Nonsection Radical

撮影と本の空間

ガラパゴスおやじ

2016年09月30日 | Weblog
急にメール連絡しなくてはならなくなり、出先近くの公園でガラケーで打ち始めた。
パソコンのキーボードでなら1分で書ける文章が、ケータイだと10分も20分もかかってしまう。
一文字一文字丁寧に(苦笑)拾い出しては打ち込むという操作が苦手で仕方ない。
スマホなどのフリック操作も指先で文字が隠れて見えない。
こんな文字の打ち込み方が効果的だとはとても思えないのは自分が時代についていけないだけなのだが、苦手なのは仕方がない。
とりあえずキーボードでなら打てるのだから、好き嫌いの問題だと”慰め”ているのだけれど、時代はフリックへと向かうのであろう。
そしておやじは置いていかれるのだ。
仕方ない。
諦める。
音声認識の時代が来ることを望む。
でも街なかでエロいことをスマホに向かってつぶやいているオッサンというのも通報対象だろうなぁ。
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伝道師

2016年09月28日 | Weblog
大阪に小吹隆文という人がいて、おもに関西の現代アートを紹介する仕事をしている。
この人のことはつぶやきサイトで知って、今でもどのような展覧会が関西で行なわれているのか情報を得ている。
実際に大阪に住んでいた時に、この人のつぶやきを知っていたら、もっとたくさんの美術展を見ることができたのにと後悔している。
住んでいた時には、内心では関西アートはそんなに盛んではないのかと思っていたんだけど、この人の情報で様々な面白いものが関西で行なわれていることがわかって、自分の情報力のなさにガックリきてしまった次第。
いわゆるアートというものが”金になるもの”という判断で評価される場合、ギャラリー付きでない作家というのは価値のないものとされるのだけど、こういう考えには同意しない。
だって売れている作家が面白いかというと、一概にそう言えないんだもの。
売れるにはそれだけの理由があるんだろうけど、その理由とアートとしての面白さとは別のものだから。
むしろ巷にアートがあふれている状態の方が”健全”であると思うし、少しずつではあるけどアートの面白さが世間一般に広がっていくことに力を貸しているだろう。
個人的には、”公式な”あるいは他人の評価など気にせずに、自分が好きな作品が自分にとってのベストだと思っているので、小吹隆文のような人が新しい情報を知らせてくれることには大変感謝している。
美における価値はどれも公平なんだから、有名無名で何かが変わるわけではないと思うんだよ。
これからの時代、投資の対象や金持ち相手のアートという形が成り立たなくなり、一般の人たちが楽しむアートというのが日本発で広がっていくのではないのかと期待しているんだけど、そのためにもアートの伝道師として氏の活躍を草葉の陰から応援している。
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嘆く必要はなかった

2016年09月27日 | Weblog
どういう必要性でそうなるのかはわからないけど、せっかくデジタル化でフィルムを持ち歩かなくて済むようになったのに、相変わらず大きなカメラが売れ筋で、持って歩くだけでも大変だろうにと思うのだけど。
割りを食ってかコンパクトカメラといえども性能重視の大型化に進んでいるようで、一方でコンパクトスナップといえばなぜか28mm(相当)レンズのものが主で、次に35mmかな。
フィルムカメラだと他の焦点距離のレンズをつけた”個性派”カメラもあったのにね。
特に40mmというレンズは35mmと”ほぼ”一緒なのに全然距離感が違って結構スナップには重宝していたんだけど、散々待ち続けても出てこないんだよね。
コシナで魅力的なものがあるんだけど、レンズ交換式のためのレンズで、結局結構大きなカメラとなってしまう。
どうしてこうも便利さを追求して、レンズにはバリアが欲しいとか、沈胴化してコンパクトに収まって欲しいとかの結果、起動するまでの間にチャンスが逃げるほどの時間が過ぎることに無頓着なのかと思うのだけど、結局スナップとか言っても、”一瞬”など無頓着なのだろうと。
確かにデジカメだとスイッチ入れっぱなしというわけにもいかないので、一瞬の間はあくのだろうけど、それでもせめてスイッチを押すぐらいだけの時間差にしてもらいたいなと。
なんてことを嘆いていて思ったのは、やっぱりフィルムカメラかなと。
幸いなことに、まだ中古で40mmレンズのついたコンパクトカメラも安く売っているし、レンズの写りなど気にしないし、気が向いたら中古カメラ屋さんでも覗いてみようかと。
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何も進まない

2016年09月26日 | Weblog
多忙なことと季節の変わり目で風邪をひいてしまい、ただでさえ働かない頭がますます思考停止して日記に書くようなことが目に映らない毎日。
世間ではどこでも咳をしている人がたくさんいて、風邪と喘息の季節がやってきたんだなぁとため息。
珍しく今年は咳が出ることがまだないのだけれど、それでも喉がイガイガして龍角散を買う。
動画の編集も進まず10月の再開も危ぶまれるが、せっかくの連休も一本の電話で出勤となり、気力体力時間がそちらへ取られる始末。
口絵への画像も底をつき、またしても昔撮った画像を再利用。
それにしても昔のものと今のとちっとも変化がないというのは、喜ばしいことか残念なことか。
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月光

2016年09月19日 | Weblog
電車に乗り込んできた少女4人。
見た感じ小学3,4,5,6年生。
友達なのか、姉妹なのか、オヤジにはわからない。
面白いのは、この年頃ですでに将来の”顔”が想像出来るところ。
それぞれの顔をチラ見して、この子は将来こんな顔、あの子はあんな感じと妄想する。
服装もそれぞれ異なっていて、どんな格好が好みなのかがうかがい知れる。
そんな4人が並んで座って、年長さんが手提げバッグから取り出したのはコミック。
各自がそれぞれ読み出した。
チラリと見えた題名は「僕の家においで」。
内容はわからないけどみんな真剣に読んでいる。
家に帰ってきて調べたら、結構おませ(死語)な内容。
乗り合わせたわずかな時間に、この子らの10年後を想像して感慨にふけっているオヤジであった。
それも鬼束ちひろの「月光」を聴きながら・・・
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