Nonsection Radical

撮影と本の空間

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2013年05月31日 | Weblog
近視用のメガネっていうのは凹レンズなんだよね。
だから”もの”が小さく見えるんだよ。
困るのはパソコンの画面の文字が最近読めなくなってきたこと。
字が読めなくなったのではなく、見えないってことね。
近くが見えないというのとは違うのね。
小さい文字が見づらいのね。
だから”魔法の呪文”を打ち込んで画面文字を拡大するんだ。
2段ぐらい拡大して、やっと安心して読む事が出来る。
文字だけでなく当然細かい部分も見えないので、確認する時にはメガネをはずして顔に近づけて見る事になるのね。
結構危ない行動だ。
先の尖ったものなんか突き刺さりそうになるからね。
「君の瞳に乾杯」なんて言おうものなら顔がぶつかりそうになるぐらい近づかないと瞳が確認出来ないのよ。
まあそれが作戦なんだけどさ。

こういう状況で危惧しているのがスマホなんだけど。
使ってはいないんだけど、あの大きさの文字が読めるのかいな。
ガラケーの文字でも難あり状態なのにさ。
パソコンだって文字を拡大すれば、表示画面は狭くなるわけだし、そうなると表示ドット数の多い画面が欲しくなるけど、そういう大画面のパソコンは置き場に困るし、単に表示数が多くなるだけだと文字は小さくなるし。

でもホント文字を大きくする機能がパソコンにあって良かったよ。
なかったら虫眼鏡片手に・・・なんて事に・・・
最近ネットの文字って小さくない?




安立商店街 大阪市住之江区


大正通り 石川県白山市
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まあ昨日の続き(みたいなもの)

2013年05月30日 | Weblog
昨日は沢木耕太郎氏の1970年頃に書かれた本を読んで、当時記載された状況が、時代と共に人々の記憶が”変質”していって「美しい想い出」ばかりが強調される事になっているんではないかと思った事を書いた。
文中にあるように自衛隊とか沖縄とか芸能界とか現在でも進行形として語られる問題が70年代初頭でも語られ、そのまま持ち越された結果の現在であるわけで、それでいて現在では”美化”されて語られる部分も加わり、当時を知る人も知らない人も現在だけが問題の本質を語る場であると思っている面がある。
同様な話では”領土問題”などもあるが、それをネットやテレビで語る人は、では以前からどのような経過を辿ってきたのか、どのような”空気”で当時は受け止めていたのかなど、その点を加味して現在を考えているのか。
ただ歴史的記載だけの文字を頼りに事務的に判断出来る問題ではなかったから、ある時には曖昧にある時には強引に問題を後世に託し(先送りして)時間を稼いできたのではないのかな。
そういう事を考えずに、現状に振り回されて”解決”しようとしてもロクな結果を生まないのではないのか。
ずっと以前からある”問題”。
解決が難しい”問題”。
そういう”問題”にはそれぞれの人にそれぞれの立場でそれぞれの意見があって、現在のようにネットなどでそれぞれが「意見表明」出来る環境になったとはいえ、それぞれの語る事は沢木氏が本の中でインタビューした人が語る話と異なるところはないはずなのだ。
つまり「ひとつの意見」なのだ。
それぞれがどのような自分の考えを語ろうとも、それが”答え”なのではなく、それは”意見”であり、その意見を沢木氏は拾い上げる事で時代の空気の断片をあらわした”だけ”なのではないのか。
だから今現在の”空気”も様々な形で記録されることで、何十年かして”当時”の空気を知る助けになるのだろうと思う。
「美しい想い出」とのギャップにさらされながら。




鳥取県岩美郡岩美町網代 3


日間賀島 5 愛知県南知多町
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変わる事、変わらない事

2013年05月29日 | Weblog
沢木耕太郎著「地の漂流者たち」文春文庫を読み終わる。
沢木耕太郎と言えばスマートなカッコいい万年青年で美しい文章を書き、いつも冷静沈着みたいな印象があるのだけれど、この本はルポライターになったばかりの20代前半の頃の文章を集めたものだ。
青くて、若くて、燃えていて、怒っているのである。
その心情が文章に現われているのである。
読みながら思わず「若いね~」とつぶやいてしまった。
現在の洗練された文章とは違ったものだ。
時代とは、そうやって人を変えていくのだろう。
いや、人が変わったとはいえない。
同じ心情を”上手く”表現に変える事を身につけたのかもしれない。
それでも、沢木も若い頃はパッションをほとばしらせていたんだぁ、と嬉しかった。

話は70年代前半の若者を追ったものであるが、ここで取り上げるのは、当時すでに”問題”になっていた「だらしない若者たち」の実態に迫るものと言えよう。
現在、なんとか戦後の社会生活を生き延びた人達(年寄りの事だ)は、「今の若いヤツは辛抱がたらない」とか「すぐに仕事をやめてしまう」とか「俺らの若い頃は」とか言っているが、この本の中でも、そう言われている若者たちを取り上げているのだ。
ということは40年経っても、同じ世の中であるという事なのだ。
若者の心理も、社会の構造も、驚くほど変わっていない。
ただ、”苦言”を呈する層が世代交代しただけなのだ。
学校を卒業して就職してもすぐに辞めてしまうという話は、当時の中卒高卒から高卒大卒にシフトしただけで、辞めてしまう心理も辞めて当然と思える会社側の実態(現在のブラック企業)も似ている。
こういう「今現在」を扱ったルポルタージュというのは、いつの間にか変質してしまう記憶や感情と当時記された状況との乖離を埋め合わせてくれる効果がある。
高度成長期にガムシャラに働いて、みんな上を目指して生きてきたんだという”美談”も、当時の文章を読むと「生き抜けた者だけが語る成功物語」である事がわかる。
また文中には、現在問題になっている事が当時も問題にされていた事例である事もわかるものがある。
たとえば”尖閣問題”とか会社からのドロップアウトとか。
つまり、様々な問題はそのまま問題として解決されずに持ち越しをされ、いつのまにか忘れ去られてしまい、新たな問題として時代を経て浮かび上がってくるのが日本の歴史といえるのだ。
したがって本の中に書かれている若者の姿や状況は、40年経っても現在の若者の姿や状況の書き写しなのだ。
そういう現在の日本の姿を、沢木耕太郎ならどのようなタッチで取り上げるのだろうと想像するのは自分だけではないと思う。




総合運動広場から網手の浜 姫路市家島町


測候所前から上地 和歌山県串本町
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返事がない

2013年05月28日 | Weblog
朝目を覚ますと部屋のドアが開いていてニャンコの姿が見えない。
階下に降りて、どこかそのへんでのんびりしているのだと思った。
ところが階下にはいない。
ニャンコと呼びつつ100足らず(90いくつか足りない)の部屋を探しまわるが返事はないし、姿も見えない。
そのうち出てくるだろうと食事をし、仕事に出る準備をするが姿を現さない。
ひょっとして外に出たかと心配になり(家の前は街道だから)、当たりの様子をうかがうが気配がない。
ベランダから見渡しても姿はない。
外は曇天で風が強く、ポツリと雨が落ちてきた。
まあ雨が降ってくれば帰ってくるさと諦めて、部屋に戻って出発しようとした時に、どこかから「リン」と鈴のような音が。
きっと風に吹かれた風鈴の音だろうと。
また小さく「リン」の音。
エッと思うと、部屋のタンスの片隅からニャンコが姿を現す。
思わず「どこに行ってたんだよ!返事しろよ!」と叱るが、ニャんとも言わないで階下へ降りて行った。
ニャンコはワンコと違って都合が悪くなると返事もしないし、鳴きもしないし、無視もする。
ワンコは悪さをしても能天気に出てきて、悪さを叱られてシュンとしてしまうバカさがある。
何事もなかったかのようにソファーのクッションでくつろぐ姿を見ると、これはこれでカワイイものだが、そういう性格もありなのねと朝の忙しい時間にちょっと腹も立つのであった。




東久保町から中央通り2丁目 奈良県御所市


安立東通り商店街 大阪市住之江区
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つづき

2013年05月27日 | Weblog
で、西大寺だけど、大和西大寺駅近くにありました。
ちょっと調べたら、西大寺と東大寺は同時に作られたわけじゃなさそう。
もうちょっと成り立ちとか調べてみたい。
というより、藤原京から平城京、そして遷都の繰り返しの末、平安京へ移った理由とか知りたくなったんだけど、そうした部分を解明した本とかあるのかな。
実物大レプリカを見た印象では、遷都と言うのが簡単でない事がよくわかるので、それでもなお都を移したくなった”動機”はとても重要なものであったと思うんだね。

で、西大寺だけど、観光客もそこそこ来ていて、決して忘れられた寺ではなかった。
まあ長い歴史の中で紆余曲折があったようだが、厳かなたたずまいであった。
残念ながら塔は存在せず、土台だけで、それも東塔のものだけで、対になっている西塔のものは、あるのかもしれないけどわからなかった。
西大寺を出た時には午後3時を過ぎ、時間短縮のために大和西大寺駅から近鉄奈良駅まで電車を使い移動し、駅周辺の商店街などを巡っていたら東大寺に行く前に日が暮れたぁ。
東大寺にはまたの機会に。

歴史的な事にはあまり関心を持たずにいたけど、今回はさすがに興味をそそられる事になった。
おもに「心情」についての事にだけどね。




北陸本線 高月ー木ノ本


鳥取県岩美郡岩美町網代 2
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