癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

高齢者講習の案内状が届く

2017年10月18日 | 日常生活・つぶやき
 今日は、曇り空で1日中寒かった。函館の最高気温は11℃だったそうだ。これは今秋の最も低い最高気温である。外へ出る気にもなれず、午前中は次回の「どうなん・とうほく山楽紀行」の原稿書きに費やした。次回は東北の山の順番なので、恵山からも見える下北半島と恐山の最高峰「釜臥山」を書いた。掲載日は10/31の予定である。


 本日、「高齢者講習の案内状」が届いた。更新期間が満了する誕生日は来年の3月だが、半年前から受講できるらしい。これを見たら、「ああそんな歳になったのか」と急に歳を感じてしまった。客観的には立派な高齢者なのことは自覚してはいるが、普段はそんなことを忘れて過ごしているだけにちょっとショックだった。

 特に一昨日のように自分の息子より若い人と一緒に山に登っていても年齢差を感じることはないし、体力的にもまだまだだと思うし、あまり疲れを感じることはない。まさに、山に対するポリシーである「少年の心で山へ」状態である。

 それでも、日常生活の中で、ふと「歳とったな~」「十分ジジイだな」と感じるときはある。

 まずは、身体の外見を客観視するときである。自分の顔を鏡でじっくり見たときや数年前の顔写真を見たとき、風呂上がりに大きな鏡で自分の貧相になった上半身を眺めたときなどである。幸い下半身はまだまだビンとしている。あくまでも広義の下半身だが・・・(笑)。

 あとは、以前より物忘れが激しくなったと感じたとき、人の名前や固有名詞が出てこないとき、記憶力が落ちたと感じるときなどである。

 意外と面白いのは、自分の年齢を自分で何かに書くときは感じないが、渡された書類などに自分の年齢が書かれているときには、それを客観視してしまうのか、「こんな歳なんだ」と感じることが多い。
 
 しかし、身体をまだ自由に動かせているあいだは、自分が老齢の域にあること、あるいはその域に達しつつあることを意識しないで、無年齢のまま生きたいものである。

 さて、現実に戻って・・・と。明日にでも、雪の降る前にこの講習を受けるべく、自動車学校に予約の電話を入れることにする。実際の講習時に歳を感じることになりそうで怖いが・・・。

 <翌日記>高齢者講習は自動車学校で受けることになるが、その学校によって曜日が決まっている。電話を掛けてみたら、来月下旬まで塞がっているとのこと。以前から、混んでいて地方の自動車学校で受けたという話も聞いていたので早めに電話して良かった。結局11/30に予約を入れておいた。  
 
キングベークの「10月の月替わりランチ」
 すぐ近所のキングベークの月替わりランチ(580円)は毎月1回は食べることにしている。


ロングスティックメンチカツサンドとクラムチャウダーとお替り自由のコーヒー

 自分一人ではなかなか食べに行けない感じのメニューではあるが(そう感じることがすでに年寄りの証拠だが)、妻と一緒だから行けるのかも?


カフェスペースに置かれている手回しオルガン

青柳町建物探訪

2017年10月17日 | レトロ建築・古民家カフェ
 天気予報は悪天候だったので、午前中に昨日の岩部岳のHPへのアップ作業をして、その後はのんびり過ごすつもりだった。ところが、予報が外れて青空が広がっていた。たまたま他人のブログを見ていたら、一昨日?に「函館たてもの探訪」という街歩き企画で「青柳町編」があったらしい。

 普段何気なく見ている記憶の中に、印象的な建物が多くあることを思い出して、午後から自分も出掛けて見た。車を青柳小学校のそばに置いて、カメラ片手に1時間以上あちこち歩き回った。

 青柳町は、確か昭和9年の大火でほぼ全焼したはずだから、現在残っている建物はそれ以降のもののはずである。当時は比較的裕福な地域だったので、いち早く復興建築物が建ったはずである。 

民家以外の建物

函館公民館と事務所~昭和8年建築ということだから、これは大火から逃れたらしい

 昭和8年「篤志家 石館友作」が当時で10万円の浄財および土地等を寄付し、函館市青年會館として建設された。その後の函館大火により焼け出された函館地方裁判所の庁舎として一時使用された他、戦後は占領軍に一時接収されるなどいくつかの変遷を経て、昭和22年5月「函館市公民館」として開館


函館公園正面口近くのレストラン唐草館(昭和9年)

 医院併用住宅として建てられた瀟洒な洋館は、青柳町を代表する建物になっている。洋風のバルコニーを取り付けるなど、徹底的に建物を洋風に見せるような工夫が施されている。しかし地元の人から〔ギロチン窓〕と呼ばれる上げ下げ式の窓や、建物全体のシルエットなど、函館の棟梁作ならではの味が出ているのもこの建物の特徴と言えるらしい。


昭和10年竣工の青柳小学校(当時は住吉小学校)

 函館市は昭和9年の函館大火後、内務省の指導により、この時の大火で焼失した区域に火災発生時の避難場所となる鉄筋コンクリート製の校舎5校の建設を決定した。その中でいちばん最初に竣工したのが、高盛小学校と青柳小学校だった。


青柳小学校の斜め向かい側に建つ天祐寺

 昭和9年の函館大火の時に寺は全焼したが、2年後、東京にあった紀州徳川家の由緒ある建物・庫裡(くり)を移し、建てられた。


青柳小学校の向かい側の青柳町会館
いつ建てられたかは不明だが、町並みに合わせてデザインされた最近の建物のようだ。


民家の建物


2軒並んで建つ蔵付きの邸宅~当時の青柳町住民の富を象徴する建築と言われている。


上掲の2軒の坂上に建つ、煉瓦塀を回した蔵付きの邸宅。
津軽海峡方面に塀が設けられているのも、これまでの大火を教訓にしたものらしい。


函館公園向かい側の和洋折衷のモダンな邸宅と後ろの住宅に改造された蔵が棟続きで繋がっている(昭和12年建築)


函館伝統の洋風下見板張りの蔵付き邸宅。昭和20年代半ばの竣工らしい。
明治以来育まれてきた函館の下見板建築の最終型とのこと(現在は売りに」出されいるようだ)


子供のころから印象のある青柳町電停前の海側に建つ、堂々とした瓦屋根と奥の蔵等、風格ある和風住宅。


青柳小学校向かいの二軒長屋~右側の棟は和食居酒屋の「桜路」


屋根と外壁の曲面がモダンな洋風住宅~いつの時代の建物かは不明だが、意外と新しいのかも知れない


青柳町に残る年代物の石垣や大火後間もない建築と思われる民家が残る小路もこの町の魅力の一つ。


 昨日の岩部岳の縦走記録と、今日の夕刊に掲載された「どうなん・とうほく山楽紀行」の23回目「雄鉾岳」は下記でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com

岩部岳縦走(大きな沢林道ゲート~福島峠)

2017年10月16日 | 登山・旅行

みごとなブナの黄葉に彩られた急斜面の新しい開削道(国有林境界管理歩道)を下る


北斗市石別付近の国道から知内山地と岩部岳を望む


GPSトラックログを基にしたコース図

 知内山地の根元に聳える岩部岳には正規の登山道はない。しかし、福島町千軒地区から入る大きな沢林道~伐採道~作業道を繋いで稜線に出ると、東側の燈明岳から続いていている国有林境界管理歩道と合流し、頂上へ登ることができる。このコースは自分も4回ほど登っているが、この山のメジャールートで多くの登山者にも登られている。

 一昨年には、東側の燈明岳からの稜線上の国有林境界管理歩道を縦走して、このコースを下っている。さらに、昨年福島峠から頂上までの国有林境界管理歩道が開削されたと聞いて、今年の正月にそちらから頂上を目指した。しかし、頂上手前1kmほどの地点で開削が終わっていた。だが、雪で覆われていたので頂上まで往復することができた。

 今年になって、残りの1km部分の開削が終了したという情報をいただいていた。そこで、ブナの黄葉が美しいこの時期を狙って、大きな沢林道コースを登り、西側の福島峠までの縦走にトライした。

 相棒は、先々週のエガミ山に引き続き、平日にしか休日のない「道南登山単独行」のじゅんさん。福島トンネルの西側に続く旧道の福島峠にじゅんさんの車をデポし、自分の車で大きな沢林道ゲートへ向かった。
 

 7:25、大きな沢林道ゲート前を出発し、長い林道を進む。一人なら長いが、話し相手がいるのでその長さが気にならなかった。
 ちょうど1時間(およそ3.5km地点)で、広い駐車スペースのある林道終点に到着。その先にも林道跡は続いていて、過去にはその先へ進んでいる。しかし、その先に酷いぬかるみがあるので、昨年の晩秋に登ったじゅんさんの記憶を頼りに、その林道終点から上に続く新しい伐採道へ取り付いた。


途中で伐採道が終わっていたりで、伐採地の中を横切ったりして、伐採道を繋いで進んだ。
やがて、川にぶつかる地点から、過去の記憶のある急な作業道へと取り付いた。


高度を揚げて行くとブナの黄葉がきれいになり、右手に目指す岩部岳山頂部が見えた。


黄葉がピークのブナ林の中を登る。やがて、稜線上の国有林境界管理歩道へと合流。方向を変えて頂上を目指す。


途中の急斜面の登りから左手に津軽海峡が広がり、眼下には岩部集落が見える。


知内山地最高峰の知内岳とそこから一昨年縦走してきた稜線を眺める。


頂上が近くなると函館方向の展望が広がる。微かに函館山も見える。


10:05、2時間40分で、今年の正月以来6回目の岩部岳山頂。腹ごしらえをしながら25分休憩。


10:30、福島峠へ向かって今年になって開削された国有林境界管理歩道を下る。ブナの黄葉が美しい。


途中から越えてきた岩部岳山頂と稜線を望む。


標高300付近のまだ青々としたブナ林の快適な直線歩道。


13:20、山頂から2時間50分で、車をデポしておいた福島峠へ到着。トータル約6時間の縦走完了。

この後、大きな沢林道ゲートにデポしてある自分の車を回収し、知内温泉に入り、そこで解散。

 

もっと多くの写真と、詳しいコース説明も兼ねた山行記録は下記でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com(アップ完了)


じゅんさんのブログも合わせてお読みください。

増刷本が函館市内書店にもほか

2017年10月14日 | 日常生活・つぶやき



奥付け

 4月に初版本として2000部発行した拙著『ほっかいどう山楽紀行』だが、6月には出版社にも在庫がなくなり、6月20日付けで第2刷としてさらに2000部増刷された。

 第1刷本のうち、直接注文でこちらから出て行ったのが約700部である。残りの1300部が店頭に並んだ計算になる。そのうちどのくらい売れたかは、10月末段階で出版社から第1回目の集約の連絡が入るはずである。

 札幌の書店や秀岳荘などでは、8月段階で増刷本を店頭で目にしたが、函館市内での増刷本の第1号は、9月下旬の文教堂昭和タウン店だった(上掲画像)。
 蔦屋書店でも、9月中旬には完売していたはずだが、まだ入荷がされていないので、今日、蔦屋書店で聞いてみた。調べてくれて「9/12に18冊完売しています。9/15になぜか1刷だけ入荷しているので、それがあるはずです」とのことで、一緒に探してくれたが、いくら探して見つからなかった。「追加注文の件、係の者に話しておきます」とのことだったが、こちらからも出版社の方へ連絡を入れるつもりだ。

 ほかの函館市内の店頭も、ほとんどが1~2冊の残部になっている。1日も早く完売して、増刷本が新たに並ぶことを期待している。

◎この秋一番の冷え込み


 今朝起きたら、室温が14℃でこの秋一番の冷え込みだった。外気温は4℃だったらしい。これまでは我慢してきたが、初めてポータブルストーブを点けた。1時間ほどで19℃まで上がったので消した。

◎しゃぶしゃぶがメインの食べ放題


今日の夕食は、8月にオープンしたしゃぶしゃぶ食べ放題の「しゃぶ匠」へ。
3コースあったが、一番安い熟成豚肉(バラ肉とロース)のコース(1980円)にした。










 これらのほかに、寿司や自分で機械を操作するソフトクリーム、かき氷、綿あめ、クレープ、ドリンクバーどがあり、子ども連れの家族に人気があるようだ。
 1割引きのクーポン券が付いたチラシが入っていたせいか、店から出たときには40人ほども待っていた。
 毎月20日はシニアは半額、誕生日の人は半額とのこと。妻の誕生日が20日なので、来年の妻の誕生日祝いはここでやることにしよう。飲まなければ2000円でおつりがくる。
 食べ放題はどうしても食べ過ぎる傾向にあるが、今日は2万歩のウォーキングをしたし、明日は申し込みし損ねた大沼グレートランの応援に、MTBで城岱スカイラインを越えて行くつもりなので、十分消費できるであろう。

栗拾いドライブ

2017年10月13日 | 日常生活・つぶやき

 今年もいつもの場所での栗拾い目的で、秋色漂う道々5号(江差木古内線)をドライブしてきた。
 数年前のようにたくさんは拾えなかったが、昨年よりは多く拾うことができた。十分な量である。


まだイガが付いている大粒の栗がなる木


栗林の中に熊の罠が仕掛けられていた。栗を目当てに熊が出没しているのだろうか?


昨年11月30日に開通した稲穂峠の新吉堀トンネル(1506m)
以前は、吉堀トンネルの前後は急カーブが多かったし、トンネルも暗くて狭かった。
女性の幽霊が出るなどという話もあったが、これで、快適に走れるようになっていた。
トンネルを抜けた上ノ国側の道路は、現在もカーブが少なくなるような工事の最中である。
これで、JR江差線の廃止に伴う代替バスの走行も快適になるだろう。


道路脇の紅葉


江差線廃止でもう列車の通ることのなくなった紅葉スポット・天の川の鉄橋





 小さめの栗は茹で栗でおやつ代わりに食べ、大きめの栗は栗ご飯にして食べた。
 お裾分けの残りはチルドにして保管した。チルドで保管すると甘みが増すことが分かっている。

第94回赤光社公募美術展

2017年10月12日 | イベント鑑賞・参加

招待状

 今日から17日(火)まで棒二森屋デパートで開催されている北海道で最も古い歴史を持つ赤光社公募美術展・・・例年、元祖「山の師匠」である会員のyamaさんから招待状をいただいて鑑賞している。

 元同職の知人も多いので、その方々が今年はどんな作品を描いているかを観るのも楽しみである。今年は、一般41名、物故会員2名、会員56名、会友13名、合計112名の作品が展示されている。

 柄にもなく2日連続の美術展鑑賞になったが、昨日、美術館で鑑賞した田辺三重松氏も、1921年(大正10年)の第1回作品展に出品しているし、大正15年まで同人であった。


入口から手前の展示場を写す


今年の一般公募3賞の作品~左・赤光社美術協会賞、中・北海道新聞社賞、右・函館市長賞


yamaさんの作品「ゼフィルスの棲む森-17」(ゼフィルスとはyamaさんが好きなシジミチョウの仲間)


毎年楽しみにしている独特のタッチで山を描くIさんの作品「晩秋の山(夕陽に染まる恵山と海向山)」 
       

どうしても山を描いた作品に目が向く~一般公募Sさんの「恵山Ⅰ」


今年亡くなられた、昔お世話になった大輩Siさんの作品「暁の漁港」~漁港や船を好んで描く方だった

昨日の作品の搬入・審査・展示作業等の様子は、yamaさんの下記ブログで見られます。
https://blogs.yahoo.co.jp/tyouhanatori/35030546.html
       

生誕120周年記念「田辺三重松展」

2017年10月11日 | イベント鑑賞・参加

パンフレット~この作品は「神威岬」(昭和44年)
 
 函館出身で、道内各地の雄大な自然を描き続けた田辺三重松(1897-1971年)の生誕120年を記念した展覧会が4日から27日まで、道立函館美術館で開催されている。
 約90点の作品が、第1章「画家としての出発」、第2章「模索と二科会での活躍」、第3章「戦後の再出発」、第4章「円熟の境地へ」の4章に分けて展示されている。また、画家としての生涯を田辺の残した言葉と合わせてたどることができる。
 
 絵のことはよく分からないが、この田辺三重松は、力強いタッチと大胆な色使いで、函館や北海道の雄大な自然を描いた作品が多く、好きな画家の一人である。
 展示作品は、函館や近郊を描いた作品が多いので、非常に親近感を抱けるし、当時の様子と現在の違いなどが絵を通して感じ取れるのも面白い。また、自分が登り歩いている道内の山を描いた作品も多く、見ごたえがあった。

 なお、入場料は大人510円だが、65歳以上は無料なのもうれしい。
 
以下は、パンフレットからスキャナーで取り込んだ画像


昭和4年「函館風景」


昭和14年「有珠山」~今とは違う有珠山の姿が印象的


昭和24年「夏の函館港」


昭和40年「灯台のある風景」

アレッポの石鹸

2017年10月10日 | 日常生活・つぶやき

オリーブオイルソープとエクストラ40
オリーブオイルソープ(オリーブオイル:ローレルオイル=90:10)
エクストラ40(オリーブオイル:ローレルオイル=60:40)<こちらの方が高い>

 アレッポというと、シリア内戦の舞台となったところというくらいの知識しかなかった。
 ところが、半年ほど前から、妻が「アレッポの石鹸」というものを通販で購入。今では、妻も私も、洗髪も洗顔もボディ洗いもこの石鹸1個で間に合わせている。

 アレッポの石鹸の生産国シリアは『石鹸の発祥地』ともいわれ、数千年以上の石鹸づくりの歴史と伝統を持つシリアで作られた完全無添加石鹸とのこと。古代エジプトの人々、中世の貴婦人も愛用し、現在でも「美人をつくる石鹸」、「最高級の自然石鹸」として高い評価を得ているそうだ。

 原材料であるオリーブと月桂樹(ローレル)は自然栽培(自生/無農薬・無化学肥料栽培)で、年1回(12月から3月まで)だけ作られているらしい。

 シリアの争乱により各メーカーは石鹸作りを止めたり、アレッポで石鹸を作る事ができずシリアの他の都市やトルコなど外国へと逃れ石鹸づくりを再開させたりしているとのこと。このメーカーの生産元の会社は、2012年2月以降アレッポの工場では石鹸の製造ができなくなってしまい、2014年2月にシリア国内地中海沿岸の港町ラタキアに移り、石鹸製造を再開しているそうだ。


 2年間も自然乾燥するので外側は茶色になるが、使っていると中から緑色が現れる。これは2番搾りで絞り出した果皮や果肉の成分の色なのだそうだ。

 自分は、アレッポの石鹸ということに興味があり、1個で頭も身体も洗える便利さは気に入っているが、効果の程は良く分からない。しかし、妻に言わせると、これまでより高い化粧液などが必要なくなり、肌荒れも少なくなったそうだ。

苔の回廊・楓沢

2017年10月09日 | 登山・旅行

支笏湖畔国道の紋別橋から下りて、15分ほど歩くと苔の回廊が始まる

 一昨日の予定だったが雨で今日に延ばした支笏湖畔の苔の回廊・楓沢。
 自分は今年の8/15に、この楓沢を上まで抜けて風不死岳へ登り、北尾根を下りている。
 そのときの写真を見て、妻が「自分も行きたい」というので、今回の再訪となった。しかし、初めから途中で引き返すつもりだったので、ほぼ空身で出掛けた。

 最近ネット上での記録が多くなり、人気が出てきている。今日も30人以上の人に出会った。








F1の高巻き道のロープ場。後ろの紅葉がきれい






 スタートから50分地点。登りは割と簡単に登れるが、下りるとなると、妻にはちょっと厳しそう。
ここで引き返すことにした。この苔の回廊を楽しむには、ここまででも十分である。

 
ミニカッパドキア          苔~その1 

 
苔~その2             苔~その3(ハイゴケ?) 

 
苔~その4(ゼニゴケ?)              苔~その5(スギゴケ)
 

◎帰路途中の美笛峠の紅葉




帰宅後、昨日と一昨日の画像を、少し見やすい画像に入れ替えましたので、見直してください。

羊蹄山(喜茂別コース)5合目まで

2017年10月08日 | 登山・旅行

 妻は昨年の9月下旬に比羅夫コースから羊蹄山に初挑戦した。しかし、下山時に体調が悪くなり、登りの時間より多く要してようやく下山した。そのことが悔しかったらしく、今年にリベンジすると言っていた。

 しかし、今年は昨年より走っていないし、⚪⚪年期障害で体調も良くないときが多い。それでも、どうしてもリベンジしたいと言う。

 そこで、急ではあるが、登山道が最も荒れてなくて歩きやすい喜茂別コースへ挑戦させた。

 案の定、朝からあまり体調が良くなかったようだ。6:50登山口をスタート。1合30分ペースで登って行った。







 しかし、5合目手前でギブアップ宣言。2時間30分を要した5合目を今日の山頂とした。

 下り始めてまもなく、上から、先週の袴腰岳の帰りに新中野ダムのところで初対面した函館トライアスロンクラブのトレイルランナーMuさんが駆け下りてきた。比羅夫コースからスタートして、先日の自分の8の字縦走を反対回りで挑戦しているとのこと。ちょっとお喋りして、あっという間に見えなくなった。






 下山途中で見かけたシマリス(ピンボケ)


 下りは、2時間で下りて真狩温泉へ。自分は、今年は1日に2回も登頂しているので、ここまでの紅葉登山だけても大満足だった。


 12時頃に真狩温泉の露天風呂からの羊蹄山。結局登頂できたとしても、山頂からの展望はなかったようだ。

 自分は真狩温泉でまったりして過ごしたが、いつも通り妻は頭痛を起こして、温泉から上がったあとは車の中で爆睡モードに突入。

 今日の頭痛は軽症だったらしく、夕方まで寝たら治ったしい。夕食もしっかり食べた。

結果的に紅葉ドライブ

2017年10月07日 | 登山・旅行
 この3連休は、妻の希望で、今日は支笏湖畔の苔の回廊・楓沢、明日は羊蹄山(喜茂別コース)、明後日はニセコ紅葉巡りの予定だった。

 支笏湖畔への途中に、紅葉の名所である大滝の三階滝に寄った。

◎大滝の三階滝

 









 しかし、支笏湖湖畔まで走ったら雨だった。苔の回廊なので小雨くらいならと思って湖畔で1時間以上粘った。だが、雨脚が弱まらなかった。諦めて明後日に回すことにして、今晩の車中泊予定の京極道の駅へ向かった。


途中の喜茂別の郷の駅で食べた喜茂別ロック(あげいも)。外側はココア生地、中はイモもち。とても美味しかった。

◎京極ふきだし公園







◎京極温泉

 15:30から、京極温泉で夜までまったり時間潰し。

西円山(駒ケ岳)下見登山

2017年10月06日 | 登山・旅行

ベンチが設置された西円山山頂から砂原岳を見上げる

   

 西円山(544m)は、駒ケ岳の砂原側の斜面にポッコリと盛り上がった感じの小ピークである。鹿部側には東円山がある。
 登山口は砂原岳と同じ砂原の望洋の森である。2年前に砂原岳に登った時に、この西円山にも寄ったが、この山も含めて「望洋の森」なのかと思われるほど立派な幅広の登山道が頂上まで整備され、途中に休憩所や東屋があり、頂上にもベンチが設置されていて驚いたものだった。

 10/20に函館ライフスポーツの秋の登山会で、この西円山の計画を立てたので、その下見に行ってきた。 


コースのGPSトラックログ


望洋の森の公園のような中から登山道が続いている。


登山口から1kmほどの「西円山まで1.9km」地点の休憩所。ここから500mごとに距離表示がある。


登山口から2kmほどの所にある東屋とその左側に見える東円山


東屋の先にある「西円山々頂まであと0.9km」の標識


砂原岳登山道との分岐


分岐から山頂までの幅広の登山道


頂上から森市街地方向を望む


北側には初冠雪を抱いた羊蹄山が見えた


右側には眼下の砂原市街地と噴火湾を挟んで室蘭の白鳥大橋まで見えた


砂原岳登山道の4合目から眺める東円山

 登り1時間、下り50分。この登山会はいつも自分が単独で歩くタイムの2倍から2.5倍を要するので、登りは2時間~2.5時間を予定している。
 あと2週間後なので、登山口から紅葉がピークを迎えていることだろう。なんとか晴れて欲しいものだ。

 もう少し多くの写真と詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
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センブリ&コハマギク<汐首山>

2017年10月05日 | 花・紅葉だより
 道内では南西部にしか咲かないと言われるセンブリは、これまで恵山山麓でしか目にしたことがなかった。しかし、昨年、「戸井の汐首山でもたくさん見られる」という情報をいただいていて、楽しみにしていた。

 ヨッシ~さんyamaさんから、「もう咲いているよ」という情報をいただき、好天に恵まれた本日出掛けたきた。
 NTT管理道路と林道の分岐の北側の草丈の低い草原状の斜面に、広範囲にたくさん咲いていた。また、コハマギクもちょうど見ごろだった。


センブリの名前の由来は「千回振出してもまだ苦い」ということからつけられたとされている。
ドクダミやゲンノショウコと共に有名な薬草である。生薬名「当薬」も和語である。
日本固有の生薬であり、漢方薬には用いられない。
乾燥品は医薬品と見なされるので、医薬品医療機器等法の許可なく販売すると同法違反になる。
センブリを使ったセンブリ茶は非常に苦い。









コハマギクは、センブリとともに秋の花で、名前の由来はハマギクよりやや小さいことに由来する。
しかし、亜低木のハマギク(北海道には咲かない)とは別種で、こちらは多年草で葉の形もまったく違う。
関東地方北部から北海道にかけての太平洋岸の海岸岩上に生える。
葉がやや肉質で栽培しやすく、ロック・ガーデンなどに植えられる。 








マツムシソウ


オオノアザミ

講演「人工知能は世の中をどのように変えるか」

2017年10月04日 | イベント鑑賞・参加

 公立はこだて未来大学を会場に開催された、退職組織の講演・研修会に参加した。
 演題は「人工知能は世の中をどのように変えるか」。講師は、国内の人工知能研究の第一人者である、公立はこだて未来大学教授松原仁氏(人工知能学会前会長)。

 44ページにもわたる資料を基にPCによるプレゼンテーションから印象的のことを一部だけだが列挙しておく。

 最近注目されている人工知能(AI)だが、いろいろ側面があり、定義はないそうだ。松原氏個人的には「鉄腕アトム」を造りたいとのこと。

 今の世の中での人工知能の例としては、・スマートホンで音声の対話ができる ・こういうものを買ったらいかがですかと推薦してくれる ・乗り換えの案内をしてくれる ・ロボットが掃除をしてくれる・将棋や囲碁でプロ棋士より強くなったなど。
 最近の人工知能の産業応用例としては、・自動車の運転と支援、入出国やコンサートなどでの個人認証 ・コールセンターの問い合わせ ・人の動きのデータとタクシーの客待ち ・肺がんのレントゲン写真の検査、人事採用のスクーリング ・社内メール管理などで、基本的には画像認識が中心である。


 コンピューターは創造性は持てないという主張があったが、将棋の世界では、人間のデータから人間の思いつかなかった創造性を持つことができた。
 「コンピューターに創造性を持たせるための研究の一環として小説を書かせようというプロジェクトが2012年から実施している。
 将棋で注目を浴びた中学生の藤井聡太4段は、日頃からコンピューターとの対戦に親しんでいて、「A1ネイティブ世代」が育ってきている。
 未来大学では、南茅部の定置網漁業での活用(魚類・漁獲量などの把握と類別)を漁師の人たちとともに研究している。

 今後、人工知能に代替されやすい日本での仕事として、・一般事務員 ・駅務員 ・会見検査係員 ・学校事務員 ・教職調理員 ・行政事務員 ・銀行窓口係 ・タクシー運転手など、労働人口の49%に相当する。
 人工知能に代替されにくい仕事としては、・アートディレクター ・ゲームクリエーター ・学校カウンセラー ・コピーライター ・精神科医 ・幼稚園小学校教員 ・クラシック演奏家、工業デザイナーなど。

 人間がコンピューターよりも得意なことは、・想定外の状況における判断 ・新しい枠組みを思いつくこと ・新しい価値を創造すること ・枠組みを動的に変化させること ・細かい手作業 ・精神的なサポートなど。

 人間と人工知能のこれからは、・人間と人工知能で役割分担する ・「人間+人工知能」として賢くなっていく ・人工知能をいいものにするのも悪いものにするのも人間次第である ・賢くなった人工知能を人間が受け入れるようになるにはある程度の「とき」が必要である。  


◎講演のあと、大学内の施設見学











 開学して17年経つが、我々世代が大学や学校など抱くイメージとはかなりかけ離れた感じの造りになっているし、これらの施設を自由に使って勉学に励んでいる学生は凄いと思った。