Nonsection Radical

撮影と本の空間

8月31日 月曜 風邪さ

2015年08月31日 | Weblog
かだだがだるい
あたまがおもい
しりがかるい
なにもかんがえられない
風邪さ



西区役所通り中央商店街
神奈川県横浜市西区中央1丁目,西前町2丁目,伊勢町3丁目
撮影 2014年12月30日 火曜日 15時10分
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8月30日 日曜 気の緩み

2015年08月30日 | Weblog
気が緩んだからか、気候がいきなり8月なのに秋になったからか、鼻から涙がズルズルと流れ出る。
ちょうど出かけようとしていた時で、ハンケチ(死後)で鼻を押さえつつ行動。
こぬか雨だったので必要なことを済ませてサッサと帰宅しようと。
その時に、家の鍵を持って出るのを忘れたことに気がつく。
ムスメが来ていてどこかに家人と出かける様子だったので、マズイなぁと思いつつ家人に電話。
幸いなことにまだ家にいたので鍵を某所に置いておくように依頼。
帰宅して某所を探すが鍵がない。
なんだよぅと御立腹していると、家の中からムスメが「まだいるよ~」と。
モタモタしてこれから出かけるとのこと。
入れ替わりに家で持ち帰り残業を処理し始める。
夕方にムスメの夫も来て、どこかに食べに出かけようとの提案に、仕事が終わりそうにない気がして自分だけ居残り。
案の定、いつまでたっても仕事は終わらない。
こんなことならもっと早く始めていればと後悔するのも気の緩みから。



中村町の街並み 2
滋賀県近江八幡市中村町,宇津呂町,小幡町上
撮影 2015年3月21日 土曜日 10時50分
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8月29日 土曜 理解不能

2015年08月29日 | Weblog
家人がテレビを視ているところに通りかかり、チラッと眺めてみたが・・・
民放のバラエティ系ニュース番組のようだが、話していることが全然頭に入ってこなくて理解できなかった。
ニュースをバラエティ化する必要がどこになるんだなんてことは、この際言わない。
ただ「何をしゃべっているのか聞き取れないよ~」と家人にいうと、頭おかしいんじゃないの?との反応。
いやラジオを聴いている限りは話していることは聞き取れるし、新聞を読んでも理解はできる。
でもテレビでしゃべっている言葉が聞き取れないし、意味も理解できないのだな。
どうしてなんだろうと考えるんだけど、そんなに簡単には答えは出そうもない。
それでも状況から判断してみると・・・
テレビというのは、とそもそも普通に普段から視ている人にいうのもなんだけど、映像と言葉が同時にミックスされているじゃないですか、それは当然関連していて映像に関して話を進めているはずなんだろうけど、映像と話がまったく繋がっているようには感じられなくて、映像から想像できる言葉が出てこない感じがして、意表をつく言葉っていうんだろうか、たとえば歴史認識の話をしていて急に「パンティライン」なんて言葉が出てくると「????なに???」って理解不能に陥るようなもんですよ。
わけわかんないでしょ。
そういう言葉の羅列で番組が作られている感じなんだな。
そしてどうしたらこの映像からこの結論の言葉が出てくるのか関係性が全然わかんなくて、単に最初から結論の言葉があって、そこに映像をくっつけているだけというか、言葉のわからない外国のニュース番組を視ているような気がするんだな。
そんなわけのわかんないことを家人にいうと「テレビなんか真剣に診るものじゃないし、内容なんかフィーリングだから」とわかったようなわからないような答えが。
早々に席を立ってしまったが、こんなのを視て理解できるなんてホントすげぇなあとある種感動。
そういう能力は自分にはないんだろうなぁ。
ま、なくてもなにも困らないし。




西国街道 別所安満の街並み
大阪府高槻市別所新町,安満新町
撮影 2014年11月22日 土曜日 14時55分
コメント (2)
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8月28日 金曜 気

2015年08月28日 | Weblog
家人が何気なく習っているヨガの先生の話を始め、オカルトじゃないんだけどと巷に漂う「気」について聞いてきたことを言うものだから「それって普通でしょ」と答えると、家人は「えっ???」と驚き、そういう「気」の話ってオカルトと思う人だと思っていたと驚かれた。
何を今更と思うんだけど、オカルト的でなく説明的に説明すると、ヨガの先生と同じことを言っていると言われた。
何も不思議なことではないので、そういうことを意識してわかっている人にとっては常識であることを伝え、そういう風に人間はできているんだよと。
簡単に言うと、光や空間である条件が揃うと、人間は不思議なことに清々しく感じたり、神々しく感じたり、不安を感じたり、何かを感じるようにできている、というだけのこと。神社仏閣などは、そういう効果を意図的に考えて、石や樹木、建物など細かなところまで配置している。
それをわざわざオカルトに結びつけてしまう人もいれば、単にそういうものととらえる人もいるというだけ。
写真を撮るために光と影と空間を意識して歩いていれば、おのずとそういう感覚は身についてくるものだと簡単に考えているんだけど、そういうものでもないのかねぇ。
自然にできたそういう空間を見つけてシャッターを切る人もいて、そういう写真を見て「そうそう、そこの”気”にはシャッターを押すよねぇ」などと思うのだけど、そうも思わない人もいて、オカルト的に語るなと叱られたりしたこともあったな。
そういう”雰囲気”を感じることがオカルト的だと思うのがオカルトにおかされていると思うのだけど、まあそんな話をしても仕方がないしね。
そういうわけで、ヨガの先生とは、「気」に関しては話が合うかもと家人との結論。




渋谷駅西口
東京都渋谷区道玄坂1丁目
撮影 2015年1月1日 木曜日 10時55分
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8月27日 木曜 切なさ

2015年08月27日 | Weblog
なんかさぁ、うまくいかない時ってホントうまくいかなくなるのよねぇ。
連日の立て続けのトラブルに心身ともに疲れ果てましたよ。
はい、責任者として管理ができていない結果、このようになったわけです。
やっぱり管理していくには無理があるのですね。
ちょうどいい機会なので、お手上げということで辞職しようかと。
そういう手はずで物事を進めていますが、やっぱりトラブルは凹むわ。
不思議なのは周囲はそれほどでもないこと。
腹の座り方が違うんでしょうねぇ。




錦町の街並み
岐阜県大垣市錦町
撮影 2014年12月23日 火曜日 14時25分
コメント (3)
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