癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山岳信仰について

2010年04月22日 | 登山・旅行
(画像は、白山の美濃側の登拝基地・美濃馬場として栄えた長滝白山神社~連泊した道の駅「白鳥」のすぐそば)

朝から止むことなく降り続く雨と寒さに、JR越前大野駅前の駐車場でずっと停滞を決め込んだ。着込んだ上に寝袋に入ってテレビを見たり、携帯でネットサーフィンしたり、本を読んだり・・・。

さて、本題だが、暇なので思うままに綴ってみたい。

きっかけは、この辺りのどの山からも見える岐阜県・石川県・福井県に跨がる霊山・白山の存在の大きさである。白山信仰を源とする「白山神社」は、北海道と沖縄を除く全府県に2700社もあるというからその広がりには驚くしかない。

本州・四国・九州の山を巡って感じる、北海道の山との一番の違いは、山岳信仰と結びついた山の持つ歴史の深さである。

道外の山に登って、頂上や登山道沿いに宗教的色彩を目にしないことはほとんどない。山麓にもその山に関わる神社や寺院も多い。もともとは自然崇拝からスタートしたものが、神道や仏教と結び付いて発展したのであろう。その証のひとつに、寺院の名前は必ず「○○山△△寺」となっている。

今でこそ登山はスポーツの範疇に入るが、昔は僧の修験登山であり、一般民衆の参拝登山だったのである。したがって、道外の山の登山道は、もともとはそれらの修験道や参拝道であったことが多い・・・・ここに北海道の山の登山道との違いを感じる。

特に、一般民衆を対象とした山岳信仰の三名山と言われる富士山、立山、白山のほかに、名山と呼ばれている山のほとんどは、修験の山として発達した霊山や修験僧によって開山された山、麓の住民に霊山として崇められている山ばかりである。

それらの歴史との出会いやふれあいも、自分の道外の山を巡る大きな楽しみのひとつである。

先日、山岳信仰の山ばかり2000以上も登り歩き、「山岳信仰の山」というサイトを開設している方から「北海道の山岳信仰の対象となっている山があったら教えてほしい。また、アイヌ民族は、自然崇拝の民族であるが、山を対象とした信仰はなかったのか?また、その証となるものを何か残していないのか?」という旨のメールをいただいた。北海道にも石仏や祠や社が存在する山はあるが、すべて和人が持ち込んだものである。アイヌ民族のことは興味深い問題である。どなたかこのことに応えてくれる方はいないだろうか?

6 コメント

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うろおぼえですけど (on)
2010-04-22 20:01:13
アイヌは多神教ですが、そのほとんどが動物であったと思います。
鹿や、熊や、魚など。
山は神の住む場所ではあるが、山そのものに対しての信仰心はなかったはずです。
雄阿寒岳の神(ピンネシリ)とか摩周湖の中島の神(カムイシュトカムイ)とかは熊のことをさしてるんじゃなかったっけ・・・?
何かの本で目にした気はしますけど、うろ覚えですけど。
すいません。
きっとほかに詳しいかたいますよね。
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「山岳信仰」 (赤ワイン)
2010-04-22 22:19:28
あたくしも詳しくないんですけど・・・(^^ゞ。
でも、関心だけはありましてね・・。

そもそもが、「日本での『山岳信仰』」をどう理解、定義するのか、ですよね。
これは、本来的には「山岳」とは無関係な「神」が、その山岳や岩磐(いわくら)に降り立つ、依る、顕現するので、その場としての山岳を神とまとめて崇拝するということでしょうか。
(白山の開山は泰澄でしたか・・?)
(「神仏」が山岳なり岩磐なりに降り立つのは、一つにはその高さゆえに「天界・神界」に近いこと、もう一つには、その存在感の大きさ故でしょうか。同じ次元で考えられるものに、ご神木がありますよね。他方では、いかに立派であっても「河川」には神仏は依らない、・・・というか、この場合にはシャーマニズム的に河川そのものが神扱いされますね。)

そう理解すると、シャーマニズムの段階であったアイヌの人々にとっては、抽象的な「神仏」が降り立つという観念は無いわけですから、その「場=山岳」も日本人が考えるような信仰の対象とはなり得ないと言えませんか?
・・・・おっと、そうなると、数多在る「カムイシリ(神・山?)」はどうなるのでしょう?? (^_^;)
これを、キムンカムイ(熊さん)の多く居た山と理解するのは、短絡に過ぎるでしょうか・・。
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onさんへ (管理人)
2010-04-23 04:31:02
年寄りくさい?話題にお若いonさんからコメントをいただけるとは・・・今流行りの歴女かな?

確かにアイヌは動物には神や霊が宿るとしてそれに対する儀式は残っていますが、山に対しての儀式や何かを祀るということはしてませんね。山の名前にカムイを付けて崇めたくらいで、それも熊と解釈してしまえば・・・?
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赤ワインさんへ (管理人)
2010-04-23 04:51:55
赤ワインさんは食いついて来るだろうと期待していました。
山岳信仰についてはご高説の通りでしょう。もともと古代人は純粋に畏敬の念や崇高なものという自然崇拝だったと思われます。この段階では、アイヌの人たちも同じだと思います。日本人(和人)はそれが神道や仏教と結び付いて発達したところが違うのかと・・・?

アイヌの人たちのカムイに込められた意味をもっと掘り下げれば単なる神格化した熊でないような気もしますが・・・?

ネパールには神聖化して登ってはいけない山があり、未踏峰として残っていますが、日本は開山とか登拝とか、登ることで崇めるのも面白いですね。

こんな話題が好きなあまいものこさん辺りのコメントも期待したいところですが、読んでないかな?
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あまりよく分からないですが・・・・ (あまいものこ)
2010-04-25 20:55:11
山(の何か)をカムイと呼んでいた話は読んだことがあります。儀式もしていたような話を読んだことがあります。疫病なんかもカムイ扱いだったはずです。自然現象として人間に影響を及ぼすことを、人間同様に交渉・やりとりできる或いは出来ない部分もあるものとして捉えるのことがカムイの捉え方のように理解しています。霊的なものとして人と接するのと同様にカムイに誠意を尽くす(礼節を立てて交渉するなど)ことが信仰と呼べるならば山岳信仰もあると言えないこともないような・・・。登ってはいけないと言われていた山もあったような気がします。単に見ることで人間が清清しい気分になることもカムイとの体験のように捉えられないことも出来無いことも無いような気がしますが・・・??です。
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あまいものこさんへ (管理人)
2010-04-27 08:20:25
呼び掛けに応じていただきありがとうございます。
アイヌの人たちも和人とは形は違うが、山を崇高なもの、神や霊が宿るものとして崇めていたのは事実でしょうね。ただ、その証は残していないといったところなのでしょうね。
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