていた時に触れた若い人のアートシーンに大きな期待と今を生きる姿の観察者(こういう場合、年寄りは多くのことを見聞きしているから得なんだよね)として振る舞っていたところ、萌える気持ちが”まだ”あることに自身で驚きつつ、”老いらくの恋”(知らねぇだろこんな言葉)として写真をもう一度撮りたいなぁという気持ちがわいてきたわけですね。
と言っても、昔と世の中も自分の興味の対象も変わっていて、ひとつのサイトを知ったことで”肖像写真”を撮ってみたいと思うようになったのね。
それがオーストラリアのこのサイトですよ。
もっと正確に”告白”するとこの中の女性受刑者Alice Adeline Cookeに惚れたんだけど。
左の口角が少し持ち上がった不敵な面構えの美人。
エエやないですか。おっちゃん好きですぜぇ。
この写真から引き込まれてみた数々の”犯罪者”の姿がリアルで人間くさくて疼くんですよ。
で、こんな写真を撮ってみたいなぁとね。
幸いなことに45も810もレンズもある。
あとはライティングをどうするかと・・・
残念なことにあまりライティングの知識はないんですね。(あるにはあるけど時代が違うし、これまで自然光派だったんで)。
で、研究中なわけです。

ま、こういう写真も好きなんですけど・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

未だ明けず

2019年01月05日 | Weblog
年末からの仕事が未だ続いている。
今日は徹夜明けのしばしの休憩。
7,8の連休がやっとの休みか。
仕事をしながら今年の抱負などを考えたのが、こんな現在の仕事の仕方だと何もできないのだけど、仕事量を減らすと生活が立ち行かないし、今年やってみたい撮影の機材(カメラではなく照明用品)を揃えるにはそれなりの費用もかかるしと痛し痒しの状況にウンザリ。
ニャンコと遊ぶ時間がなくてご機嫌ナナメ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする