Nonsection Radical

撮影と本の空間

6月29日 期日前

2022年06月29日 | Weblog
参院選の投票日は仕事なので期日前投票。
市内だが電車で移動して投票。
普段行かない街を少し散策。
買い食い誘惑が多いが我慢。
気温は多分35度ぐらいで平気だが水分補給はする。

投票後、ターミナル駅ビルのカメラ店で取り置きを回収。
富士フイルムのチェキプリンター。
比較的好評と言われているチェキだが、気をつけないといつの間にか製造中止になっているものも多い。
現在は真四角サイズのインスタックスSQを使っているのだが、これも鳴り物入りで登場したデジタル版は製造中止になり、今は安いカメラしかない。
そして真四角サイズのプリントができる「スマホdeチェキ」というプリンターも在庫限りとなり、今回手に入れたのだ。
もう次はないだろう。
現在はinstax miniにしかないが、液晶画面がついていてコンデジと同じように画像が保存できるハイブリッドチェキがあって、sdカードの画像をプリントできるのが実はすごく便利なのだ。
コンデジで真四角画像をよく撮影するのだが、それを真四角チェキプリントして自分用宝物として保管しているのだけれど、これまでは一旦チェキカメラにsdカードを入れてカメラからプリントしていた。
ところが真四角プリント専用のプリンターというのがあることを知り、カメラを労るためにも専用のプリンターが欲しいと思っていたところで、いつの間にか製造中止になっていたのだ。
世間的にはチェキminiしか売れないのだから仕方ないが、こういうグッズを売出し中に買わないユーザーも悪いと反省。
フィルム高騰で今後チェキでのプリントが格安となる日が来るだろうからね。
その時にカメラもないしプリンターもないでは話にならない。
チェキをはじめとしたインスタント写真愛好者も増えてくるだろうからと「インスタント部会」というサークルも作ったし(会員は現在1名)。
チェキを飾るためのフレームも実はこっそり集めている状態である。

とここまで書いてアップした後に、改めてプリンターの説明を読むとPCとは接続できないしsdカード読み込みもできない。
スマホからだけしかプリントできないことが判明。
面倒だがスマホに転送してプリントする事になる。
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6月28日 猛暑

2022年06月28日 | Weblog
最早の梅雨明けとなり連日猛暑日。
政府は電力需要が逼迫していると”節電”を訴える「対策」を実施。
今がチャンスと、分散型電源方式が電力不足を補えないとして”旧来”の総括原価方式による独占的大規模発電への回帰を目論む”論陣”がSNSなどを通じて関係者らによって張られているが、その”原理”は正しくても、そもそも独占によって様々な問題を隠蔽し社会に害悪を与えてきた結果が分散型への移行であった反省がまったくなく、いけしゃあしゃあと言えたものだと無責任体質に立腹。
未来がない。

6月24日にコラムニスト小田嶋隆が死去。
個人的には全方位的な生ぬるいコラムだなと思っていたのだが、朋友内田樹の追悼を読んで理解納得。
実は少しずつ初期のコラム本を収集している最中であった。
仕事場でも年齢の近い人が病気入院その後音信不通となり、同年配者としては他人事ではないと思っていた時期なので先を越された感じ。

写真環境が急速に変化して、のんびり予定をしていたものが製造中止とかの知らせで急遽確保に走ったりで入り用。
今後は大部分がネット上でのスマホ鑑賞、一部マニアがペーパーでの展示と世の中は変わっていくので、その中でどのように”あそぶ”かが貧乏人の悩みどころ。
その中でも今やろうとしている「インスタント部会」は有望な部門だと思うが。

来月は参院選挙だが、仕事の都合で期日前投票をしないと。
これだけの”不景気”状態で問題山積だが与党は特に責任を感じず自然現象のように振る舞っているので対処的対策しか望めない。
以前にも書いたが、こうやってライブで国が崩れていくのを見るのは興味深い。
戦時中もこんなだったのだろうなと。
ここで現状に漫然としている人たちをバカだと言っても、バカにバカだと言っても反省するわけもなく、むしろ反発を買うだけで崩壊へ加速させるだけだということを野党支持者は覚えておかないと大衆の多数決で酷い目に会うぞと忠告。
地道にだがよろしい方向を示すような行ないをするしか味方は増えない。
しかしそういう現実的おこないは左翼野党の苦手とするところ。
小さなエリアで個人を一単位としてちんまりと生きていくのが21世紀の日本のあり方になるだろう。

SNSで一部上位大学以外はなくして、そこへ通うような人間は職業訓練施設へ送り込むべきだとの声あり。
以前から「パラサイトシングル」などの中央大学の山田昌弘教授も言ってる事だが、まあ一般的に言ってヨーロッパ型の階級固定社会が自分にも都合が良いし、きっと”彼ら”にとっても幸せなんだという「思いやり」か。
こういう単純な思考しかしない人が好む事柄なのでろくな話にならないのは欧州の問題を見てもわかる。
何も考えることのできない工場労働者を作り出す時代は20世紀に終わり、もし本気で日本が先進国の一部でいたいのなら、できるだけ多くの若者に高等教育を受けさせ、発展途上国の出稼ぎ労働者のような仕事を世界に散らばって求めるよりも、教養ある人材を少しでも賃金の高い仕事につけるようにするべきだ。あるいは自らが稼ぐ手腕が発揮できる思考方法を身につけさせるべきだ。
地方を見れば、現在すでに年収せいぜい250万円の労働者がザラにいて、地方の衰退と共に行き場を失っていく現状があるのに、彼らに満足な生活が送れる仕事を用意できないくせに職業訓練してどうするつもりなのだろう。
戦前戦後のように大都市へ仕事を求めて地方から出てくる時代を予定しているのだろうか。そんな時代じゃないよね少子高齢化なんだから。
むしろもう少しで江戸末期に近い人口になるのだから、人口分布もその時代に近くなり、人の住まない地域が広く分布するようになるだろう。
そこでどうやって暮らしていくかが問題なんだろうに。
一方で原発地域などは人が住まなくなって事故対策は途中放棄となる可能性がある。
田中康夫のなんクリでの指摘を持ち出すまでもなく、現在においても抜本的少子化対策は行われず人口半減が確実となっているのに、その抜本的対策未来図も描かれていない。
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6月23日 明けで撮影

2022年06月23日 | Weblog
夜勤明けで某所へ動画撮影。
ロードムービーというものの意味をよくは知らないのだが、道路の建物をひたすら撮り続けて街並みを記録していく。
広い道を撮影するのは、まの抜けた映像がダラダラ続く事になるって面白くないのだが、当然広い道の街並みだって変わっていくのだから記録する必要はある。
あまり気乗りしないというだけで、撮影し始めればそれなりに楽しい。
なにしろ大通りにはそれなりのお店が並ぶのだから。
一方で裏通りを歩くというのも都市部においては代わり映えのない風景ではあって、ひたすら味気ない住宅が続くだけという風景も多い。
そんな中で店頭で声をかけられて覗いてみたパン屋さんで3つ買う。
授産施設運営のお店のようだ。
買い食いは楽しい。

昼時間になって人出が増えたので撤退。
20000歩。
77.5GB。
気温、湿度が高くて不快な上に、カメラの冷却が進まず熱暴走の危険性。
2台体制で取り換えながら撮影して冷やす。
明日から無駄に長い連勤。
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6月21日 インスタ

2022年06月21日 | Weblog
口絵用の画像変換していて、そういえばインスタグラムってPCからも投稿できるようになったんだよなぁと思い出す。
以前、わざわざスマホに転送してインスタに投稿していた事があったが、面倒でやめてしまった。
面倒だと、「わざわざそんな事をしても誰も見るわけでないし」と考えてしまうのだが、たとえそれば”事実”であっても、まあ老後の楽しみにでもという気持ちもあり、もう一度やってみるかと。
といっても、わざわざそれ用に撮ったものをあげるわけではなく、この日記の口絵用に使用したものの中から真四角画像をまとめて置く的に使用するので目新しさはない。
最近は真四角でなくてもアップできるようだが、あえて真四角だけにしておく。
またサイズも口絵なので小さく、最近のスマホでは見るに耐えないかもしれないが、それも良しとする。
最近は口絵にアップロードする際のサイズも大きめにしてあるので、そのうち大きく見えるようになるだろう。
またなんでこんな事を再開したかという心境の変化を語ると面倒なので語らない。
語らないが、他人のアップしたインスタをつらつらと見ていると、最近は動画もあって見ていて飽きなくてあっという間に時間が過ぎてしまい、なかなか侮れない世界なのだなと薄ぼんやり考えている。

先日読んだ本と今読んでいる本は、海外のアートの世界に関する仕組みの本で、仕組みとはすなわちビジネスの事で、またsnsでそういう美術教育をしている先生の呟きを見て、そういう世界があるという認識を肯定してはいるのだが、一方でその枠から外れる、つまりビジネスにならないアートを否定あるいはランク外にする風潮(過日のおかんアートに対する”ピュア美術”からの否定反応なんかも)に対しても、いやいや世界が違うのだからと肯定的にとらえている両方の意識を行ったり来たりしているんだけど、インスタなどsnsを見ているとアウトサイドの方が圧倒的に広い世界を構成していることがわかるんだな。
それが気持ちいい。
例えていうならば、Amazonとかフェイスブックとかビッグビジネスの世界がある一方で、日常の生活においては小さなお店が身の回りにあって生活を豊かに彩っている現実があるという事かな。
世界が大きな枠で囲まれていけばいくほど、その中では小さなものや事がそれぞれに勝手気ままに活動して、それが”活気”となっているのだ。
それを儲けにならないという基準でやめてしまうのはバカバカしいじゃないか。
コメント (2)
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6月20日 選択と集中

2022年06月20日 | Weblog
思った事をまとめて文章にしようとしても、途中で「まあいいや、どうせ」とやめてしまう事ばかりだ。
それよりもやりたい事や、やらなければならない事に時間を集中したほうが良いんじゃないかと思う。
自分が思うほどには他人はこだわっていないし、自分が思うほどに他人は嫌がってはいない。
それぞれの立場でという無関心さを装っていれば領域を侵すこともない。
理解し合うことよりも争わない事を優先するべきなのだ。
どちらにしてもどうでも良い事である。
それよりもだ
不特定多数に向けて発するよりも、目の前にいる人にその場で話す事しか会話というのは成り立たないのだろう。
そういう機会があればだが。
なければそういう機会があるまで黙っていれば良いのだろう。
少しずつだが前に進んでいる。
今日は写真を整理している。
一番自分と向き合う時間だ。
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