昨夜、宿の女将に明日は花の窟神社までの予定と話したら、「絶対無理!そんなお客さんいないですよ。せいぜい頑張っても大泊まで」と言われた。
単なる距離だけで計算していたが、今日のコースは、峠越えが6つもあり、ほとんど石畳と石段の坂道を歩いてばかりいた1日だった。獲得標高差を計算したら昨日より多い1200mもあった。
結果、宿の女将のいう通り、大泊までで9時間30分も掛かってしまい、そこでギブアップ。歩いた距離はわずか22.4kmだった。
峠越えが多いのは、リアス式海岸に原因があった。入り江にある集落を繋ぐには山越えの道しかないからだ。峠の途中から見下ろす入江の眺めが印象的な1日だった。
早い朝食を食べ、昼のおにぎりをもらって6:30スタート。
国道を10分ほど歩いたら、ヨコネ道へ入っていく。ここも峠の名はないが海を眼下に眺めながらの立派な峠道だった。
日の出前の賀田湾を見下ろす
朝日による粋な演出
ヨコネ道から国道に下りたら、すぐその先に三木峠の入口があった。
昨日までは、石畳と石段は感動的だったが、当たり前になって、むしろ石段の段差の大きさに嫌気が差してきた。おまけに昨日の疲れを感じて、ペースが上がらない。
標高122mの三木峠の展望台からの深い入江を持つ賀田湾の眺め
民家の先に続く、猪垣と畑の石垣の間を問通って国道に下りる。
国道に出たと思ったら、またすぐに羽後峠の入口。
入口が海岸まで下りなかったので、標高200mほどの峠までの登りはすぐだった。広いところは茶屋跡。だいたいの峠にはこのように茶屋があったようだ。
下りには、立派な猪垣が続く。田畑への猪や鹿の侵入を防ぐ石垣である。昔から今と同じような苦労をしていたようだ。
羽後峠から賀田の集落へと下りていく。
賀田から曽根への国道歩きは、今日一番長い1kmほどの平らな歩きだった。
今度は、曽根次郎坂・太郎坂へと入って行く。これは人の名ではなく、中世までの志摩と紀伊の国境だったことから、曽根側からみた自領と他領が次郎と太郎に訛ったらしい。
登りの次郎坂の石畳の苔が非常にきれいだった。
登りの途中の、鯨岩…なるほど納得!
なお、この峠の登りは名前は甫母峠だった。標高は350m。
下りの楯見ヶ丘から見下ろす楯ヶ崎
どこの峠にも、車で入れる所からの登り口と下り口までの総距離と100mごとの距離(上の数字)の標識が設置されていて目安になった。
曽根次郎坂・太郎坂を下りると、二木島の海岸に下りていく。
しかし、ここも民家の間の階段を登り、すぐに二木島峠・逢神峠への登りとなる。
二木島峠は少し下がって登り返してそのまま標高190mの逢神峠へと続く。峠にはどこにもスタンプラリーのスタンプが入ったボックスがある。
逢神峠の由来は、伊勢の神と熊野の神が逢う所、または狼がたくさんいた所とも言われている。
苔むした石段を下っていくと新鹿に出る。
1kmほどの国道歩きの途中にある、丸い石を組んだ独特の意匠を持つ徳司神社。
次の峠は、最高地点の標高が130mの波田須の道だった。
波田須の道の登り始めにある、鎌倉時代に造成された大きな石の石畳が印象的だった。
標高90mほどの山の斜面にある波田須の集落の中に徐福の宮がある。秦の始皇帝の命で不老不死の霊薬を求めて来た徐福が、ここに漂着し、村人にいろいろなことを教えて一緒に暮らして、この地で亡くなったと伝わり、ここに墓がある。
山村の波田須の道を抜け、大吹峠へと入っていく。
標高200mの大吹峠を下ると、珍しい孟宗竹の林があった。
やがて、大泊へ下りたら16:00になった。今日はここでギブアップし、16:30の電車で宿を取ってある隣の熊野市駅へ。
今日の宿は、古民家を利用したゲストハウスわがらん家(素泊まり3000円)。わがらんとは、こちらの方言で私たちの意味。
若いオーナーが別の仕事と掛け持ちで経営している。隣の部屋の物音は我慢しなくてはならないが、なかなか古民家の雰囲気を生かした宿になっている。
チェックイン前に、向かいの洋食屋さんで豚肉の生姜焼き定食を食べた。
宿に入ってからは、ひたすらブログを打ち続け、これから近くの銭湯へ。
単なる距離だけで計算していたが、今日のコースは、峠越えが6つもあり、ほとんど石畳と石段の坂道を歩いてばかりいた1日だった。獲得標高差を計算したら昨日より多い1200mもあった。
結果、宿の女将のいう通り、大泊までで9時間30分も掛かってしまい、そこでギブアップ。歩いた距離はわずか22.4kmだった。
峠越えが多いのは、リアス式海岸に原因があった。入り江にある集落を繋ぐには山越えの道しかないからだ。峠の途中から見下ろす入江の眺めが印象的な1日だった。
早い朝食を食べ、昼のおにぎりをもらって6:30スタート。
国道を10分ほど歩いたら、ヨコネ道へ入っていく。ここも峠の名はないが海を眼下に眺めながらの立派な峠道だった。
日の出前の賀田湾を見下ろす
朝日による粋な演出
ヨコネ道から国道に下りたら、すぐその先に三木峠の入口があった。
昨日までは、石畳と石段は感動的だったが、当たり前になって、むしろ石段の段差の大きさに嫌気が差してきた。おまけに昨日の疲れを感じて、ペースが上がらない。
標高122mの三木峠の展望台からの深い入江を持つ賀田湾の眺め
民家の先に続く、猪垣と畑の石垣の間を問通って国道に下りる。
国道に出たと思ったら、またすぐに羽後峠の入口。
入口が海岸まで下りなかったので、標高200mほどの峠までの登りはすぐだった。広いところは茶屋跡。だいたいの峠にはこのように茶屋があったようだ。
下りには、立派な猪垣が続く。田畑への猪や鹿の侵入を防ぐ石垣である。昔から今と同じような苦労をしていたようだ。
羽後峠から賀田の集落へと下りていく。
賀田から曽根への国道歩きは、今日一番長い1kmほどの平らな歩きだった。
今度は、曽根次郎坂・太郎坂へと入って行く。これは人の名ではなく、中世までの志摩と紀伊の国境だったことから、曽根側からみた自領と他領が次郎と太郎に訛ったらしい。
登りの次郎坂の石畳の苔が非常にきれいだった。
登りの途中の、鯨岩…なるほど納得!
なお、この峠の登りは名前は甫母峠だった。標高は350m。
下りの楯見ヶ丘から見下ろす楯ヶ崎
どこの峠にも、車で入れる所からの登り口と下り口までの総距離と100mごとの距離(上の数字)の標識が設置されていて目安になった。
曽根次郎坂・太郎坂を下りると、二木島の海岸に下りていく。
しかし、ここも民家の間の階段を登り、すぐに二木島峠・逢神峠への登りとなる。
二木島峠は少し下がって登り返してそのまま標高190mの逢神峠へと続く。峠にはどこにもスタンプラリーのスタンプが入ったボックスがある。
逢神峠の由来は、伊勢の神と熊野の神が逢う所、または狼がたくさんいた所とも言われている。
苔むした石段を下っていくと新鹿に出る。
1kmほどの国道歩きの途中にある、丸い石を組んだ独特の意匠を持つ徳司神社。
次の峠は、最高地点の標高が130mの波田須の道だった。
波田須の道の登り始めにある、鎌倉時代に造成された大きな石の石畳が印象的だった。
標高90mほどの山の斜面にある波田須の集落の中に徐福の宮がある。秦の始皇帝の命で不老不死の霊薬を求めて来た徐福が、ここに漂着し、村人にいろいろなことを教えて一緒に暮らして、この地で亡くなったと伝わり、ここに墓がある。
山村の波田須の道を抜け、大吹峠へと入っていく。
標高200mの大吹峠を下ると、珍しい孟宗竹の林があった。
やがて、大泊へ下りたら16:00になった。今日はここでギブアップし、16:30の電車で宿を取ってある隣の熊野市駅へ。
今日の宿は、古民家を利用したゲストハウスわがらん家(素泊まり3000円)。わがらんとは、こちらの方言で私たちの意味。
若いオーナーが別の仕事と掛け持ちで経営している。隣の部屋の物音は我慢しなくてはならないが、なかなか古民家の雰囲気を生かした宿になっている。
チェックイン前に、向かいの洋食屋さんで豚肉の生姜焼き定食を食べた。
宿に入ってからは、ひたすらブログを打ち続け、これから近くの銭湯へ。