高砂通りと電車通りの交差点から眺める現在の棒二森屋デパート
来年の1月末で82年の歴史を閉じることが決まった「棒二森屋」は、「金森森屋百貨店」と「棒二荻野呉服店」が合併して、1937年(昭和12年)10月1日に現在地で開業した百貨店である。
地元函館の人には棒二森屋という正式名称よりも、「ボーニ」という片仮名表記の名前で馴染みのある老舗デパートである。昔から函館駅前のランドマークとも言える存在の建物である。それがなくなると思うと、昔の繁栄ぶりを知っているだけに、一抹の寂しさを感じる。
今日と明日限定で、屋上の互福稲荷神社を公開すると、新聞で知ったので、ウォーキングがてら出掛けてきた。ついでに、昔を思い出させる意匠などもカメラに収めて来た。
昭和12年にオープンした竣工当時の5階建ての外観。
自分にとっては、子供のころ、母親に連れられて良く買い物に来た当時を思い起こさせる、こちらの建物の方が思い出深い。4階には一番の楽しみだった大食堂があり、5階には父親と一緒に観た映画館(ニュー東宝?)があった。当時観たチャップリンの無声映画やニュース映画が思い出深い。
この設計は、函館出身の明石信道で、その後、昭和29年、30年、31年、36年、41年、49年の6度に渡る増築工事も、明石の設計による。デパート特有の増改築によるアンバランスな感じがあまりしないのは、同一人物の設計によるものが多いと言われている。更に明石は建物北側の別館(アネックス)の設計も担当し、こちらを昭和57年9月に竣工させている。実に46年間、棒二森屋の建築に携わって来たことになる。
屋上で公開されていた互福稲荷神社。
この互福という言葉は、「棒二荻野呉服店」の呉服に掛けているらしい。
灯篭の支柱には昭和13年と刻まれているので、竣工の翌年から屋上に設置されていたころになる。
しかし、竣工当時は5階建てで、現在は8階建てなので、増築の度に屋上に移設されてきたことになる。
今の屋上はあまり馴染みはないが、子供のころは、遊園地や噴水もあったような気がする。
あまり記憶はないが、ステージがあるところをみると、ここでショーなどが行われたのであろう。
竣工当時の写真を見ると、ここは東側エントランスだったようだ。その両側の柱の意匠は当時のまま。
東側外壁にこのデパートのシンボルであるすずらんのレリーフが描かれている。
そのレリーフの下には、新築から6回の増改築に携わって来た明石信道のサインのタイルがある。
このレリーフも明石がデザインしたものといういうことなのだろう。
1966年(昭和40年)は、7階部分が増築された年である。
現在の正面エントランスの柱のマークとライト。これも竣工当時のものか?
玄関内側の両側に対になって設置されている彫刻の片方。「羆 根本土龍 1966」とある。
これも1966年の7階部分が増築された年なので、その記念かも?
東側階段の壁にはめ込まれているすずらんのタイル
大理石の中央階段
建物北側には増築工事の完了年を示す1974のレタリング
函館駅前から眺めた棒二森屋
駅前通りからは、彩華デパートと和光デパートも姿を消した。今度は、この最も古い棒二デパートがなくなる。
現在の経営者であるイオンは、アネックス館跡にホテル、本館跡にマンションと小規模な商業スペースからなる複合施設の建設案を提示しているらしい。
それにしても、栄町住人さんは歴史的なことについては本当に博学ですね。敬服いたします。