Nonsection Radical

撮影と本の空間

連休最終日

2018年04月28日 | Weblog
昨日撮影した動画をなんとかすべて変換。
これで来月10日までしのげる。
それまでに次の撮影に行かないと。

ずっと耳の調子が悪かったので、諦めて耳鼻咽喉科へ。
田舎住まいゆえ近くの医院までバスに乗って更に電車に乗って。
待つこと1時間半。診療は5分。
チューブの塗り薬をもらって退散。
帰宅するとすでに午後。
それから動画変換の続きをして、洗濯をして、食事をしてこの時間。
明日から連休明けまで仕事。
ただし来月の予定は未だ不明。

来月は後半に撮影旅行に出かける予定。
場所は秘密。
少しずつ資料集め。
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おっとり刀で

2018年04月27日 | Weblog
連休2日目
今日こそは撮影にと意気込んだが、それも新宿に野暮用があるため。
2008年に撮影した西新宿8丁目がどのように変わったのかを撮影しに。
当時はソニーのMiniDVを使ったハンディカムでの撮影。
先ほど見直したら手ぶれ補正もないし、画角も狭いブラウン管テレビサイズ。
時代は変わる。
スタートは木村伊兵衛賞受賞作品展示のニコンギャラリーへ。
もちろん京王プラザではない。新宿エルタワーね。
もうひとつ感じるものがなかったなぁ。

西新宿8丁目に行くと、何もかもが変わっていて、当時の記憶からはまったく想像できない街に。
困ったなぁと近隣をぶらぶら撮影。
軒の低い街並みをぶち壊して高層ビルに変えるのが近代的というのはどうも馴染まない。
設計者の底の浅い思想からは底の浅いものしか生まれてこない。
ハッキリ言って近頃のビルなんてなんの興味もない。
もうやり尽くしたので新しい形など産みようがないし、かと言って過去の誰かのデザインを真似るのも・・・てな感じで、結局みっともないものが。
それはクルマのデザインも同じ。
デザイン優先で使い勝手を考えないのも、周囲との調和を取らないのもクルマと同じ。

ビルの隙間の小道を入って、ようやく現存する2008年の街並みを発見。
ここもあとどれくらい残るのか。
東京には、それでもまだ古い街並みがそこかしこに残っていて、新宿でもまだある。
今後はその辺りを探ってみようと思う。

今使っている東京都の地図は2012年もの。
これで歩いて、当時とどのように変わったかを確認する。
道がなくなったり、区画が丸ごと再開発されたりと変化の参考に。

とりあえず遅ればせながらも、本日分の動画をアップ。
あとは明日からまたストック作業。
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焦るがカラダが・・・

2018年04月26日 | Weblog
今朝は夜勤明けで、少し寝てから撮影に出かけようとしたのだが・・・
目が覚めれば夕方だった・・・
すでに手持ちの動画ストックはなくなり、明日からまたしばらく針のむしろ状態・・・
来月からは自分で勤務シフトに休日を入れて撮影と旅の予定を入れるつもり。
年寄りには過労勤務は響く。

ネットで古本を買ったのだけど、岩波文庫の絶版本で、届いたものを早速開くと・・・
「活字(まさしく活字の時代の印刷)」が小さく、翻訳は古く旧仮名遣い・・・
”その手の才能”は持ち合わせていないので、なんだかなぁと読む気がなくなって、別の出版社の同類本を探したが、こちらは翻訳がおかしい。読んでいて意味がわからないところ多々。
仕方ないので目を凝らして、旧仮名遣いで古い漢字に手こずりながら読むことに。「麺麭」なんて読めないよ〜
答えは「パン」!

古い文学作品なんてどんどん消えてなくなっていって、現代人は知らない作家なんてますます増えていくのだろうなぁ。
そんな現状で著作権の延長なんかしてどうするんだろう。
坂口安吾って名前をつい口にしたら周りの若い衆は誰も知らなかった・・・

世の中の絶対数はスマホで写真、動画撮影なんだけど、それに対抗できる専用機というのが旧態依然の大きさ形で、性能にしたってスマホの必要十分な性能に”相対的に”勝るものではない。
それに怒っているのだ。
特にアクションカム系の画質の悪さに腹が立つ。
オートフォーカスでもないし、パンフォーカスでもない。中途半端なボケボケ。
最低がHDになっている世の中で、この画質はないでしょう。
いっそのこと、スマホのレンズユニットを移植した方がマシではないのかね。
レンズの明るさが、センサーの大きさが、などと言ってるは撮影とは無縁のスペックオタだけだし。
そもそもそんなに精密な画像が欲しければ35mmデジなどにこだわらずに、ど〜んと大きなカメラを使えばいいのに。

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再スタート

2018年04月21日 | Weblog
なんとかマックの再セッテングも済み、途中で消えてしまった動画を再変換してアプロードして、その途中で起きた様々なトラブルを解決して、ちっとも来ないお休みの日を楽しみに働き続けて花粉症と自律神経失調と免疫低下に苦しみながら今日にこぎつけた。
とりあえずお休みの日に(あればだけど)撮影に出かける生活を再スタートしたい。
たまりにたまった本も読み始めないと。
ついでに新たに買ったマックのローンのためにもこれまで以上に働かないと・・・orz

トラブっている間にも世の中は急速に動き、日本社会と同様に自分もすっかり置いてきぼりに。
こういう時代に何かを発信するということは、あとあとふりかえれば発信者がどのような人間性を持っていたかが浮き彫りになるもので、そのためにも現在を記録、記憶しておく必要がある。
このつまらない日記も、そのために書いているようなものだ。
本人は忘れても、恥は消えることがないように。

#MeTooがまさしくMeTooである自覚はオンナにはあってもオトコにはない。
政治から性事まで等価値であると思っている自分も当然MeTooの当事者なのだ。
でも流石にエラいセンセー達やカンリョー達の女性を性的対象として接するときの扱いを見聞すると、米原万里さんが橋本龍太郎に”迫られた”時の憤りを思い出してしまい、好きなら好きと正々堂々と向き合えばいいのにと、あるいは対象相手を見下げて何が楽しいのだろうと不思議な気持ちを抱くのは、”話題”になる人物が自分と同様に、どのように贔屓目に見てもモテそうにもないオッサンであるからなのだが。
#MeToo”運動”をみて、ふと思い出したのは数年前の”アナ雪”で高らかに女性達が歌った「Let it go」であった。
あの時から女性はオトコの対象物ではなく、自分のことは自分で決める各個人であるという”流れ”が顕著化したと期待したのだけれど、当然その下地があるのだろうが、それでもまた元の振り出しに戻ってMeTooになっていないのかと老爺心から改めてユーチューブで当時の「Let it go」を観てみたり。
まあこれも再スタートかと。
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