登りたい山もだんだん少なくなり、宿泊代が掛るのが難点だが、今後の旧街道歩き旅のことをいろいろ考えていた中で、松前藩の参勤交代はどの街道を利用したのだろうと興味を抱いた。
最初の2回は羽州街道を利用したが、その後は奥州街道を利用していたことが分かった。江戸幕府が直轄した五街道の奥州街道は、奥州道中と呼ばれる日本橋~白河(福島県)の間だが、そこから三厩までも続いていることも分かった。
それを調べていたら、どうしても松前藩の参勤交代の足跡を辿ってみたくなった。季節的には少し遅い感じだったが、盛岡までの「松前道」と呼ばれている部分だけでも歩こうと考えた。
しかし、白河以北は、これまで歩いてきた旧街道(四国遍路・中山道・東海道・熊野古道)のようなガイドブックは市販されていない。唯一『奥州街道―歴史探訪・全宿場ガイド』があるらしいが、今は絶版になっていて、中古品を探しても5000円以上もする。
◎100%頼りにしたサイト
いろいろネット上で探したら、三厩まで歩いている記録は思っている以上に多かった。その方々の記録を見ると、その『奥州街道―歴史探訪・全宿場ガイド』を参考に歩いている人が多い。中には、そのルート地図をアップしている人もいる。しかし、いずれも、日本橋から三厩まで北上するものばかりで、自分と同じ三厩から南下する記録は見られなかった。
ただし、泊った宿の人の話では、最近この奥州街道を三厩まで歩く人が確実に増えているとのことだった。今回は、時期的なころもあり、誰にも会うことはなかったが・・・。
その中でいろいろ比べでみたら、「揺次郎のウォーキングライフ」の「松前道ウォーキング」は、ガイドブックも持参し、それをもとに歩いかれているので、とても詳しいし、宿場間ごとのルートをgooglemap上に記載してくれているので、それを利用することにした。
ただし、こちらは南下するので、今春の四国遍路と同じ逆打ち状態である。道路の分岐等や見所の場所や順番などはそれを反対に読み変えなくてはならないのが難点だった。しかし、100%それに頼った。
◎現在地とルート確認に役だったRuntasticのアプリ
これまで自分の現在地やトラックログを知るために、登山用のGPSを利用することが多かったが、参考にした揺次郎さんのルートマップがgooglemap上に記載されているので、自分のスマホに入れてあったランニング用のアプリ「Runtastic」を利用した。これも同じgooglemapだったし、歩いた距離や時間が表示されるからである。
どちらも同じ地図なので、非常に照合しやすかった。登山用のGPSは店や建物や信号などは記載されていない。特に街中を歩くときは、建物や店の名前、信号の場所も提示されるので、非常に助かった。
◎服装・装備等について
○服装
寒い時期なので、冬用のコンプレッションシャツ2枚、その上に着る半袖Tシャツ2枚、スポーツタイツ2本、ハーフパンツ2本、厚手の登山ズボン1本、インナーダウン1着、薄手のウインドーブレーカー1枚、パンツ5枚、五本指のランニングソックス2本、その上に履く普通の靴下2枚、レインウェア上下、手袋2枚など
結果的に、思ったより寒く、汗はほとんど掻くことがなかったので、パンツ以外は2~3日同じものを着続けた。初めの数日は、インナーダウンは朝のうちだけだったが、その後は1日中離せなかった。毎日のように雨が降る天候だったので、レインウェア上下は、寒さ対策も兼ねて、朝は必ず着てスタートした。暑くなると脱いだりしたが、下は、スポーツタイツとズボンかレインウェアの下との重ね履きが多かった。
○その他の装備
カメラ、スマホ、ガラケー、GPS等の充電器具、普段登山のときにリュックに入れている体のメンテナンス用のものなど。
◎宿の確保
最初の3日間は予約しておいたが、その後は、いつも通り臨機応変に対応したいので、前夜か当日の午前中に、その日歩けそうな距離を計算して、宿をスマホで探して予約をした。都合良く宿がない場合は、駅付近をその日のゴールとして、電車で行ったり来たりということも多かった。朝早くスタートすることもあり、素泊まりが安上がりである。しかし、近所に食べる場所やコンビニがない場合は2食付きをお願いした。
◎1日の行動時間と歩いた距離
この時期は日が短く、夜が明けるのは6時半以降で16時を過ぎると暗くなる。宿に着いてからのブログアップに必要な3時間も確保するためには、せいぜい歩ける時間は8~9時間だった。日が長いときには、5時にはスタートできるので、10時間以上40kmも歩けるが、せいぜい30km平均が良いところだった。
当初は8日間で歩く計画を立てたが、結果的には途中で調整しながら、30km平均の10日間を要した。他の方々の記録を見ても10日間が多かった。30kmくらいが一番疲れを残さない楽な距離だった。
22の宿場を繋ぐ三厩~盛岡間の距離は、ガイドブック上では約280kmだった。しかし、間違えて遠回りや引き返しやあちこち寄り道も含めて、Rauntastic上の実際の距離の合計はジャスト300kmだった。
◎実際に歩いてみた奥州街道(松前道)
この区間を参勤交代で歩いた大名は松前藩と八戸藩くらいのもので、東海道や中山道に比べて。物足りなさは否めなかった。特に宿場の面影はほとんどなかったし、本陣跡も松前藩が利用した三厩でしか目にできなかった。
一番多く目に付いたのは、明治天皇の明治9年と14年の2回の東北巡幸に伴う史跡や石碑だった。それと東海道や中山道より多く残っていた一里塚である。ほかには、いろいろな歴史的な文化財や史跡を中心に観て歩いた。
ただ、野辺地以南は山越えの部分が多く、自然道も多く、当時のままの街道の雰囲気を味わうことができた。後半は、「歴史の道」とか「新奥の細道」の指定に合わせた標識や案内板が多く設置されていて助かった。しかし、国道や県道には案内標識が少なく、街道との分岐には神経を使った。
季節的には、樹木のほとんどは葉を落とし、道端の花も少なく、殺風景な感じの歩き旅だったのが残念だった。特に最後の3日間の内2日は、うっすらとした雪景色の中の歩きとなったのは想定外だった。
今回歩いたのは青森県と岩手県だった。昔の津軽藩(弘前藩)と南部藩(盛岡藩)の領地だったところある。特に今の青森県の下北半島から中央部東側一帯は、南部藩の領地だった期間が長い。同じ青森県でも、津軽と南部の文化や方言の違いがある。また昔からよく「同じ青森県でも、津軽と南部は仲が悪い」と言われるわけが、その歴史的経過からも垣間見ることができた。
※詳しく、分かりやすく知りたい方は、ここをクリック!
◎ブログアップについて
今回も、「歩いては書く」を踏襲し、スマホから旅日記を毎日アップしながら歩いた。やはり3時間は必要だった。遅く宿に入った時などは、最後は疲れて目がしょぼしょぼしてくる。見直すのが面倒で、妻にラインでアップ報告をし、校正をお願いした。
これまでの歩き旅は、ガイドブックがあったので、宿へ入ってからもそれを見ながら、撮った写真と照合しながら書くことができた。
今回は、前述した「揺次郎のウォーキングライフ」の記述を参考に書いた。特に、これまでの旅は、史跡や文化財の説明部分はガイドブックやカメラで写したものをもとに記述することが多かった。しかし、今回は、揺次郎さんが詳しく書いてあるので、それをコピペさせてもらったものが多く、非常に助かった。
◎今後の奥州街道歩きの予定。
この後のことだが、何度かに分けても、日本橋まで歩き通したい。分けるとすれば、盛岡~仙台(盛岡道or南部道)、仙台~白河(仙台道)、残りの白河~日本橋(奥州道中)である。
妻が、「5月の10連休に一緒歩きたい」と話している。この時期は宿の確保が難題だが、早めに細かな計画を立てて、早めに宿を確保するという手もある・・・?
◎その他
今日中に、ホームページからも見られるように、毎日の最下段に前日と翌日のページへリンクを張ること、文章の中に宿場間の小見出しを入れた。