Nonsection Radical

撮影と本の空間

お出かけ準備

2020年01月30日 | Weblog
しばらく更新していなかったけれどイロイロありました。
病院へ定期検診に行って、造影剤入りCTを受けたらちょっと副作用が出て、それから心理的にかあまり具合がよろしくない。
まあ連日の雨で身体も冷えてしまった事もあるか。
結構ハードな仕事シフトをこなして、そのまま撮影に行ったりしたので疲れもたまっていたんでしょう。
撮影は街並み動画で、いつものようにストックがなくなって慌てて行ったり、おニューのカメラで戸惑ったり。
4K60pは1分1GBというのは本当だった。
これまでの5倍のデータ量であっという間にメモリーカードがいっぱいになってしまう。
それと引き換えにかなり軽量化できて、動画だけなら500gで撮影できてしまい、コンデジと合わせて1kg以下で撮影セットが組める。
今回もこれで撮影しにいく準備をしている最中。
実際の荷物はデイパック1個で何日でも旅はできるのだが(着た切り雀)、今回はそれに諸々のものを持って行くのが撮影旅行とは違うところ。
いつも寸前になって準備を始めるので、あれがないこれはどこにとてんやわんや。
旅なれないとこんなことが続くのだろうね。
旅先からイロイロが情報が発信できればいいんだけどね。
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良からぬ企み

2020年01月23日 | Weblog
こんな時期にそんな事をしなくてもと自分でも思うのだが、これまでもそういうタイミングでやってきてバタバタしていた。
良からぬ企みをこの忙しい時期に始めることになったのが、これまで長く調査してきた結果がようやく出て、ゴーサインを出す時期だったからだ。
詳しい事を書かないのはいつもの事で、結果が出て初めてシレッと話題にしたりするのは性格が悪いから。
いろいろな事をいずれ書くと言いながら放置しているものが多数ある。
なかなかねぇ。
新たな機材の導入テストをしていて、うまくいかないんだけど、それもこれも最近の商品のマニュアルが商品に添付されていなくて、電子データ(PDFとか)とかになっているのをダウンロードして読まなければならないことが増えて、それが結構手間で、いつものように知りたいことの説明だけ書いていなかったりして解決に手間取っている。
結局試行錯誤して使っていくのだけれど、その間失敗したものが山積みになって非効率甚だしい。
最近の商品は(特に海外品)は低価格になったからか、説明書が簡易的になって、本来持っている性能を説明しきれていないことが多いようだ。
残念ながら自分が使うような電子製品は中国の独断場で、アイデアを実際の製品にする力も、それで商売をする事も、スピード感もとてもかなわない。
十年一日で同じものを作り続けて、売れないと嘆いて撤退も出来ない日沈む国とは大違いだ。
そういう国にの残された良さというのがマニュアルの出来だったりする。
それも長い時間をかけて培ってきたもので、最近のことではあるが。
特に紙に残すという文化がまだ残っているのでマニュアルに関しては日本はありがたい国である。

とお茶を濁して良からぬ企みはまた最初からやり直すことになった。
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ネット通販の結論

2020年01月16日 | Weblog
前回はヤフオクで人間ってなんだかなぁと思ったので、今回は一応は”お店”でブツを買うことにしたんだけどさ・・・・
事前にどういう”お店”か調べはするんだけど、リアル店舗はなくてネット通販専門の業者でヤフオクにも出していて、わりと広告も出していて・・・
でも実態はつかめなかったんだね。
それでも値段が安いしいいかと思ったのは、もし失敗したら同じ品のもっと品質が良くてリアル店舗でお値段が高いものをチェックしているので、それを買い直せばいいかと結構複雑な心境の元での決断だったんだね。
それでブツが今日届いて確認したところ、とても専門店が扱っているとは思えない事をされていて、ダメだよなぁやっぱり実物を確認しないと、と改めて思った次第。
中古カメラ市場ってネットでは広まりを見せていて、今日のと同様の店舗を持たない個人が販売しているサイトが多くある。
それって既存のお店が儲からないからと扱わなくなったものを集めて売っているんだけど、品質的にはそのままというものがほとんどだろうね。
クレームがあれば対応するけど基本はオークションと同様に買う方の自己責任というわけだ。
それでも安ければと、あるいはそこでしか売っていないからと(大判写真用品は販売店が少ないから)購入すると”イロイロ”あるわけだな。
一応今回でヤフオク、ネット通販での購入は体験済みとして止める。
現物を目で見て中古品は買うのが鉄則だと理解できた。
いいんだよどうでもいいものは。
どうでも良くないものはお店を選んで買うべきだと当たり前の結論になったわけだ。
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ボケ老人

2020年01月15日 | Weblog
病院へ定期検査へ行くはずが、検査日を当日になって忘れてしまい夕方に気づくという失態。
そもそもなんのために休みを取っていたんだということだが、いいわけもあっても忘れたんだから仕方がない。
なにしろ物忘れに効果があるというサプリを毎日飲むことも忘れてしまうほどなのだから。
ひとつのことしか一度にできなくってしまった。
若い時にはマルチタスクだったのにと嘆いても仕方がない。
こういう時にはほらあの本、え〜っとほらあれ、そうそう「老人力」誰が書いたんだっけ?え〜っとは〜っ、そうそう赤瀬川原平こんな字だったかな?
この本を読んで処世術を学ばないとね。学んでもすぐ忘れるけど。
読めばその時は安心しそうじゃないですか。歳をとると安心が大切なんですよ。
で、なんの話をしようとしてたんだっけ?
そうそう、とりあえず検査の日をもう一度電話して予約し直してメモして安心して忘れたんだよもう。
どうせメモを見ればいいんだし。
それでニャンコがお布団で寝ていたんだけど、布団が少しずれていたので掛け直そうとしてかがんだところ腰のあたりで小さくポチっと音が・・・
ほんの軽いものだと思っていたけど、今ではズキズキ痛んで、つらいからと寝ていると寝返りも打てないので更につらくて・・・
経験上4日間で痛みは引くのでそれまでの我慢。
せっかく久しぶりに写真撮影に行こうかと思っていたのに・・・
こうして行かない理由ができて、いつまでも行かなくなるんだけどね

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縮小する社会で

2020年01月08日 | Weblog
バブル時代を基準にするのは問題が多いのだが、バブル以前はものごとが”進んで”行ったし、日本以外の先進諸国は現在も進んでいる。
進むというのは更新されていくということで、そこでは金が動いてその金額も増えていくと言っていいのだろう。
現在の情勢の反対を想像すればいいわけで、金がかかることもやってみる、チャレンジする、新しい事を面白がる、過去に縛られない、発想の転換をする、マイナス評価しないが”目標”だったりしたわけだ。(微妙な言い方)
そういう中で実生活とは関係ない出費(そんなもの現在はどれだけあるのだ)にお金をかけることに否定的でない考え方を生み出して、それが表現とか美術とかにも影響を与えて”潤い”をもたらしているわけだが、しょせんは無駄金、困った時には一番にカットされる運命にある。だから現在の日本には潤いがないんだろうね。
そういう中でも人は生きていて、例えばヨーロッパなどは日本のバブルの頃からずっと不景気で若者は仕事にあぶれ生活は荒れているんだけど、そういう生活の中からアートの革新が起こったりしたわけだ。

エド・ファン・デア・エルスケンの写真集に「セーヌ左岸の恋」というのがあり、パリにある時期集まった若者たちの姿を物語風に写真集にしたものである。
時代的には第二次世界大戦が終わってようやく一息ついた頃だろうか(1950ー54)。
まだ新たな価値観が定まらない時期に若さをあふれさせた各国の若者が一か所に集まり交流し、去っていったのだ。
その時間の中からその後さまざまな人が華を咲かせていったわけで、その影響力は現在も続いていると言えよう。
そして日本でも同様に若者が集い、何かを生み出していった。
そういう動きはバブル崩壊後沈静化してしまったように感じられたのだが、そうではなく静かに各地で続いていたようだ。

特に関西では地理的な事とかあってか人間関係性が濃く、良くも悪くも波紋を広げて影響しあう。
数年前に一時期関西で仕事をしていた時に色々な場所を彷徨ったけれど、残念ながらその時にはキチンとしたアンテナが働かずそういう動きに対応できずに関東に引き揚げてきたのだが、ここしばらくはすっかり関西に目が離せない状況が続いている。
京都に集まる若者が中心にアート関連で動きまわっている。
関西は狭いところなので、当然大阪や近郊にも影響を与えているが、その活動の中心が写真やパーフォマンスなのだが、ネットでも画像を上げたり活動報告をおこなっている。
この動きを従来のアート”業界”(そんなものがあればだが)の基準で考えればドシロートのお遊びとなるのだが、上記のようにすでに日本において金の動く表現活動などバブル比で比べなくても何分の1にも縮小して、むしろそんな基準で現在の若者たちの動きをはかるのもおこがましい状況なのである。

そこに金でものごとをはからない若者が好き勝手をするのだから愉快でないわけがない。
それを従来の基準に照らして下手くそ、ありきたり、作品と呼べない等々酷評するのは簡単だが、その基準ってどれだけ昔の古びたものなのだろう。
キチンとした形で作品を作り、権威ある人に見出され、作品としての価値が上がり、広告にも使われてお金が入ってきて時代の基準となる。
そんなことはこれからはあり得ないのだ。
そんな”シンデレラストーリー”よりも現在は”アナ雪”の時代なのだ。
自分が楽しいと思ったことをして仲間と時間を共有する。
そのためのツールがカメラであったりするわけで、媒体はネットであったり(それもツイッターとか流れ去る時間が短いもの中心)近場での展示だったり、コンパクトな写真集だったりシロートぽいのだ。
今はその身軽さが力となる時代なのだ。
権威あるギャラリーで展覧会をしてなんぼの世界は去っていったのだ。

そういう”京都派”の中心人物の一人であるdaikonflexさんが恒例の写真展を行ない同時に写真集「only after dark VIII」を作って、贈っていただいた。
この写真集を見るには二つのとらえ方があり、一つは彼によって日々書き込まれるツイッターの世界をなぞりながら見るか、一つの作品集として眺めるかであろう。
しかし結果的にはどちらであっても2019年の京都での若者の日々の出会いと別れの物語を味わう事になる。
まさしく「鴨川右岸の恋」なのだ。
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