癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道12日目・本郷宿~26西條宿〈34km〉(9時間)

2020年11月27日 | 登山・旅行

 今日は、ほとんどが旧道歩きで、自然道の峠越えが2ヵ所もあり、古墳の中を覗いたりと、変化に富んだ歩きを堪能できた。

 西條駅前には安い宿がなかったので、少し離れているが広島駅前に取った。

本郷宿~26西條宿

 だんだん夜明けが遅くなる。ほんのり明るくなった6:35にホテルを出る。旧街道に戻る前に、駅の北側にある、「御茶屋本陣跡」を訪ねた。街道から離れた本陣も珍しい。
 何も表示がないのでわかりにくいが、医院の隣の門のある旧家がそう。広島藩は宿駅を指定するにあたり、本陣を造らず、茶屋を造り、必要に応じて、参勤交代の大名や幕府役人の宿にあてていたといわれる。

 7:50、昨日のゴールの支所前へ戻ってスタート。

 この先の本郷宿にも旧家や「本郷醤油醸造元」(下)もあった。

  右手に恵比須神社がある。鳥居の扁額に、2匹の石造りの鯛が掲げられている。こういう形のを見るのは始めて。恵比須神は鯛を抱えている姿をしているために、鳥居にも付けたのだろうか。

 沼田川を渡り、本郷宿を抜ける。橋の右奥に小早川隆景の居城「新高山城跡」の山が見える。

 隆景は毛利元就の3男で、昨日通った三原城も建てているが、この新高山城を40年間に渡り、居城としたという。

 本郷中央病院の所を右に入って行くと、右手に「菅公御手掘井戸」がある。案内板によると、菅原道真が大宰府に送られる途中、この地に上陸したところ、人々は水不足で困っていた。見かねた道真が自ら井戸を掘ったところ、こんこんときれいな水が湧き出し人々を救った。人々はお礼に干し飯を甑(こしき)で蒸して差し出した。

 その後、このご恩を忘れないようにと丘に社を建てたのが、岸ケ丘の「甑天満宮」だという。

 農村風景の中に入っていくと、これまでにはあまり印象がなかった赤瓦の屋根の農家が目につくようになる。それも、いろいろな飾りを付けている。

 国道を左下に見ながら、山際の旧道を辿る。

 まもなく、古墳群が現れる。3ヵ所寄ってみた。いずれも1400年前の古文時代の横穴式石室だった。

 まずは、「御年代古墳」~ここには石棺が2個入っていた。

 次に、「貞丸古墳」~上が1号古墳、下が2号古墳で、どちらも石棺が一つずつ。

 最後に、「二本松古墳」~ここは家型石棺が神社の境内に飾られていた。この石は、今回の旅で、山陽道3日目に泊まった兵庫県高砂市宝殿の竜山石だという。

 古墳群を見たあとは、山中へと入っていく。やがて、廃道化した自然道の歩きとなる。20分くらいで、県道に出る。

 そこの交差点に、地元の生産物の自動販売機がある。実は朝から何も食べていない。峠越えのエネルギー補給ができるものがないかと探したら、塩せんべいが2袋で200円で売られていたので、それをゲット。食べながら、県道の坂道を登っていく。

 このあと、「瓦坂峠」への入口を見落として、10分ほど登ってから、通り過ぎていたことに気付いて戻った。しかし、轍のある道へ入ったが、藪こぎとなる。そんなはずはないと、また戻る。結局、30分以上も無駄な時間を浪費してしまった。

 さらに、その下に入口を見つけることができた。一部藪濃ぎ状態の所もあったが、概ね幅広の快適な自然道として残っていた。しかし、入口にも峠にも標識すらなかった。

 下っていくと、一部ではあるが、石畳の所もあった。この峠が三原市と竹原市の境界だったようだ。

 舗装道路を下っていくと、やはり赤瓦の屋根の農家の集落に出た。

 さらに下っていくと、竹原市街地が見えた。

 峠の出口には、「西 廣島 東 大坂」と彫られた道標があり、「河原探坂峠」「旧山陽道」などの標識があった。峠の名前は、瓦坂と河原坂と表記は違うが、同じものである。

 峠を下りて、旧道が国道の近くにずっと続いている。やがて「田万里往還入口」という標識が出てくる。

 国道に近いところから眺めたら、レストランが見えた。ちょうど昼なので、そこへ寄る。山菜ピラフは、まさに絶品だった。非常に人気の高いレストランらしい。

 田万里往還へ戻ると、小さな集落が現れる。「間の宿 田万里市」だった。そのすぐ先に、本陣跡らしい旧家があった。

 その先から、山に向かって、緩やかに登っていく。今度は、松子山峠が待っている。

 反対側の田万里往還入口を過ぎると、竹原市から東広島市へと入っていく。

 そのすぐ上に「赤瓦釉薬検量油土の製造所跡」(文政年間西條赤瓦のルーツ)の碑が立っている。道理で、西條に近づくに連れて、赤瓦の家が増えて来たわけだ。ここで、其の変化の訳がわかった。

 さらに、そのすぐ上に「茗荷清水跡」もあった。

 どんどん登っていくと、「雛壇一里塚」に到着。平成18年に整備したものだった。

 そこに「松子山峠」への入口があるはずだが、見つけられなくて、10分ほどうろうろしたが、藪を漕いでみたら見つかった。ここにも標識が欲しかった。

 瓦坂峠よりは、藪化していて、微かな踏み跡しか無いところもあった。

 ここの峠には、新しい標識が設置されていた。峠からすぐに林道に出て、さらに、下っていくと県道に出た。

 あとは、ひたすら、今日のゴールの西條宿を目指して下っていく。

 市街地へ下りて行くと、西條宿の中心部は「酒蔵通り」となっていて、有名な銘柄の酒造会社が軒を並べてい

 ここで造られてある銘柄の一覧。

 その酒蔵通りの裏手に「本陣茶屋跡」があった。

 15:50、今日のゴール、西條駅に到着。そのあと、広島へ移動。

 明日も連泊する広島ガーデンパレスにチェックイン。

 GoTo割引で、2 日分で5480円。地域クーポン券2枚。

 今日の歩数計 52000歩。

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4 コメント

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連日ごくろうさまです (田舎おじさん)
2020-11-27 20:29:52
 連日のご奮闘ごくろうさまです。
 毎日楽しませてもらっています。お疲れの中で地域の歴史、建物の由来など詳しい説明に感服しています。
 全行程の2/3を踏破した地点でしょうか?どうかこの後も道中気を付けられながら所期の目的を達成してください!!!
田舎おじさんへ (sakag)
2020-11-27 21:39:05
ありがとうございます。
明日辺りから寒くなり、雨の予報も出ています。
残り、何とか頑張ります。
石州瓦 (赤ワイン)
2020-11-28 11:56:31
自分は瓦は本業では無かったのですが、瀬戸内の風景では瓦屋根は銀~黒のイメージだったので調べましたら、東広島界隈だけが赤瓦なんですねー・・・・その名も石州瓦。
石州瓦も名前だけは聞いていましたけど、石見の産ということで、昔は山を越えて運ばれたのでしょうか。
sakagさんの記事にもあるように、現地生産もされていたようで、ネットで広島エリアの石州瓦の記述を追うと、産地情報がやや混乱気味でした。
赤ワインさんへ (sakag)
2020-11-28 20:01:17
島根県の石州瓦、私も聞いたことはありましたが、あの赤瓦だったのですね。
多分、西條の地元産の赤瓦は、石州瓦わ真似て、地場生産を試みたのかも知れませんね。

旅は、その地方地方の建築文化の違いを見るのも楽しいです。

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