癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道14日目・海田市宿~28広島宿~29廿日市宿〈26km〉(6時間50分)

2020年11月29日 | 登山・旅行

 今日は、広島市内が中心の町中ウォークといった感じで、ここ数日間の旧街道歩きの楽しみは少なかった。

 厳島神社へ行きたかったので、宮島口に宿を取り、そこへ移動するのに便利な廿日市宿の駅前をゴールとした。

 広島の原爆ドームも厳島神社の赤鳥居も、修復中で、その姿は見ることができなかった。宿は、後で詳しく触れるが、GoTo割引でなく、別な割引で、素泊まり1000円だった。過去、これまでの旅で最安値である。

海田市宿~27広島宿

 広島駅から海田市駅へ移動して、昨日のゴール地点からスタート。

 スタートして、100mもしないうちに、広島市に入る。

 明治2年の常夜灯が立っていた。普通は、神社や寺の前に多いが、ここは、純粋に旧街道の旅人のためのものらしい。 

 ずっと家並みが続く船越峠を越えたら、今度は、広島市から府中町へ入る。昨日から何度も広島市からほかの町が出入りしている。

 府中町の市街地だが、道路の狭さに、旧街道の面影を感じる。

 やがて、再び広島市へ入る。ここからは廿日市市までは、ずっと広島市だった。

 「三本松」~街道松の名残で、地域の町名にもなっている。しかし、この松は、あとで植え替えたものらしい。

 

 「我羅我羅(がらがらばし)」~がら竹という竹で造ったので、がらがらと音がしたという。この細い道は、昔は川だった。

 やがて、広島駅近くへやって来る。上の高架線を新幹線が過ぎて行った。

 下は広島市電である。函館のように1両でなく、連結タイプのものが多い。

28広島宿~29廿日市宿

 やがて、広島市の中心部へ入っていく。原爆で焼け野原になったのだから、旧街道も宿場の面影もないのが当然である。

 「猿猴(えんこう)橋」~左の石柱は、被爆当時の橋の門柱。

 猿猴橋を渡ると、飲み屋街の薬研通りへと入っていく。角を曲がると、今度は、すぐに「本町通り商店街」へ。この辺りが、広島宿の中心地だったらしい。

 やがて、元安橋を渡る。この辺りは観光地になっている。それもそのはず、修復中で姿が見えない原爆ドーム(下の画像)がすぐ近くにあるからである。

 元安橋を渡ると、平和祈念公園へ入っていく。 

 この辺りも、江戸時代には商人の町として賑わっていたところらしい。

 「ここは旧山陽道」の碑が立つ天満宮。

 西広島駅を過ぎると、郊外といった雰囲気になり、古い建物も目につくようになる。

 鷺森神社~天徳年間(951~960年)創建だが、やはり、被爆建物で、昭和52年に修復されている。

 「小泉酒造」~明治天皇巡行の際に休憩している。下の碑が、その記念碑。

28廿日市宿

  やがて、廿日市宿に入っていく。

 立派な「西国街道壱里塚跡」と「街道松」。この街道松は、文化2年(1819年)には、この辺りで68本あったが、今はこの1本だけ。

 「芸州廿日市宿御本陣旧址」碑とその跡地に建つ廿日市中央市民センターと、下は、そこから撮った町並みたが、宿場の音影は残っていない。

 13:30、ここが、廿日市駅への通り道だったので、ここをゴールとして、宮島口へ電車で移動。

厳島神社

 この旅で絶対訪れたいところの一つが、この厳島神社だった。

 厳島へは、渡船フェリーに乗らなければならない。向かう途中からいくら探しても、シンボルの赤い鳥居が見えない。隣にいた人に聞いたら、現在は修復中で、シートで覆われているのがそれだという。せっかく来たのに・・・。広島の原爆ドームもそうだった。

 日曜日だからか、観光客の数がものすごい。今回の旅でこれほどの人出を見たのは初めてである。土産店が並ぶ参道にも鹿が普通にいる。店にも入っては追い出されている。

 足場で姿が見えない赤い鳥居と厳島神社。

 肝心の赤い鳥居が見られなかったので、参道にあった写真を写しておいた。

 下は、おやつに買った名物の紅葉饅頭。

 素泊まり1000円の「ゲストハウス シンプル スティ宮島」。普段でも安いらしいが、やはり、新型コロナの関係の広島宿泊事業者支援プランの料金とのこと。

 安いだけあって、テレビも風呂もトイレも付いていないし、シャワールーム(100円)しかない。浴衣もタオルも歯ブラシもない。でも、ベッドは広くて寝心地が良さそう。寝るだけなので、これで十分。 

 本日の歩数計 44000歩。

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